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椎隆子公式ブログ&HP colors club jr.

パリの椎隆子3

2024.06.05 21:55

前回に引き続き今回もパリの椎隆子シリーズです♪

でも、今回はパリというかフランスの椎隆子、のような感じですね

1枚イタリアのもあります ではスタート!!


↑1枚目 アンバリッドです

ここにはあのナポレオンが眠っています 母と二人で行きました

母とはよくあちこち出かけたなあ~ 大好きママンです

その母と

ここはベルサイユのもと?になる城フーケさんのヴォー・ル・ヴィコントです

ルイ14世があまりの豪華さに嫉妬して、フーケさん失脚

ここを作った建築家 ル・ノートルにベルサイユを作らせたという……

しかしそんなドラマのあった城でも私は のほほん~~~としております!

母ばかりだとあれなんで(笑)父も登場

でもなあ~~ 若すぎるよなあ~~!!!!

誰だよこれ、ですわ 若すぎてこんなの父じゃないです(笑)

ちなみに、我が家窓です 1階なので外から撮影

(フランスでは1階はレードショセといいます

2階からプルミエエタージュ(訳すと1階)になります

こちら姉と

だいたんなところで仁王立ちです! 落ちますよ……

このエッフェル塔の前の大噴水は かなりよく行きました

旧パリ日本人学校がこの近くにあり、我が家の庭的な場所です

写真もたくさんあります

日本人学校は昔の日本大使館を利用してましたが、周りの住民から

うるせえええええ~と苦情が相次ぎ(笑)郊外へ移転したそうな

トロカデロ広場がすぐの、便利な立地だったんですけどねえ

旅行シリーズもやりたいですが、このぶーたれた表情が気に入ったので

今回特別に掲載です

ここはフランスではなく、イタリアローマです

夏でくっそ暑く、スイカがうまかった……

場所はフォロロマーノです とにかく暑くて暑くて

こんな表情になりました


このときはローマ、フィレンツェ、スイスを旅行しました

ユングフラウにものぼったし(電車で)、そういえばフィレンツェでは

ドゥオーモにも父と登りました! よく頑張った~

ユングフラウの駅が「ユングフラウヨッホ」と言うんですが

アシスタントにこの話しをしたら

「なんですか、今の呪文みたいなのは!」(笑)と言われました

たしかに、呪文系かもしれない……ユングフラウヨッホ~~~!(笑)

(若く美しい娘に変身する呪文です←そのまま和訳)

ラストに、ただの海辺に見えますがここではすごいことがありました

あの「DーDAY」です ノルマンディー上陸作戦ですね

こんな笑っている場合じゃないんですが、子供なので何もしらんです

(つまり、向こうの海はドーバー海峡)


このときは北フランスを旅行しました

モンサンミッシェルとか、アルセーヌルパンで有名な「奇巌城」の

エトルタとか……

ここでは父に延々ノルマンディー上陸作戦について説明されました

父は歴史好きなので、いつでもどこでも説明大好き男です

しかし夢いっぱいの少女にそんな話しをされてもなあ~

「わあ、きれな貝殻!」てな感じでしょう

今行ったら、花束を海へ投げますけどね

今年で作戦から80周年だそうです


戦争、といえば フランス滞在中にベトナム戦争が終りました

その日はテレビの様子が変?で(おそらく大騒ぎだったんだと思います)

父にどうしたのと聞きましたら「戦争が終ったんだ」と言われ……

サイゴンが陥落した日だったかもしれません

そういえば当時父が購読していたニューズウイークはいつも表紙がミリタリーでした

この雑誌は戦争雑誌なのかな、なんて、子供心に思ったんですが

そのとき、え、戦争って昔の話しじゃないの? まだあったの?

……と思ったものですが、例えばノルマンディー上陸作戦も、この写真が50年まえなら

このときわずか30年前のことなんですよね

そして2024年現在、戦争はなくなるどころ世界中で進行形です


なぜ人は戦うのか?

この間NHKBSでもそんな番組を深夜見たんですが

もともとは同族意識が高い生き物だからみたいな感じです

まあ、動物も縄張り争いするしね

でも人間は知恵があるのだから、もっとかしこくなれないものか……

戦争がないと困る連中もいるから、なくならないのでしょうけど


と、たまにはまともな意見も書いてみました

このときの自分を思い返すと、同じ時、同じ年代のベトナムの子供達は

苦しんでいたんだなと思うと、平和な国にいて恵まれた生活をしていた自分が

運が良かった、と思うべきなのか それとも~

なんて、考えてしまいました


最近は50年ぶりに日本人学校の友人達と再会したうえ

12月には筋目?の60歳になる自分を思い

人生とは…… 人間はなぜ生きるのか? どこへ行きたいのか?

など、いろいろ思うことがあります


ここまで生きてきて、「いい人生だった」と言えるのかなあ

好きで選んだ漫画家という職業、そのとき自分が描きたいものを描くことができて

そういう意味では幸せだったと思いますが

いつも思うのですが、描いているとキャラクターのパワーに元気をもらえるんですよね

母が亡くなった時もそうでした

漫画が描けて良かったなあ~と思いましたし……今も日々思います!


そして、そんな自分のアイデンティティーを育んでくれた

このパリ滞在は、人生の贈り物だったのだと改めて思う椎隆子でした

そういう意味では父に感謝したいですが、そんな父は高齢すぎて(笑)

あんなことやそんなことで、日々ため息ですわ