わくらば
Facebook斉藤 一治さん投稿記事
創造主は宇宙を創りました。創造主は太陽を創りました。創造主は人間を創りました。
人間は争いや罪穢れのない女性中心の生活を送っていました。
採取に多少の栽培をして自然と共生して楽しく暮らしました。
宇宙を代表するものとして太陽を畏怖感謝しました。
やがて人間は縄文土器を創りました。
太陽の意思を民に伝える女性が生まれました。セオリツヒメです。
永い年月を経て、争いや罪穢れが生まれました。
「大祓詞(中臣祓)」には、多くの罪が述べられています。
畔放ちは、田の畦を壊し、水が溜まらないようにして、作物が枯れるようにすること。
溝埋は、田に水を引くための溝を埋め、田に水が流れないようにして、作物が枯れるようにすること。
樋放は、田に水が必要ない時に、田に水を引くための樋を壊して田に水を流し、必要な時のための水の蓄えを失くしてしまうこと。
また、田に水がすでにある状態で樋を壊し、田に水を流して稲などを流してしまうこと。
頻播は、他の人が種を蒔いたところに重ねて種を蒔き、作物の生長を妨げること。
重ねて種を蒔くことにより苗がよく育たなくなる。
わざとそのように妨害する罪。
串刺は、他の人の田畑に分からないように串を刺し、田畑に入る時に手足を傷つけ、耕作することができないようになる。そのように妨害する罪。
生剥は、獣の皮を生きたまま剥ぐこと。逆剥は、獣の皮を尻の方から頭の方に剥ぐこと。
屎戸は、厠以外の場所で尿や糞、屁をして汚すこと。
生膚断は、生きている人の肌に傷をつけること。傷害。
死膚断は、死んだ人の肌に傷をつけること。死体損壊。
己が母犯せる罪は、実母との相姦。相姦は肉体関係を持つこと。
己が子犯せる罪は、実子との相姦。
母と子と犯せる罪は、ある女と相姦し、その後その娘とも相姦すること。娘が義理の父と相姦することも母と子と犯せる罪にあたる。
子と母と犯せる罪は、ある女と相姦し、その後その母親とも相姦すること。母親が自分の娘の夫と相姦することも子と母と犯せる罪にあたる。
畜犯せる罪は、人家で飼う牛や馬、鶏、犬などと獣姦すること。獣姦は獣との性行為。
昆虫の災は、蝙蝠(こうもり)などの毒に刺されること。
「畜仆し」は、人に腹を立て、その人が飼う牛や馬、鶏、犬を復讐のために殺すこと。
「蠱物為る罪」は、悪獣、悪禽、悪蟲などを使い、あるいはその骨や羽、血などを使って人を呪い殺すこと。
以上
この罪を清め流すのがセオリツヒメです。
セオリツヒメは、太陽を遥拝する遥拝所を主宰し、祭祀王という役職でした。
やがて、争いや罪穢れが生まれました。遥拝所は神社となりました。
神社が御利益を生み出すために神を作りました。
縄文時代には人間だけで神は居ません。一人ひとりが神なので、外に神は不用です。
神人一致
https://yamato80000jinja.gr.jp/ooharae01/ 【大祓詞に流れる日本人の心、よりよい明日への祈り】より
睡蓮:大祓を行う意味
水無月の名越の祓する人は 千歳の命のぶといふなり(拾遺和歌集)
大祓式は毎年6月と12月の晦日に、人が知らずしらず犯した罪穢れを祓い清め、災いを避けることを目的としています。
大祓式で読む大祓祝詞は『延喜式祝詞』に収められ、「神祇令」に大祓式について規定されています。
この記事では大祓についてまとめ、無意識に私たちが大祓に求めているものは何かを考えてみたいと思います。
大祓と大祓詞
大祓詞は6月と12月だけに読むだけではなく、神道大教では日々のお祭りや月次祭でも奉唱します。普段読んでいる私たちの大祓詞は「延喜式祝詞」に収められた大祓詞を神々に祈願する詞に変えられたものです。
現在は年2回の大祓式でしたが、臨時で行う諸国大祓や謀反や穢れが生じたとき、重要なお祭りが行われる前にも大祓を行いました。また、食材の物品を差し出させる刑罰の大祓もありました。
大祓の初見は『日本書紀』に見ることができます。この時は「大祓」といわず「大解除」と書いています。
大祓はどんなことが行われていたか
現在の大祓式は茅の輪をくぐり、和紙でできた人形で体をなで息を吹きかけます。また、縄をほどく祓い、布を裂く祓いを行います。
昔の大祓の様子は「神祇令」に求めることができます。
凡六月十二月晦日大祓者。中臣上御祓麻。東西文部上祓刀。読祓詞。訖。百官男女。聚集祓所。中臣宣祓詞。卜部為解除。
中臣氏が天皇に御麻を捧げます。次に刀でお祓いして、祓詞を奏上します。この祓詞も「延喜式祝詞」に収められています。
そのあと、平城宮の朱雀門に親王以下百官の官僚達が集まり中臣氏が大祓詞を読み上げました。この頃の木製の人形が多く見つかっていることから考えると、思い思いの人形を持ち寄り、切麻などで不浄を解き除いたと考えられます。
大祓詞の最後の方に「今年の六月の晦日の夕日の降の大祓に」とあります。朱雀門に申の刻に集まったといわれています。この時の六月は旧暦なので今の8月くらいで、日の入りは18時30分くらいでしょうか。
4~5時に集まって、祝詞を読みお祓いをしたら、空はあかね色だったんでしょうね。
祓いのルーツ
大祓のルーツ、祓いのルーツは2つ考えられます。
黄泉の国の訪問
1つめは伊邪那岐命が炎で焼き死んだ伊邪那美命を追って黄泉の国に行ったことが原因です。「しこめしこめき汚き国」に行ったので筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓いを行いました。
身につけた衣服から、水で体をすすいだときに落ちた汚れから、川に沈んだとき、それぞれ沢山の神様を生みました。
最後に顔を洗った時に特に清らかな三人の神様を生みました。天照大御神、月読神、素戔嗚尊を生みました。
そして、伊邪那岐命が祖神から受けた使命を天照大御神に託しました。
高天原の訪問
2つめは素戔嗚尊が高天原悪さをしたことが原因です。
素戔嗚尊は伊邪那岐命から海の世界の統治するように命じられました。しかし、そのご命令に従わず母の住む黄泉の国行きたいと、泣きわめいていました。
それを見た伊邪那岐命は地上世界から追放しました。そこで、黄泉の国に行く前に天照大御神のいる高天原を訪れました。
高天原では素戔嗚尊の悪さは田畑を荒らしたり御神殿を汚したりしました。天照大神はその都度「悪い行いにも意味がある」とポジティブに捉えて許していました。でも、機織りの女神が死んでしまうと、とうとう天の岩屋戸にこもります。
高天原の神々は相談して天照大御神を天の岩屋戸から出てきて貰うように計画を立てました。計画は無事に成功し、素戔嗚尊は高天原から追放されました。
素戔嗚尊がした高天原の悪さは天津罪とされています。
罪穢れとは何か
罪穢れは神道では大事な考え方ですが、これは何でしょうか?地鎮祭などの御祈願に入る前に修祓を行って、参列者や祭場を祓い清めます。その時に、私は以下のように罪穢れを説明しています。
「罪は心を包み隠して、本来の自分ではない行動や考えをすることです。また、穢れは考えたり悩みすぎることで生じる気枯れです」
元気ではない状態は気枯れです。「死」は最も気を失います。伊邪那岐命は伊邪那美命を失い、天照大御神は機織りの女神を失いました。身内や大切な人が亡くなった時に元気でいらる人はほとんどいないでしょう。
また、追放された後の素戔嗚尊を考えると、高天原で悪さをしていた素戔嗚尊は本来の自分ではありません。
伊邪那岐命の清められた体から生まれた神様は、天照大御神と同じように清らかで御神徳も高い存在のはずです。そのため、海の世界の統治を任されました。
「本来の自分」、この定義はなかなか難しいですが、「ありのままの自分」という意味ではありません。
海の世界の統治を放棄し、高天原で悪さをした「心」に原因はあります。私はそれを「エゴの心」と考えています。「私を見て欲しい」「私を愛して欲しい」そのような気持ちが素戔嗚尊にあったのではないでしょうか。
本来の自分とは、天照大御神の御心と同じように「悪い行いにも意味がある」と前向きに捉え、前進していく姿勢の中にあります。
罪穢れとは本来の自分から離れれ原因となった状況や環境、そしてその行為と考えられます。
大祓を行う意味
大祓を行う意味を以下のように冒頭で書きました。
大祓式は毎年6月と12月の晦日に、人が知らずしらず犯した罪穢れを祓い清め、災いを避けることを目的としています。
確かにこの意味で間違いはありません。ただ、この意味だけでは不足のような気がします。
私たちが毎日また事あるごとに、宣り聞かせる大祓詞から祈願する形にかえた大祓を読むのは、祈りがあるからです。
それは、祓いのルーツにも見える「死」からの再生や新しい力を得て修理固成を担うことです。
伊邪那岐命と伊邪那岐命は天津神の「この漂える国を修め作り固めなせ」というご命令を受けました。ここに伊邪那岐命の出発点があります。祓いの出発は「修理固成」となります。
私たちも「修理固成」を担う存在です。究極の「死」という問題に向き合って、本来の自己を見つめ直し、悔い改めることが「祓い」と云えます。
お祓いは反省をして、よりよい自分になろうと心新たになります。
大祓を行う意味は、よりよい明日をつくろうと決心することではないでしょうか。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
https://yamato80000jinja.gr.jp/ooharaekotoba/ 【大祓詞には何が書かれているか、その意味は】より
雲:大祓詞の意味
「今日よりはじめて罪という罪はあらじと祓え給い清め給うことを天津神国津神八百万の神達共に平らけく安らけく聞こし召せと恐れみ恐れみも申す」
大祓詞は中臣祓と言ったりするようですが、大祓詞の方が現代では一般的です。また「大祓詞」と言われた時は現代によく読まれている祓詞の一種になります。
今回の記事は大祓詞の意味を中心に書いております。大祓詞のデーダを置いていますので、大祓詞を見ることができます。最後までお付き合い頂ければ幸いです。
大祓詞について
私たちがいう「大祓詞」は神道大教の教典である『教の鑑』に収められた祝詞になります。日々のお祭りや事あるごとに、管長先生をはじめ教師、信者が一緒になってご神前に向かい読み上げます。
*神職の呼び名が一般的ですが、信者が神道大教で神様にご奉仕する資格を与えられた人を教師と呼んでいます。
大祓詞のルーツ
この大祓詞のルーツは延喜式祝詞に求めることができます。延喜式祝詞の中に6月と12月の晦日に大祓を行った際に読んでいた祝詞が収められています。これが大祓詞です。
6月と12月の晦日の夕方親王以下百官の男女が朱雀門広場に集まり大祓を行いました。この時に集まった人々に中臣氏が読み上げました。この祝詞は「聞こし召せと宣る」という宣命体で書かれました。
この祝詞を「聞こし召せと申す」という八百万の神々に祈る形にかえた「中臣祭文」が『朝野群載』が収められています。この中臣祭文が人々に伝わって、現在の大祓詞になりました。
大祓詞の広がり
たぶん、みなさんが目にする機会が多いのは、神社本庁の大祓詞でしょうか。当社は神道大教に所属しますので、別の大祓詞になります。
違いと言ってもそれほど変わりません。大きくは罪穢れを省略しないところです。天津罪と国津罪を事細かく列挙します。
陰陽師へ
平安時代の貴族の日記には参拝する前に陰陽師に中臣祓いを読ませたとあり、安産祈願や病気平癒の祈願に中臣祓を読ませたと書かれています。今昔物語にも樹木の伐採のお祓いとして中臣祓を読んだお話しがあります。
神社で読まれていた大祓詞が陰陽師に広がり、「百度祓」「千度祓」など何度も読み上げる儀式が行われました。
仏教へ
そして、平安時代の終わりには仏教にも受け入れられました。「中臣祓」を読むときにホラ貝を吹き杖や鈴をを振り、太鼓や鉦鼓を鳴らし、人形に祈願する人の息を吹きかけた後、茅の輪をくぐりました。
その頃に書かれたとされる『中臣祓訓解』は台密(天台密教)を中心とした仏教の教理に基づいて注釈が書かれています。
伊勢の神主や吉田家へ
この流れを受けて伊勢神宮の神主も中臣祓を重視するようになりました。室町時代になると吉田家も中臣祓を重視するようになります。二つの流派は戦国大名や領主と関わりながら全国に広がります。
伊勢流中臣祓は「祓へ給い清め給う」と読まれていた部分を「祓へ給い清め申す」という自力祓いの形で読んでいます。また、吉田家よりも早く祓詞を5段に分けて解釈を試みようとしました。
吉田流中臣祓は他力祓えの「祓え給い清め給う」と呼んでおり、また「八百万神達の左男鹿の耳振りたてて聞食せと申す」と呼んでいます。
また、祓詞を13段に分けて、一年の月ごとに合わせて解釈を行いました。こういった解釈を吉田兼倶は天皇や貴族に大祓の講義を行い、京都の貴族達に広がりました。
江戸時代
江戸時代になると朱子学者の山崎闇斎が大祓詞の研究を行います。中臣祓は君主と臣下の関係を述べたものだと考えています。
さらに「中臣祓い」の中は天御中主神を指しており、天御中主神と天照大御神は同じで、天照大御神の御心で生きることを説きました。
その後、本居宣長も上代の言葉や心を理解する古典として研究をしました。祓えとは黄泉の国で発生した禍事を再び黄泉の国へ返す行為であり、大祓詞はその祓いを行う理由や行ったことを神様に申し上げる言葉であると説きました。
大祓詞の意味
大祓詞に書かれている言葉を分かりやすい意味にしました。併せて大祓詞を読んで見てください。細かい意味が分からなくても、分かるようになっています。
大祓詞PDF(96KB)
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高天原にいらっしゃる男神女神のご命令を受けて、沢山の神々を集めて会議を行ったところ、天照大御神の御孫の命が「豊葦原の瑞穂の国を平和で安心できる国にして治めなさい」とご命令をお受けになりました。
こうして、国中の(ニニギノ)命に従わない神々の話を聞き説得をして回ったところ、草の葉まで動くのをやめる程騒動が静かになりました。そこで天の世界から幾重にも重なった八重雲をかき分けてこの地上に降り立ちました。
御委任された国の中心部として大倭日高見国に立派な宮殿をお建てになり、ここでもっと平安な国になるように統治を行いました。
しかし、統治なさる国の人々が増えるにつれて過ちの種類や数が増えることを懸念しました。例えば、天津罪とは田畑を壊す行為や田畑を耕す午や牛を殺して皮を剥ぐ行為、せっかく貯めた肥だめを蒔き散らかすことで、国津罪とは人の皮を剥ぐことや淫らな行為をすること、昆虫や鳥の災害や落雷などの災害、生き物を殺して呪う行為などです。
こういった罪が起きたら、清らかな宮殿を建て、金属のように固い木の根元から切って、祭壇に置き、清らかな麻をの根元から切り細かく裂いて、清らかで立派な祝詞を読みましょう。
祝詞を読んだのなら天津神は天の門を押し開いて幾重にも重なった雲を押し分けて、国津神は山々の頂上に登り霧や雲を押し分けて、聞いて頂けます。
聞き届けて頂けたのなら、国中の罪という罪が、風が雲や霧を吹きはらうように、また港の大きな船が航海に出るように、茂った木の根元をしっかり火入れして研いた鎌で切るように、罪がことごとく一つも遺ることなく祓い清めて頂きたいことを願います。
そうすると山々の頂上から流れ落ちる早川にいらっしゃる瀬織津姫が海に持ち運びます。海に持ち運ばれた罪は渦潮にいる速開津姫が飲み込んでくれます。飲み込んだ罪は息吹戸主神に渡り、根の国底の国へと息吹に乗せて運びます。そうすると、根の国底の国にいらっしゃる速差須良姫がこすってなくします。
このようにして、お祓いを行った今日から罪という罪はなくなるように祓い清めて頂けるように天津神、国津神、沢山の神様、どうかお願い事を聞き届けて頂けるようにお願いします。
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佐倉オランダ風車
大祓詞の本当の意味の見つけ方
大祓詞の解釈
大祓詞を解釈する方法として2通りあります。
言葉からの解釈
信仰からの解釈
言葉から解釈は学問的な研究から学ぶことができます。
本当の意味は解釈によって変わります。言葉からの解釈は書いてある内容を超えることができません。例えば、「語問いし磐根樹根立草の片葉をも語止めて」は「言葉を話す岩や樹が話すのを止めて」となります。
また、天津罪国津罪も言葉通りの罪となります。そうなると、これらの罪観念が現在の罪観念に合わないこと、差別的と捉えかねないことを理由に大正三年に罪が削除されました。詳しくはこちら
信仰からの解釈では歴史的事柄や文法など言葉を理解することを無視してしまう場合があるかもしれません。そのため、2通りの解釈をバランスよくすることが大切です。
大祓詞をどのように読むか
語られる人によって意味が違うかもしれませんが、「大祓詞」は深い教えを含んだ祝詞といえます。
では、この深い教えを含んだ大祓詞を私たちはどのように扱えば良いでしょうか。それは、深い教えが含まれていると信じて、事あるごとに読めばいいと思います。
私は大祓詞を大体4分半で読んでいます。前後の作法を入れれば6分弱でしょうか。人の集中力は3分といいます。大祓は大きく2段に分かれますので、ちょうど良く集中できる長さです。
大祓詞を何度となく読んでいると、ふと浮かぶ事柄があるでしょう。それを感じればいいと思います。大祓詞を一心に読むことが大切です。
人に教えを請いても、それはその人が得た解釈であったり教えです。神道が宗教ではないとされている理由に「教えがない」といいます。他人に押しつけることがなければ、あなただけの解釈であってもいいはずです。
本当の意味は、言葉からの解釈と信仰からの解釈を深めることで知ることができます。本当の意味はあなたが見つけてください。
私は「大祓詞に流れる日本人の心、よりよい明日への祈り」でお祓いを行う意味は究極の「死」という問題に向き合って、本来の自己を見つめ直し、悔い改めることだとお伝えしました。
大祓詞を読むだけではなく、大祓詞に書かれている罪に照らし合わせて反省を行い、よりよい自分になろうと決心することだと思います。
最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございます。