大自然の摂理
https://yui-honkouji.com/new_thought/post_10.html 【大自然の摂理にもとづいて生かされている人間がすべきこととは】より
1.人間は太陽と水、空気をはじめとする大自然の無償のめぐみをいただいて生きている。
だから大自然の摂理(ルール)にもとづいた人間として望ましい生き方こそ大切である。
(梅原 猛・哲学者・文化勲章受章)
2.西洋文明は人間中心主義の思想である。人間は神の似姿である理性を持ち、それによっ
て他の被造物を支配できると考える。その思想はデカルト哲学においてますます顕著と
なる。近代文明としてそれまで考えられなかった豊かさ、便利さを人類にもたらした。
(梅原 猛)
3.しかしこの人間中心主義の近代文明が今や限界にぶつかり、このままでは人類そのもの
の存続が危うくなってきました。この文明の危機を乗り越えるには、人間も太陽・空気
・水といった自然のめぐみによって命を与えられ生かされている一つの生き物であるか
ら大自然の摂理(ルール)にもとづいた、人間として望ましい生き方を心がける事で
ある。(梅原 猛)
4.決して間違ってはいけません。私たちは「生きてきた」のではなく、目には見えない大
いなる力、宇宙の生命を動かしている何かによって(太陽・空気・水等)「生かされて
いる」のです。(瀬戸内寂聴)
5.誰でも納得できる客観的な基準にもとづいた大義なんてないからこそ戦争が絶えない
のだ。(チャーチルの第二次世界大戦回想録)
まさに現代は嵐の海を羅針盤のない船で
航海しているようなものです。どちらへ進んでいいのか判らない。早く羅針盤を取り付
けなければ沈没してしまいます。
6.客観的基準にもとづいた世界共通の大義とは、私達人間も生かされている地球の摂理、
大自然のルールにもとづいた人間として望ましい生き方です。諸行無常・諸法無我・
因縁果報の摂理にもとづいた
耐えて努力できる人になろう
他人(ひと)を思いやれる人になろう
うそを言わない正直な人になろう
こそ、誰でも納得できる人間としての大義です。
これを「宗道」と名付けました。人間として根本的な大切な道という意味です。
7.「ふじの国建国宣言」で川勝平太知事は、「物心ともに豊かな富国有徳の社会を目指
し、和を貴んで世界の平和づくりに参加する事を誓う。」と言っていますが、それには
柱となる人間としての望ましい生き方・人生観が必要です。地球の摂理にもとづいた
「宗道」の生き方が必要です。
8.「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える
「こころ」は行いになってはじめて見える
(宮澤章二「行為の意味」)
http://seneca21st.eco.coocan.jp/working/nakamichi/33_3_01.html 【3-1. 内なる自然の喪失】より
高度経済成長期以降急激に工業化、都市化が進行し、併せて農業も工業化し、農村生活も都市化した。これは国土経営を不安定にするばかりでなく、人間性の形成にも大きく影響を与えた。脳学者養老孟司は次のように指摘している1)。
・ 人工とは、人間の意識がつくり出したものを言う。都市はその典型である。都会には、人間のつくらなかったものは置かれていない。樹木ですら都会では人間が「考え」て植える。
・ 自然と人工が対立するものとなり、世界が二つに分かれるようになったのは、都市化が進んだためである。
私の見方は意識対身体、都市対自然ということである。意識と都市は同じもので、身体と外の自然は同じものである。
・ 意識がつくり出した世界、頭で考えてつくった世界を、私は「脳化社会」と呼んでいる。具体的には都市のことである。
・ 「ああすれば、こうなる」型の思考が、脳化社会の基本である。「ああすれば、こうなる」式の思考がはびこるようになったのは、人間が自然とつきあわなくなったからである。自然はたくさんの要素が絡み合う複雑なシステムである。だから、自然に本気でつきあっていれば、「ああすれば、こうならない」ことが体験できる。
でも人工環境では、そのことに気づかない。教わる機会を逸するからである。人工環境とは、むしろ「ああすれば、こうなる」が成り立つ世界のことである。
1(1)で述べたように、かつては「都市は大きな村落」であり、また周りに農村が共存していたので、都市の人間にも農村や農業が身近にあった。また農村は自然のなかにあり、そこでの営為も含め、自然のリズムに従っていたことから、巧まずして自然とつきあう機会に恵まれていた。
都市の急激な膨張は、都市からこの機会を奪っただけではなく、工業化した農業が営まれる、生活が都市化した農村でもこの機会は減少し、国民は内なる自然と外なる自然の両方を失くした。
JT 生命誌館館長の中村桂子2)は
外なる自然として
①面倒で脅威になるので、それを制御・支配下に置きたいと考える自然
②便利さを支える建造物や機械などをつくるために必要な物質やエネルギーを供給してくれる自然
③花鳥風月、心を慰め、体を休ませてくれる自然
を挙げ、自然はこの使い分けを許してくれないとしている。
また、内なる自然として生命誌の立場から
④人間
を挙げ、
「環境問題とは、自然を勝手に使い分ける対処の仕方に限界が見えてきたということであり、それは単なる限界ではなく、内にある自然を含めた自然の破壊につながる危険を見せている・・・。本来自然は一つのものであり、しかもヒトはその一部であると言う事実を再認識し、価値観や暮らし方を変える必要がある。」
と指摘している。
2 つ例を挙げよう。
① 昭和40 年代の電子計算機の急激な進歩にあわせて、農業水利の計画・設計・管理技術に資するため数理モデル・シミュレーション手法の開発にかかわったことがあるが、聞きなれない「シミュレーション」を説明する例示に「インスタント・コーヒー」を用いた。インスタント・コーヒーは本物のコーヒーを淹れるのに比べ効率的で、しかも本物に近い味がする、しかし本物のコーヒーの代替にすぎない。高度経済成長と科学技術の進歩は多く代替品をもたらし、私達はそれを享受し、一見豊かな生活を愉しんでいる。
かつては海や川で泳いだが、現在はプールが主である。プールは都市の中にあり、いつでも泳げるし、安全であり、早く泳ぎを覚え、どこもいつも均一の条件であるので記録も比べやすく、泳ぐという単一機能を達成するには確かに効率的である。しかし、海や川での泳ぎに比べ、生物を観察する、干満や流れの速さを感知し、お互いに危険に備える等を習うことがない。
このように単一機能達成の効率を追求した結果、ヒトは自然から離れ、またヒトが自然の一部であることを忘れ、ヒトとしての感性を喪失してきている。
② この傾向は一見豊かな生活を享受している世代の子どもに顕著に現われている。表1、資料1は、このことを的確に示している。
高層階に住む幼児は、低層階に住む幼児に比べ生活が自立できていない割合が格段に高い。これは表2 にみるように高層階が利便性に優れ(一般購入価格も高い)ているが、外部に、特に自然や人に接する機会が恵まれないことによるのであろう。残念ながら、庭付き戸建てや農村居住との比較がないが、そこに大きな格差があることは容易に想像できる。
表1 居住階層別にみたよう時の生活習慣の非自立状況3)
資料1 国立青少年教育振興機構「子どもの体験活動の実態に関する調査研究」(中間報告)
(平成22 年5 月)抜粋)
幼少期から中学生期までに「動植物とのかかわり」、「地域活動」「家事手伝い」等の体験が豊富な高校生ほど、「友達がとても幸せな体験をしたことを知ったら、私までうれしくなる」といった「共生感」、「経験したことのないことには何でもチャレンジしてみたい」といった「意欲・関心」、「けんかをした友達を仲直りさせることができる」といった「人間関係能力」が高い。
子どもの頃の「自然体験」や「友達との遊び」、「地域活動」等の体験が豊富な人ほど、「経験したことのないことには何でもチャレンジしてみたい」といった「意欲・関心」や「電車やバスに乗ったときお年寄りや身体の不自由な人には席を譲ろうと思う」といった「規範意識」、「友達に相談されることがよくある」といった「人間関係能力」が高い。
高度経済成長期以降核家族化が進み、地域社会との結びつきが弱くなった。これは国民や地域に長く培われてきた先祖教4)の力が弱くなり、人や他の生きものとのつながりで人は生かされている実感を失い、先祖教の伝統である正月、七夕、お盆の行事も形骸化してきた。都市にはこれに変わるものを醸成されず、人や社会を極めて不安定なものにしている。
また地域や兄弟姉妹間における交わりや野外遊びがなくなり、親はこれを補うことなく、漠然と学校教育に委ね、学校は全人教育に腰が引ける等の悪循環が生じている。これらは都市に限られたことではない。いまや農村でもプールで泳ぎ、先祖教に由来する行事・習慣も消えかかっており、生活も都市化している。
かつて農村には、家族総出で複合経営をする、家畜も飼う、農閑期には山仕事をやる等賑いがあったが、今は機械化・化学化・単作化された農業が休日に世帯主により静かに営まれている。農家の子弟は農作業、地域の管理に関わることもなく、唱歌「故郷」に謳われた「兎追ひし かの山 小鮒釣りし かの川」の情景も思い浮かべることはできない。野外体験活動は農村在住者にも必要となっている。
中道 宏 H21.3.3
*1 養老孟司「いちばん大事なこと」集英社新書 2003
*2 中村桂子「“いのち”を基盤とする社会」 草思社「草思」特集「環境問題」の真実
*3 日暮眞「都市生活と子ども」東京大学公開講座 54 有馬朗人著者代表「都市」 東京大学出版会
*4 梶田真幸「日本人の自然観~仏教と先祖教~」