〇〇〇

2018.12.13 10:00



倫子こと ∞∞∞ elenaです



〇〇〇←題名が浮かばないので

こんな〇〇〇で失礼します


(*´ 艸`)







きのう

お志事のパートナーに

伝えました



「 わたしを疑ってくださいね」と


その人は

言いました


「お互いさまです」


そこで

わたし


「疑わせていただきます」

と言いました





見えないことって

多くのことは

確証がないのです


でも

見えなくても

そこにあることは

潜在的に わかってる


そもそも

言葉って表面的で


ビジョンが視覚的に「見えない」 なら

見えないとなってしまいますが

あるところでは

「見えている」 のですよね





「疑う」も


人を疑ってはいけません!と 

言われてきた人もいるでしょうが


俯瞰する


別の角度からみる


その意見等をないものとして見直す


とか

いろんな意味が

含まれていたりするのです



疑ってください!と言えるのは

いろんなことの信頼があるから

言えるのだと思います





人の考えも

人の気持ちも

態度や行動や言葉にしないと

見えないものです

不確かではあります


見えないものを

スピリチュアルとか 

いう人もいますが


スピリチュアルって 

オカルトでもなんでもなく

精神性ということです



もともと

見えないものは

たくさんあります



わたしは

見えないものを

感じるようにしています


そうしている

というより


必要であることが

肌感覚として

入ってきます


いいことばかりでもなく

痛みとして知らせてくれる時も

あります




体感として体でうけとり

言葉にしたり

絵にしたり 

行動したりしているだけ


見えなくても 

相手と同じものを見ているのなら

共振して
見えてくるのです
確信が持てるのです


もちろん

感じ方はそれぞれですが.。o○



共振しないということは

見てる場所が違うか

そこに 

ないからなのかもしれません


「疑ってください」 は
そこに
本当にあるかを
ゼロにして
見てくださいということ

その人の人間性を
否定するものではないのです



⋆ボキャブラリーの少なさから

「疑う」という

言葉しかでてこないことを

お許しくださいー





どんなに

すばらしい人でも


そこにないものを

創り出してしまっているかも

しれません


今は

創造されたものの具現化が

早いので

3次元として

すぐに物事として

あらわれたりします


すぐに

創りだせるのです









わたしは過去

セミナーや

セッションを受けて

痛い思いをしたことが

何度かあります


あやしいものも

経験しました


あとから 

気付くこともあります


あやしいっていうのは

結局

その人の魂を解放させるのではなく

逆に閉じさせてしまうものだと

感じています


それに

参加することを決めたのは自分で

そこを経験したいからだったりもします


その経験は

無駄だとは思っていません



幸い

わたしは

後で

おかしいことに

気付きました


それは

わたしたちは

様々な存在にサポートされているから

自分を失わないでいると

それに気付くギフトが与えられるのです


それは

まわりの人たちが

気付かせてくれたりするのです








一筋の光を求めるのなら

それば

誰かが与えてくれるものではなく 

自分で

光をつかみとるのです


まわりにいる人や

ヒーリングや

セッションは

純粋に

それをサポートするもので

あってほしいと思うし


わたしも

そのスタンスでいたいと

いつも思っています



それが

寄り添う


ということかもしれません


ピラミッドの構造の中では

寄り添うということは

なかなか難しいことかも

しれないなと

感じています





わたしは

起きた時や

出かける時に

思うのです


今日も
ゼロから
はじめよう


と.。o○



もちろん

わたしたちは

日々の積み重ねで

できているけど


その気になれば

いつでも


ゼロに


フラットに


なれます




ここのところ

寄り添うという経験が

続いています




それは

一見 地味なことですが

大切な立場だと感じています









∞∞∞ elena こと 倫子