ヨセフス イエス時代の歴史家
皆さんはユダヤの人々の歴史に興味あるでしょうか。。?
アメリカや、ヨーロッパの人々のバックボーン、精神的基盤を知りたいと思っている自分にとって、アメリカやヨーロッパの歴史を紐解いていくと、どうしても一つの理解しなければならない一つの領域は、ユダヤの人々の歴史です。(例えばイエス・キリストもユダヤ人ですね。)
いつか彼らの歴史を学ぶための突破口(最適な入門書)を探していたのですが、このヨセフスさんの書いた作品群は、ユダヤ人の歴史、民俗性、価値観を理解するとっかかりとして最適・最高のものだと感じます。
ヨセフスさんの正式名は、「ティトゥス・フラウィウス・ヨセフス(ラテン語: Titus Flavius Josephus、ヘブライ語: יוסף בן מתתיהו/ラテン文字表記: Yōsef ben Matiṯyāhu:ヨセフ・ベン・マタティアフ、生37年 - 死亡100年頃)は、帝政ローマ期の政治家及び著述家。西暦 66年に勃発したユダヤ戦争で当初ユダヤ軍の指揮官として戦ったがローマ軍に投降し、ティトゥスの幕僚としてエルサレム陥落にいたる一部始終を目撃。後にこの顛末を記した『ユダヤ戦記』を著した。理想国家の形として神権政治を造語した。」とWikipedia にあります。
つまり、生まれた年はなんと、西暦二けたの 37年! ご存じの通り、西暦は、イエス・キリスト生誕年をその始まりとするわけです。イエスが亡くなったのが、彼の人生の30代前半ですから、西暦37年というのは、(イエスの死後になりますが、)時代の空気の中にはまだまだ、イエスの生きた影響であるとか、生前のイエスと時間を共有した人々が生きていた時代です。さらに彼は、現在に至るユダヤ民族の離散(ディアスポラ)のきっかけともなった、歴史的大事件、ユダヤ戦争の直接の目撃者でもあります。ユダヤ戦争というのは、西暦 66年に、当時ローマ帝国の属州であったパレスチナで、ユダヤ人がローマに対し反乱を起こし、その鎮圧にローマ軍がのりだした戦争で、70年 9月にエルサレムは陥落します。そして、ヨセフスは、ユダヤ人でありながらこの歴史的出来事に際して、ローマ側に立ち、なんとユダヤ民族にローマ軍への投降を仲間に呼びかけた人物でもあります。
このヨセフスさんが書いた「ユダヤ戦記」、この夏読んだのですが、とても面白い。(面白いといっては失礼ですが、一つの物語として非常によく語られている、と思います。例えば、ある歴史を勉強しよう思うと、まずその歴史の専門家である歴史家の書籍にあたると思いますが、学者さんというのは、その範疇を研究しているためかえって初心者には難しい記述になっていたり(書いてる人にとっては知っていて当然と考える出来事や当時の習慣であっても初心者にはまったくわからない事柄であったり)、また、ある部分については学術論争の対象になってるからあいまい・抽象的な表現に終始してしまう、その結果、読後の印象がなんかあいまいで、何が結局起こって当事者はどうなったのか、はっきり記述しないことがあります。
そういった意味では、司馬 遼太郎さんのような歴史小説が良いとっかかりになると思いますが、このヨセフスさんの作品もちょうどそういった延長で読むことができると思います。そしてある意味、単なる歴史小説よりすごいと思うのは、この著者自身が当時の事件の目撃者であり、その作品(ユダヤ戦記)の中に実際の登場人物として出てくることです。
このヨセフスさんの作品の価値はそれにはとどまりません。彼のもう一つの代表作「ユダヤ古代誌」。これは、旧約聖書の物語からユダヤ戦争までのユダヤ人の歴史を綴った歴史物語ですが、この作品も西暦1世紀頃のキリスト教徒やユダヤ教徒が知りたいユダヤ教の通史となっていて、さらには、ヘブライ語で書かれた旧約聖書を読めないキリスト教徒はじめとする教養人(ユダヤ人以外の知識人は、当時ギリシア語を話す人が多かった)ための初期キリスト教の歴史解説書(あるいは、聖書の副読本)として価値ある情報源となっていたのです。実際「ユダヤ古代誌」の解説には「ヨーロッパのキリスト教徒や知識人階級によって聖書に次いで多く読まれてきた書物である。」と書かれています。最近この「ユダヤ古代誌」の1巻から3巻を読み終えましたが、世界のはじまり、ノアの箱舟、アブラハム・イサク・ヤコブ(十二氏族の祖)のエピソード、ヤコブの末の子ヨセフがエジプトへ奴隷として売られながらもエジプトの宰相の地位まで登り詰め、そこからエジプトへのユダヤ民族の流入がはじまり、そして、その後に続く有名な指導者モーセによる出エジプト記のお話、そしてユダヤ民族の荒野での放浪時代、そして土子時代を経てダビデ王、サムソンとデリラ、ヘロデ王、そしてエルサレム神殿の創建と繁栄、、こういった興味深いエピソードや人物がこのユダヤ古代誌(旧約聖書)には登場します。(「ユダヤ古代誌」については、後日、ぜひこのブログで書きたいと思います。)
このように、現代人にも貴重な当時の情報を提供しているヨセフスさん。実は数奇な運命を生きた人でもあります。(彼がユダヤ人であるにもかかわらず、ユダヤ戦争ではユダヤローマ側について、ユダヤの仲間に投降を呼びかけたことは前述しました。)
彼は、裕福なユダヤ人の家庭で育ち、ユダヤ教にも子供の頃から親しみ、その経典の知識も学んでいきます。頭脳も明晰。大人たちからはやがてこの子は、ユダヤ教の司祭になると、噂されました。このような彼ですが、彼の成長と共にパレスチナの地ではローマ帝国との対立が激化。彼は司令官として戦闘慣れしないユダヤ市民を指揮・統率しローマ軍とヨセパタの地で戦うことになりますが、圧倒的なローマの軍事力の前に戦局は不利になり、立てこもった洞窟の中で40人ほどの仲間と集団自決を決意します。次々と仲間が死んでいく中で、結果として彼は最後の二人となりますが、なんと、ヨセフスさんともう一人はローマ軍に投降。生き延びることになったのです。真相はわかりませんが、集団自決の最後、自分と最後の同胞のユダヤ兵が残ったところで、急遽、ローマ軍へ投降しようと彼が最後のユダヤ兵を説得し、生き伸びたらしいのですが、この自決を選ばず投降したという、一見卑怯と思える彼の選択に対し、当時の同胞のユダヤ人は決して彼の行動を容赦せず、その後、徹底して彼を非難し続けたのです。「ユダヤ戦記」では、ローマの捕虜となった彼がローマ軍の側から、エルサレム城壁内に立てこもっているユダヤ人仲間に(ローマへ)投降するよう呼びかける場面が描かれます。その彼の言葉には論理的な説得力があるのですが、この仲間への投降を呼びかける言葉は、実はヨセパタ洞窟で自決をヨセフスが試案していた時に、彼の頭の中を駆け巡り、自身の自決を思いとどまらせた同じ言葉であったのではないか、と想像します。(その「ユダヤ戦記」に書かれているその仲間を説得する言葉はそのまま、ヨセパタ洞窟で自決の選択を迫られた時、彼自身の頭の中をかけめぐった言葉だったのだと感じました。)
同胞のユダヤ人からは、仲間を自決に追い込み、自分だけ助かった卑怯者として生涯白い目で見られ、その一生を終えるヨセフスさん。ですが、面白いのは、その後、長い歴史の中で彼の評価は、時代時代で翻弄され、受け入れられ、賛美さえされるようになったのです。例えば、キリスト教徒の指導者からは、彼の著作を彼らの都合のいいように解釈され、また、ユダヤ教徒からは、現代のユダヤ人が知らない歴史に埋もれてしまったユダヤ人のアイデンティティーを掻き立てる歴史を語ったことで、再評価されたり、、(「ユダヤ戦記でも少し紹介されるのですが、ユダヤ戦争の最後の方で、ローマ軍に対しユダヤ人玉砕の要塞攻防戦のエピソードが描かれている(マサダ城塞)のですが、これが実際にあった話であることが後年の発掘調査でわかったのです。この歴史に埋もれていた事実を、彼がはっきりと物語っていることから、彼は後年のユダヤ人仲間から同胞のアイデンティティーの語り部、という名誉ある地位を授かったのです。このように、彼の死後、彼と彼の作品は、その時、その時において都合にいいように人々から解釈され(あるいは翻弄され)続け現代にまで生き続けているのです。
では最後に、あの集団自決の洞窟で何があったのか。。?
彼を決して擁護するわけではないのですが、「投降」という彼のとった選択を決して否定すべきではないと思うのです。人間、決してすべての人が100%であるわけでもなく、(結局、自分でも自分のことって、よくわからないまま生きているのが人間です。いろいろな運命のあやとか、ちょっとした運命のタイミングでもって一人一人の人生が紡がれていくのです。そのあやがほんの少しだけ、ヨセフスさんの言葉のニュアンスで、彼の運命が生存する方へ傾いただけなのだ、と思うのです。自分はむしろ、彼の運命から人の人生の不可解さ(奥の深さ、複雑さ)を学びたいと思います。さらに、彼の作品を読めば読むほど、このヨセフスという人物か決っして俗で、卑怯な人間ではないことがわかります。それどころか当時ではまれにみる教養人で、見識をもった人物であることがわかります。
もしかしたら、ヨセフスさんは遠藤周作さんの「沈黙」のキチジローだったのかもしれない、、、でもそれでも今の時代に「ユダヤ戦記」とか「ユダヤ古代誌」とか貴重な文献を残してくれた人として評価したい、というのが私の彼に対する評価です。個人的には同胞の映画監督、スティーブン・スピルバーグに「ヨセパタ洞窟」の謎にせまる作品を作ってもらいたいと思いました。。。