闇で見守る者 13 報復 R指定 暴力的描写
「ハッ……!」
伊織は車の助手席で目を覚ました。
軽く仮眠を取っていただけのつもりが、悪夢を見てしまったようだ。
何年経っても、こうして不意に悪夢で記憶が蘇る。
呼吸と心拍数が上がっている。
「大丈夫ですか、アカツキ。少しうなされていたようですが…」
運転席で外を警戒しながら見張っていた部下が、いつもと違う様子の伊織を心配して恐る恐る尋ねる。
「…ああ。大丈夫だ。すまん、寝入ってしまったようだな。変わった動きはあったか?」
汗を拭いて呼吸を整えながら伊織が言う。
「ユノの仕掛けた「爆弾」が作動して、不正な金の動きが組長の耳に入りました。今ターゲットの処分について話し合いが行われているようです。
この隙にもターゲットに不利な情報がどんどん公開されていますし、さすがの組長も、自分の息子といえども許しはしないでしょう。」
炙り出されるのも時間の問題のようだ。
「…ターゲットが極秘に拠点を動いたようです。接触して誘導します。アカツキはもう動きますか?」
「ああ、俺は一足先に向かう。やつの誘導を頼む」
伊織はドアを開けて車を降りた。
「アカツキ、お気をつけて」
「ああ。…ありがとう」
そういうとドアをバタンと閉めた。
車の中では部下が目を丸くしている。
全く、どいつも、俺がありがとうって言うのはそんなに珍しいか。
伊織は笑った。
そして1人「現場」へ向かった。
あの日、ボスたちは「ファミリーキラー」と呼ばれる殺人鬼「ハン」を追っていた。
犯行現場をメインシティーからスラムに移したハンは、闇猫の縄張りの中でも殺人を繰り返していた
それを許さなかったボスが、ハンの居所を掴み急襲したのだった。
しかしハンはなぜかその情報を事前につかみ、ボスたちが来る前に姿を消していた。それ以来未だ行方不明だ。
ボスは組織の頭領でありながらじっとしていられないたちで、部下を連れてよく自ら現場へ出ていた。そこで伊織を救ったのだった。
それから、伊織は組織の訓練施設で育った。
辛くても、悲しくても、どんなにきつい訓練にも耐えた。
強くなりたかった。
気持ちに応えるように、体はどんどん大きくなった。
笑顔も無く誰とも付き合わず、孤高の存在。気づいたらいつの間にか誰よりも強くなっていた。
初めてコードネームで伊織を呼んだボスはとても嬉しそうな顔で喜んでくれた。
強くなったな、と言って伊織の肩を叩いてくれた。
そのボスが気まずそうな顔をして頼んできた時のことを伊織は今も忘れない。
「その…俺には娘以外にも子供がいるんだ。つまり、愛人の子どもなんだが…」
伊織はそれを聞いても特段驚くこともなかった。ボスはとてもエネルギッシュで魅力的で肉食系。女にモテまくるので愛人の1人や2人、いない方がおかしいと思っていた。
「そうですか」
「そうですかって、もう少し驚けよ」
「いえ、驚く要素がないので」
無愛想な伊織が思ったままに答えるとボスは笑った。
「くくく、まあ、そうだよな。…その愛人が死んだんだよ。もうずっと会っていなかったがな。それで、残された息子を組織に入れようかと思ったんだけどよ」
ボスはタバコの煙をゆっくり吐き出す。
「あいつ、俺に全然似なかったみたいでな。マフィアって柄じゃないんだ。優しい子でさ。
あいつのためにも俺が直接関わるわけにはいかないから、お前、たまにでいいからさ、あいつの様子を陰ながら見てやってくれないか」
「たまに…ですか」
自分を助けてくれた時より幾分老けたボスが、そう言っていつものように人懐っこい笑顔を向ける。
「…分かりました。たまに、様子を見てきます」
もしその子が優しいのなら、間違いなくあなたに似たんですよ。
そう言いたかったけど恥ずかしいので黙っていた。
カン、カンと鉄の外階段を昇る。
スラムの外れにある古いレンガのビルだ。
今頃部下たちがターゲットを嵌めてこちらに誘導しているはずだ。
炙り出してここに呼び寄せる。それがこの作戦のクライマックス。
ターゲットはここで取引をして、顔を変え秘密裏にメインシティに脱出できるものだと思ってやってくる。
こちらを逃し屋のエージェントだと騙されてくるのだ。
それを始末して屋上から落として自殺に見せかける、というのが伊織たち暗殺一派の常套手段だった。
屋上に上がる。
ここは他の建物より高く、人の目も無いし音も聞こえない。
伊織はレンガの一角に腰をかけてタバコを吸った。
「ここです。あそこでお待ちなのが我々のボスです。最後に彼と話をつけて下さい」
伊織の部下が男を連れてくる。
「冬花」の若頭だ。
「金は出すから、頼む…親父に殺される前に一刻も早くここを出たい」
伊織の前に来た若頭は憔悴した様子だ。
「組織の誰かにハメられたんだ…俺は無実なんだよ。でも、もう誰も信じてはくれない…ここを出る以外に生き残る術はねぇんだ」
伊織は圧を抑えて男を一瞥する。
「分かっている。こちらは金さえ揃えばすぐにでもあんたの顔を変えて逃すよ。金は持ってきたんだろうな」
若頭は抱えていたバッグの中身を伊織に見せた。
札束がそこには詰まっている。
「ではそれをこちらへ」
「ま、待て、一つ頼みがある。」
伊織が眉を寄せる。
「もう1人、連れて行きたい奴がいる。そいつの顔も変えて、一緒に逃してほしい、その分金も多く持ってきた。俺の情夫なんだ。どうしても連れて行きたいんだ」
伊織は感情を出さずに話を聞いていた。
「…それは、どこの誰だ」
「南地区で花売りをしてる、コウタっていう少年だ。俺はあいつがいないと生きていけねえんだ…頼む、金はある。頼むよ」
少し離れたところで見張りをしている伊織の部下は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
無表情のアカツキが、この距離でも空気がビリビリ震えるくらい怒っている。
「頼む、それだけの金はあるだろ、見てくれ、数えてくれれば分かる…」
ピッ…
空気が一瞬揺れた。
伊織の手刀が見えないほどの速さで横一文字に走り、バッグが切れて札束が舞う。
「うわ!!…な、なんだ?!金が…」
「金など必要無い」
ドスの効いた低音の声が響く。
部下は、それが伊織が本気で怒った時だけ出す声なのを知っているから、恐ろしさでその場を動けない。
伊織は皮の手袋を外すと素早く若頭の頭を片手で掴み、持ち上げる。
「ぐっあ…?!何を、する…!!」
若頭は身をよじったり伊織の腕を掴んだりして抵抗するが、伊織の強靭な肉体はビクともしない。それどころか持ち上げられているため動くと首に激痛が走る。
「痛めつけるだけでなく、顔も変えていいだと…?貴様はコウタをなんだと思っている…」
「クッソ…やめろ!!離せ!!お前は…なんなんだ…!!」
伊織はニヤリと笑う。
それは普段の伊織からは想像もつかない、邪悪な笑みだ。
腕に力を込める。
「ぐああ!!」
メリメリと骨が軋む音が部下の元まで聞こえる。
「大声を出しても声はどこにも聞こえない。お前は今からもっと恐怖を感じることになる」
伊織が愉快そうに笑いながら言う。
もはや呻く以外に若頭ができることは無い。
「さーて、まず、一発目」
バキ!と音を立てて伊織の指がわずかに頭蓋骨にめり込む。
「…!!!」
若頭は白目を剥いて体を震わせている。
「だいぶ持ちやすくなったよ。あれ、どうした。気を失うには早いぞ」
伊織は若頭のみぞおちに膝蹴りを喰らわす。
「!!!」
痛みで正気を戻した若頭は血反吐を吐いて涙を流している。
「ハハハ!!なんてツラだ…!!次、二発目。…いいか?次はもっとお前の頭に俺の指がめり込む。それでもお前は気を失えない。俺はそうする方法を知っている…死ぬまで恐怖と痛みを感じるといい」
伊織の声に若頭は失禁しながら無様に震えている。
「ハハハ!!二発目!!」
バキ!!
完全に伊織の指が頭蓋骨にめり込んだ。
「ああ、持ちやすくなった。俺の声が聞こえてるな。お前、顔を変えてほしいんだよな」
伊織は若頭の顔に膝をめり込ませる。
嫌な音がして歯が折れて鼻が折れ、体がブルブルと痙攣する。
「もう一回」
グシャッ…と音が響く。
「なあお前、コウタがいなかったら生きていけないらしいが…」
グシャッ
迷いなく顔面に膝が入る。
「生きていけなかったら何だってんだよ?」
グシャッ
「どうするんだ?死ぬのか?コウタがいなかったら死ぬのかよ?アァ??」
グシャッ
驚いたことに若頭の意識はまだあるようだった。
「だったらここで死ぬのも同じだろう。お前は手を出してはいけないものに手を出した。その報いだ」
グシャッ
「ああ、お前の望み通りに顔が変わったな。よかったなぁ。…さてそろそろ、死んでもらう」
「や、め、…ゆる…」
最後に若頭の口から言葉らしきものが出たがもう遅かった。
グシャッ
伊織は笑いながら煉瓦の壁に思い切り若頭の顔を叩きつけた。
頭蓋骨が粉々に砕けて原型がなくなった。
「あーあ、死んだ。」
ズシャッと床に放り投げた若頭だったものを、伊織は靴の先で蹴飛ばして転がす。
「ククク…」
そしてそのまま冷徹な笑みを浮かべてガンガンと踏み潰す。
メリッ!グシャッ!っと音を立てて顔以外の場所も潰されて行く。
あまりにも続けるので見かねて部下が恐る恐る声をかけた。
「あ、アカツキ!もうその男は…死んでいますので…」
伊織は小さく我に返ると、一呼吸して、返り血を浴びた顔で部下を見る。
「そうだな。ふう、終わりか。あっけない」
すでにいつもの伊織だ。
部下は胸を撫で下ろす。
「後は我々でいつも通り始末します。アカツキはお戻り下さい」
「ああ。よろしく頼む…ありがとな」
「この辺で下ろしてくれ。寄るところがあるんだ。」
メインストリート付近で伊織は車を降りる。
例によって「ありがとう」と部下に伝える。
それから、伊織は駅へ移動し、用意しておいた乗車券で寝台一等車に乗り込んだ。
行き先はメインシティ。
もう帰らないつもりだった。
部下への指示や引き継ぎは全て昨日のうちにハッキングをするふりして準備してきた。
命の恩人で、尊敬するボスの命令通り、ボスの息子を守って危険が及ばないように姿を消す。一つも間違いはない。
一つあるとしたら、また会える、なんてコウタに嘘をついたことだ。
あれは自分の勝手な希望だった。
でも、コウタはまだ若い。
ユノのサポートも付いてるし、これからいくらでも幸せになれる。楽しいこともたくさん起きる。
…俺がいなくても、ちゃんと優しく大事にしてくれる人に出会える。コウタはそうされるに相応しい人間だから。
伊織はそう思った。
列車が警笛を鳴らしてホームを発つ。
伊織はいろんな思いを交錯させながら、目を閉じて眠った。