のだめオーケストラ
ゴールデンウィーク後半の連休は、『のだめオーケストラ』に初参加していました。
のだめオーケストラ、と言っても、要するに寄せ集めオーケストラです。でも今回は、長年京響で同志だった元事務局スタッフ(この人たちが居なかったら今の京響は無い)が独立して頑張っている事務所が京都での公演を引き受けていて、
「ただのシゴトじゃなくて、できたら若い人たちにチャンスを。それから、できたら、若い人たちがプロの人たちと肩を並べて勉強できる機会を作っていきたい」
各セクションの要所要所に年長者をコアメンバーとして置いて、あとは京芸や周辺大学の卒業生、京都JrのOBで頑張ってる子たちにも声をかけていきたいんだ、タテの繋がりと、ヨコの繋がりも広がるよう工夫して…と、相談を持ちかけてくれました。長年京響のために骨身を削って尽くしてくれた彼女の為だったら私にできる事なら何でもやるつもりだったけど、彼女の変わらぬ真心からの仕事ぶりと、頑張る人を応援したいという純粋な気持ちに大いに賛同しました。
若い人だけでもじゅうぶんに音は鳴るといえば鳴るし、若い人のほうがよく吹く(弾く)時もあります。だけど、ひとつの音が合ったり(合ったように聴こえたり)、アンサンブルがうまく行ったり、オーケストラがひとつの生き物のように動き出すためには、1人1人が上手いだけで出来ることではないんですね。そこを、プロは、どうやってるか。このあたりの感覚は、もはや、「教える」「教わる」の立場で伝えきれることではなくて、隣に並んで、同じ方向を向いて、同じ指揮者を見て、同じ空気の中に居て、初めて伝えられることがある。私もそうやって若い頃に先輩方や先生方に素晴らしい機会を授けていただいて、勉強させてもらってきました。
音の出し方、合わせ方、重ね方、混ざり方、リードの仕方、支え方、長さ、短さ、大きさ、小ささ、濃さ、薄さ、発音、形、指揮者との関わり、仲間とのコミュニケーション、うまくいくとき、いかないとき、いかなかったとき…。すごい人の隣で吹いてたら、どうすべきかは全部分かるし、真似したいことばかりだった。
私自身は、25歳で京響に入って、28歳で首席になったけど、現在に至るまで、クラリネットセクションの中ではずっと1番年下のままで来たので、自分が教わって、たくさん考えて、経験してきたことを、次の人に繋ぐことができなかったんです(木管セクションの中でも下から4番目)。京響では、ヨソのオーケストラと比べてエキストラで将来有望な若手をエキストラとしてお呼びできる機会も本当に限られているし、そういう意味では、一生懸命勉強してきてくれて、隣で、隣近所で、1つの音も逃すまいと聴いてくれているのが分かる中、自分もいつもよりちょっと緊張して、これはもうちょっとこうかもネとか、次はこうしてみようかとか、ごめんとかありがとうとか言いながら居られた数日は、本当に幸せな時間でした。私が実際に吹いて示せたことがどれくらいあったわからないし、まだまだだと思うことも多かったけど、その分、振り返って自分が教わったことや人たちへの感謝はさらに増し、また、隣の若者に昔の自分の姿や思いを見るようで、嬉しく、きっとこれからも続く道を元気に歩いてほしいとも思いました。
とはいえ。
オーケストラの中では、1人じゃ何にもできないもんです。いつものように吹いてもいつも通りにいくとは限らない中にいても、何とかいつもの自分で居られたのは、左隣に中野さん(京響首席ファゴット)が居てくださったから。ここには、私の「いつも」がありました。
そうか、中野さんとは、かれこれ20年、隣に居るんだなぁ、えらいもんだなぁ、と、なんだか今回改めて思いました。
中野さんのこと、まだまだ知らないことばっかりだけど笑、楽器を持って隣に座れば、中野さんがどうくるかは、だいたいわかるし、私がどうくるかも、たぶん同じように中野さんにはお見通し。だから、私は今回もだいたいいつも通りの私で、安心して居られました。
20年の間には、とても厳しい局面も、苦しい場面も、ピンチもパンチもポンチもいっぱいありました。同じ船に乗って、隣にいて、同じ嵐をくぐりぬけてきた。励まし励まされ、しょうもない話で笑い、言ったほうがいいことは言って、言わないでおいたほうがよさそうなことは様子をみて、横でブツブツ言うのをお互いに聞いたり聞き流したり。たぶん、いっぱい許してもらって、見逃してもらってもきたなぁとしみじみ感謝しています。同じセクションの繋がりも深いけど、オーケストラで管楽器の1番を担い続けるこの厳しさは、同じ立場に居る人にしかわからないことがあるから、やっぱり、管楽器の首席同士というのは、普段仲がいいとかよく喋るとか喋らないとかとは関係ない次元で、「同志」の感覚がすごくあります。
ヨソのオケに行って、あるいは今回みたいにイベント的な寄せ集めオケにいて、普段会えない人たちと刺激的で楽しいひとときを過ごす中、思い浮かべるのは不思議と「いつもの仲間」のことだったりする。そんな自分は幸せなのかもしれないとも思いました。