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「空」の思想

2024.10.03 07:28

https://www.yoriso.com/sogi/article/hannyashingyo/ 【般若心経の内容全文と解説まとめ|知れば心が楽になる「空」の思想】より

仏教のお経の中でも、特に多くの方に親しまれているものに「般若心経(はんにゃしんぎょう)」があります。

日本の仏教でも複数の宗派で読まれていることから、どこかで耳にしたことのある方もいらっしゃるかもしれません。

そんな般若心経では、大乗仏教で重要な「空」の思想が説かれています。これらの短い言葉に込められた意味を知ることで、不思議と心が楽になるともいわれているようです。

こちらでは、一度は読んでおきたい般若心経の全文と、その解説をご紹介します。

般若心経(般若波羅蜜多心経)とは、仏教における経典のひとつです。

300文字にも満たないわずかな文字数で、大乗仏教において重要な「空(くう)」の思想が説かれているのが特徴です。

般若心経は、浄土宗・真言宗・天台宗・禅宗を中心として、仏教の多くの宗派で読まれています。

基本的に般若心経を読まない宗派には、浄土真宗や日蓮宗があります。

般若心経は、主に4つのパートから構成されています。

1つ目のパート・・・観音菩薩がお釈迦様の弟子であるシャーリプトラに、その教えを説く場面から始まります。

2つ目のパート・・・観音菩薩がシャーリプトラへ呼びかけながら、「空」の思想について説いていきます。

3つ目のパート・・・「空」の思想についてさらに深めていきます。

4つ目のパート・・・「真言(マントラ)」という神秘的で特別な言葉そのものが唱えられます。

般若心経の由来と歴史

般若心経は、中国の僧侶である玄奘三蔵がインドから持ち帰り、翻訳したといわれている経典です。

正式には「般若波羅蜜多心経」と呼ばれ、サンスクリット語の「プラジュニャーパーラミター・フリダヤ・スートラ」が原題となっています。

般若心経がインドから中国に伝わったのは、630年頃といわれています。

玄奘三蔵という僧侶が、研究のためにインドへ向かい多くの経典や仏像を持ち帰り、これらを自ら翻訳しました。

現在、日本において広く読まれている般若心経は、この玄奘三蔵によって翻訳されたものだといわれています。

「空」の思想の真髄とは

私たちは日常生活の中で、さまざまな苦しみと向き合っています。しかし、これらの苦しみは自分の外側から押し寄せるものではなく、実は自分自身への執着から生まれると考えてみたら、見え方が変わってくるかもしれません。

般若心経の中心となっているのは、大乗仏教の「空(くう)」の思想です。

経典では、観音菩薩がさまざまな事象を例に挙げながら、すべてのものに実体がないこと(=空)を説いています。

これには、私たちの肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することを含め、ありとあらゆるものごとが当てはまるといわれています。

しかし、般若心経で説かれているのは、それだけではありません。

「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」という一節では、色(=目に見える物体)には実体がないと伝えたうえで、さらにそれゆえ空とは色でもあるともいい、ただ単にまったくなにも存在しないという虚無主義の考え方すらも否定しているのです。

般若心経の全文と解説

「般若心経」の全文と、その解説をご紹介します。

仏教の数ある宗派で読まれているお経にふれて、心が楽になるのを感じてみてください。

般若心経の全文

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

(ぶっせつまか はんにゃはらみた しんぎょう)

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空

(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう)

度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空

(どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう)

空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相

(くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ しゃりし ぜしょほうくうそう)

不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中

(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう)

無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法

(むしき むじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう)

無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽

(むげんかい ないしむいしきかい むむみょうやく むむみょうじん)

乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得

(ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく)

以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故

(いむしょとくこ ぼだいさつたえ はんにゃはらみったこ)

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想

(しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう)

究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故

(くうぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ)

得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多

(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃはらみった)

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪

(ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)

能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪

(のうじょいっさいく しんじつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ)

即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦

(そくせつしゅわっ ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)

菩提薩婆訶 般若心経

(ぼじそわか はんにゃしんぎょう)

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

(ぶっせつまか はんにゃはらみた しんぎょう)

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空

(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう)

度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空

(どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう)

空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相

(くうそくぜしき じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ しゃりし ぜしょほうくうそう)

不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中

(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう)

無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法

(むしき むじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう)

無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽

(むげんかい ないしむいしきかい むむみょうやく むむみょうじん)

乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得

(ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく)

以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故

(いむしょとくこ ぼだいさつたえ はんにゃはらみったこ)

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想

(しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう)

究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故

(くうぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ)

得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多

(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃはらみった)

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪

(ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)

能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪

(のうじょいっさいく しんじつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ)

即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦

(そくせつしゅわっ ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)

菩提薩婆訶 般若心経

(ぼじそわか はんにゃしんぎょう)

解説

般若心経は、お釈迦様の弟子であるシャーリプトラという人物と、観音菩薩との対話という形式になっています。

「舎利子(しゃりし)」とはシャーリプトラのことで、「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」は観音菩薩のことです。

お経全体を通して、仏教の基本である空の思想について解説がなされています。

まず、観音菩薩は「五蘊(ごうん)」には実体がないと説いています。

五蘊には色・受・想・行・識という5つの要素があり、これらは人間の意識のもとになるといわれています。

つまり、人間の肉体や、感じること、思うこと、行うこと、認識することには、すべて実体がないというのです。

そして、観音菩薩はさらにシャーリプトラに語りかけます。

「形あるすべてのものに実体がないのであれば、その反対に、すべてのものはあらゆる形をとることができる」と。

そしてそれは、人間についても同じことが言える、といいます。

実体がなければ、生まれることも、滅びることもありません。汚れることも、清らかであることもなく、増えることも、減ることもないのです。

真実の世界においては、形あるすべてのものや人間のあらゆる感覚もなければ、悩みや苦しみという概念もありません。

このような「空」の思想を知る仏は、真理に目覚めて心安らかな存在でありつづけます。

観音菩薩は、ひととおり悟りの境地について説いたあと、最後に真言を伝えます。

般若心経の終盤に唱える「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」は、悟りに至る真言(マントラ)です。

したがって、この部分は解釈することができません。

ただし、中村元・紀野一義による訳注『般若心経・金剛般若経』では、“往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ”という形で翻訳されています。


Facebook加藤隆行さん投稿記事  【虚しさの正体】

先日クライアントさんからこんな質問を受けました。

『最近、虚しさを感じるんですが「虚しい」ってどういう感情ですか?』

ボクの『赤無敵本』 には「感情のすべてを書きました\(^o^)/」と豪語しているのですが、

実は「虚しい」という感情についてだけは書かれていませんw

『赤無敵本』にはダライ・ラマ14世と、ポール・エクマン博士の提唱する『感情地図 Atlas of Emotions』を元に感情は「怒り、悲しみ、嫌悪、恐れ、喜び」の5大感情から出来ていて

あとはみんなその派生だよ!(全46種)という説明をしたのですが、「虚しい」は実はこの46種にも入らない。

「虚しい」とは不思議な感情でちょっと特殊な”状態”を表しています。

実は「虚しさ」とは「感情を感じられなくなった時に 感じる 感情」なのです。

「虚」という漢字。・中身がない ・空っぽ・実体がないといった意味です。

「空虚感」とか「虚無感」とかいいますね。

人のココロは少なからず「怒り、悲しみ、嫌悪、恐れ、喜び」という感情で揺れたり満たされたりしています。

「虚しい」というのはこの感情が「空」っぽで、「無」いんです。「ココロに感情がない」状態の感覚。「虚しさ」は、実は誰もが感じるものです。

例えば大きな興奮や達成、苦しさなどを味わったあとにその落差として感じたりします。

大きな感情を味わったのでそれが急になくなると「フッ」と虚しくなる。

あれだけ満たされていたものが突然なくなって何もなく感じる。

あとは・孤独を感じる時・圧倒的な他者と比較したとき・やってもやっても成果がでないとき

とか感じます。これも「感情を感じられなくなった」もしくは「感じても無駄だ」と感じることにフタをした時、という状態。

このメルマガを読んでいるような人だとwいつもいつも自分のココロにガマンやガンバリを強いている人が多いかもしれない。

「いつも人生に虚しさを感じる」というのは、ガマンやガンバリで「自分の本来の感情を 抑え込みすぎて 感じられなくなってしまった」「自分(の感情)を生きていない」ということだったりします。

「虚しい」という感情は状況的に「悲しい」とか「不安」とかが一緒にくっついてきやすいので一見ネガティブなものだと 捉えやすいですがフラットに捉えると、ただ「感情を感じられずに空っぽ」な状態を意味します。

心境の変化、環境の変化があったときにも感じやすい感情で「ココロの整理」をするときにも

ココロが他の感情を一時的に排除して虚しさを感じることがあります。

また人にはそもそも「無に帰りたい」という欲求や衝動があるので(フロイト的!)「ぜーんぶ捨ててここからいなくなりたい」みたいなのも「虚しさ」の一部だったりします。

東洋には、理想的な体の状態を表した言葉に「上虚下実(じょうきょかじつ)」という言葉があります。

アタマを含む上半身がゆるっとリラックスしていて腹より下がどっしり座っている状態。

だから「虚しい」とか「虚」というのは悪い感情でも言葉でもありません。

そもそも「悪い感情」なんてひとつもありません。

感情はすべてあなたへの「サイン」だと『赤無敵本』に書きました。

「虚しさ」を感じた時は「ああ、わたし虚しいんだなぁ」としっかりその空っぽさを

感じてあげてくださいね。

虚しさを外の刺激で無理に埋めようとするといっときは埋まった気がするかもしれませんが

より虚しさを増してしまいます。

空っぽのココロを眺めて自分の中にある空間を観察していると実はそこには 抑え込んだり、

ショックで見えなくなってしまった感情たちがちゃんといることに気づきます。

それは悲しみや不安や怒りといったシンドい感情かもしれないけれど、フタをせず、ゆっくり感じてあげれば、また元気なあなたに戻っていくことができますよ。(^ω^)


Facebook田中 宏明さん投稿記事

人間というものをよく見ると不思議な気持ちになることがあります

その一つは肉体の寿命がとても短いということ

この宇宙を体験するにはあまりにも肉体でいる時間が足りない その割に 学校だの結婚だの

仕事だのをやるもんだから 益々宇宙を感じている暇なんてないんです 僕は自分の過去世

が何かだとかはわからないのですが 人間は何百回も 生を経験しているという 確信があります なぜなら 一回の生で知ることや 体験出来ることは あまりにも少ないからです

よく死んだら終わり という人がいますが そもそもその人は「生」を知らないのだと思います 生とは何ですか?すぐにこの質問に答えられる人はいるでしょうか?

僕ならこう答えます^ ^ 「わからない」と😊

生が何かを 知らないのではなく わからないことを やっと知ったのです^ ^

だから今とても 安心しています

生に対する 質問が消えた時 それが即 愛そのものだったと 気づいたからです

わかりますか? 死んだら 終わりというのは 生が肉体だと 信じているから 出て来る言葉です 愛という本当の 自分の本質に 一瞬でも触れたなら 生と死はただの 概念だと気づかざるを 得なくなるでしょう 始まりと終わりも ただの概念です

一気に怪しくなる 表現ですが 我々は無限に永続する エネルギーの現れなんです^ ^

それが今は 人間という形で現れて いるだけです それを般若心経では 不生不滅、不苦不浄と表現しました 存在は死んだり 生まれたりはしません

それがね 頭の中の声が 静かになるとわかるんです そしてその存在を 表す言葉はこの宇宙には ありません 言葉にした瞬間に その本質から外れる からです

敢えて言葉にするなら「愛」としか呼べないでしょう もしくは 全てを生かしている何か

もしくは サムシンググレート まぁ、なんでもいいんです^ ^

何よりも大切なのは あなたがそれそのものだということです😊

それをみんな 何百回もの生を通して学んでいるわけです^ ^

なんのために? それを的確に表現した言葉があります 古代ヒンズーにあるリーラという言葉です 意味は「神々の戯れ」^ ^ つまり存在が存在で遊んでいるというわけです

だから 深刻になったらダメよ^ ^ というわけです😊

そう書きながらもこんな変な話しを読んで 眉間にシワを寄せている人の顔が浮かびます^ ^

まぁ、それもいいじゃない^ ^ こんな話しを読む 流れになってたんだから😆

ワハハ🌈 瞑想の後は いつもこんな感覚に なってしまいます^ ^ まぁ、普段もだけど😆

ようするに 気楽に生きましょう ということです^ ^

てなわけで 皆さまもよい人生を😆🌈✨ワハハ🌈 らぶ💓