俳句も人生も「もっと自由に、ずうずうしく」
https://news.yahoo.co.jp/articles/131e3b98bd1752d959b8991ff327d643827c90ed 【俳句も人生も「もっと自由に、ずうずうしく」 80歳坪内稔典さん13冊目のユーモア句集】より
句集には好物のあんパンを詠んだ句も。「実はあまり詠んでこなかった。あんパンは、難しいのです」と話す坪内稔典さん=大阪市内
産経新聞夕刊で毎週木曜に連載中のコラム「モーロクらんらん」の筆者で俳人の坪内稔典さんが、13冊目となる句集「リスボンの窓」(ふらんす堂)を刊行した。「ねんてんさん」の愛称で知られる坪内さんも4月で80歳になり、「遠慮なく自由にできる感じ。もっとずうずうしくなっていいかも」。シンプルな言葉を取り合わせた五七五の中にユーモアを漂わせながら、言葉の可能性を広げていく。
■予想外の反応
「リスボンの窓」には、平成27年刊行の第12句集「ヤツとオレ」(角川書店)の後、70代に詠んだものを中心に収録した。
《ころがしておけ冬瓜とこのオレと》
作者はもしかして、ちょっといじけているのだろうか。でも「冬瓜」と「オレ」を同列に並べるあたりが、なんだかおかしくていとおしい。
坪内さんは、「俳句は作者を離れ、五七五の言葉の技を競う文芸」であると説いてきた。優れた句は理屈を超え、作者の意図を超えて読者に受け止められるという。代表句「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」「三月の甘納豆のうふふふふ」など、斬新な句で読者の心をつかんできた一方で、反発を呼ぶこともあった。
ところが今回の句集には、予想外の反応が寄せられた。「『俳句はこんなに自由でいいんですね』とか、『安心しました』とか。こちらが老人になったからか…」と少し戸惑う。
■和歌で詠まないものを
「リスボンの窓」には、こんな句も。
《桜咲くどすんと象はうんこして》
坪内さんによると「糞(ふん)」は俳句が得意とする素材で、与謝蕪村も松尾芭蕉も糞を詠んできた。「でも、和歌は詠まない。もともと和歌で詠まないものを詠むのが俳句ともいえます」
自身の大好物であるあんパンも、心を寄せる動物園のカバも、太宰治もピカソも詠み込んだ。「俳句というのは季語があって、しばられて、窮屈だなあと思われるかもしれない。けれど、実は自由なんだ、と思ってもらえるのでは」と期待する。
■俳句はもっとむちゃくちゃに…
「積極的に耄碌(モーロク)を楽しむ知恵を身につけよう」という思いから、平成22年に産経新聞朝刊で始めた連載「モーロクのススメ」は、夕刊連載「モーロクらんらん」に引き継がれ、今月でちょうど15年目に突入した。
ほかにいくつもの連載エッセーを抱えているほか、俳壇の選者を務め、俳句結社「窓の会」も主宰する。
「リスボンの窓」のあとがきには、70歳で大学を退職後は「気ままに過ごしてきた」とあるが、忙しい毎日を送る。「80歳の実感はないけど」とつぶやきながら、「俳句はもっと、むちゃくちゃにならないといけないですね」とかみしめるように語った。(岸本佳子)
http://www.haiku-tosasaki.server-shared.com/sahaiku2.html 【以下、旧「俳句雑感時々少々」========】より
久しぶりの更新である。更新はきわめて少なくなるかも知れない。色々思うところがあるのである。 最近、なんとなく自分に言い聞かせている文をあげておく。空海の言である。
詩情を保つには、大胆な発想をもって、人目をきにせず、びくびくしないこと。
(空海『文鏡秘府論』。翻訳は『空海人生の言葉』川辺秀美編訳より)
すでに、2011年である。それに新年もすでに一月以上たってしまった。
更新について言うと今後特別な場合を除きしない予定である。何かがたまったとき、不定期にそれを吐きだすことぐらいはするだろうが、それ以上は考えていない。
とにかく俳句をつくる。実作に集中する。余計な饒舌はやめる。と同時に、「現代俳句抄」についても俳句の追加はよほどの例外的な場合を除き行わない。
今でもあれこれ句集などを読み直すことは多いが、新しい句集を読むことはすくない。俳句をつくることに集中したい。勿論、句集など読まないというわけではない。芭蕉、蕪村、虚子、兜太、等等、また塚本邦雄などを含め俳句に関わる本(たとえば『百句燦燦』など)などの本などは常に読み直している。俳句雑誌も適宜には読む。ただし、ホームページの「現代俳句抄」の充実を目的にするといったことを目標にすることはやめる。
何事も勉強し過ぎは、何かを鈍磨させる。重すぎる知識、過重な記憶はなにかを鈍磨させる。もっとも「現代俳句抄」に少し追加したぐらいで、過重な知識云々というのも大げさかもしれないが、原点にかえることだ。日常の中で、見ること、感じること、想像力を膨らませることに集中する。創作力の再生のためにも、余計な知識を「忘却」する力も忘れないこと。知識偏重を転化させること。要するに創作の原点にたちかえることだ。
といいながら、冗言を書いておく。
『俳句年鑑2010年版』、読みすすめている。この本だけで新しい流れを知ろうとするのは安易といえば少々安易だが、現代俳句の風景の一部(あくまで一部でしかない)は読みとれる。巻頭の「2010年100句選(正木ゆう子選)」を読んで、次の二句を特におもしろいと感じた。
わが猪(しし)の猛進をして野に躓く 金子兜太
冬の蠅見れば絶叫してゐたる 小川軽舟
元気な老人、金子兜太。最近ぼくの関心の中心になっている金子兜太の句をついつい選んでしまう。ついでに、他の句集から若干追加する。
石柱さびし女の首にこおろぎ住み (『蜿蜿』)
雪の中で鯉があばれる寒そうだ (『皆之』)
最後に、幅広く俳句を見ていきたいと思っている人に推薦していいと思える本を、ここでは三冊だけあげておく。
一冊目は、宇多・黒田編『現代俳句の鑑賞事典』。俳人一五九人の各自三〇句の秀句を集めている。俳句の多彩さを知るためにもすすめたい。
二冊目は、最近、再読した正木ゆう子『現代秀句 日本秀句』。ぼくの「現代俳句抄」と重なっている句も多いが、文章も読みやすく、視野をひろげるためにもっと読まれていい本だ。
三冊目は、ひらのこぼ著『俳句名人になりきり 100の発想法』。書店で見たときはうさんくさいタイトルだと思った。色んな俳人がとりあげているのはわかったが、「名人の発想を借りる法」という帯のうさんくさい文句がさまたげる。書店を出て、二、三百メートル行ったところで、もしかしたらと思ってひきかえす。あらためてパラパラめくってみる。俳人の選択が、ぼくの好みにあっている。「名人の発想を借りる法」という文句に関しての好き嫌いとは別に、俳句の多様性を知るのにはそれなりに便利である。ついつい買ってしまった。そして推薦までしている。 他にないわけではない。きりがないので、坂口 昌弘『ライバル俳句史』だけでやめておく。
すでにのべたように、これからは「現代俳句抄」を含め更新は、いわゆる「間歇的」になることを書いておわることにする。
(以下略)
Facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事
おはようございます。『空間は、人を育てる』
調和のとれていない庭を見続けると、心も安定しなくなります。
逆に 見事に調和がとれて、心地よさを感じる庭に接していると、心穏やかになります。
現代は、あらゆるメディアを介して、心揺さぶる情報が、五感を刺激し続け、不安や迷い、悩みの原因になっています。
そう感じた時、自分の心の中にある「心の庭」と向き合って、心落ち着かせるところに帰ることが大切です。
心穏やかな気持ちにある時間や場所を何か一つ、つくることお勧めいたします。
素敵な一日をお過ごしください。