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Baby教室シオ

提案『子育て四教訓』

2024.06.17 00:00

2024年6月14日偉人『渋沢栄一』の記事内で子育て四教訓について軽く記しました。今回改めて各項目について説明と解釈を記してまいります。


1、『乳児は肌を離すな』=基本的信頼関係の構築

この教訓は教室にお通いの乳児を持つお母様は只今学習中ということになりますが、生まれたての新生児を多くの産婦人科ではカンガルーケアーとして、すぐに母親の胸元に連れてこられアクションを取り入れています。その後乳児は母親の肌に触れ抱かれてその温もりと愛情を受けることができるようにした上で、生命に関わる重要世話を受けることになり守られているんだという無意識のうちに実感し、やがてその思いが信頼関係となり安心感を得るようになります。そこで育まれた愛情・信頼・情緒の安定・思いやりなどが徐々に育ち人格形成の土台となります。

現在科学的には母に抱かれ肌と肌を触れ合わせて行うスキンシップには、愛情ホルモンのオキシトシンが分泌され、その作用により親子関係が磐石なものとなるということが証明されています。またこのオキシトシンには不安やストレスを抑制することが分かっており、これから始まる育児の不安やストレス回避のために役立ちつということで肌と肌を触れ合うことは母子にとってとても重要なものであるということを認知しておきましょう。




2、『幼児は肌を離して、手を離すな』=自立や自立と自主性の確立

この幼児期の幅はかなり大きなもので個人差もあり1歳過ぎから幼稚園児までが対象となります。子供の特性や家庭環境の影響を受けて就学後の小学校3年生まで幼児性が残ることもあります。また乳児期から幼児期に入ったからといってすぐに脱乳児とはいきません。親子の関わりを保ちつつ親のそばにいる安全安心を子供が確認して初めて、徐々に自立の道へと進んでいくことになります。

1歳半前後からは自分でなんでもしたがるようになり、親のフォローもしてくれるなと要求する姿も出てくるようになり成長していきますが、躾に関することや感情の自己コントロールを学びながら少しずつ自分自身を律する扉の前に立つことになります。しかし5、6歳になってもまだまだ幼児は事の善悪や安全か危険、危険やそのリスクの回避、夢と現実の間を行き来などし間違った判断に陥りやすいものです。よって子供の自立を促すために親は確りと子供の様子を見守りをしつつ、乳児の頃のような手助け行動を控えめにし、子供自身ができることに挑戦する自主性を育てることが必要になります。またここぞという時には子どもが迷わないように手を携えて教え導くことにあたる必要があります。ここで親がしなければならないことは、子供を確りと見るということでこの見るは観察するの観るに近いものでなくてはなりません。子供の関心や興味はどこにあり、無関心や意識の希薄さはどこにあるのか、感情コントロールがどこまでできているのか、特出していることや課題はなにがあるのかなど自分自身の行っている手を止めて中断してでも確りと観察する必要がある事を親自身が自覚しなければなりません。必ずこの幼児期には子供を諭し教えなければならない重要なことの連続です。この時期にを逃すと子育てをどのように捉えなければならなかったかと親の反省の連続になるので、後の祭りにならないように確りと子供を観察する目を養いましょう。




3、『少年少女は手を離して、目を離すな』=勤勉性の獲得

少年少女期も子供の成長の意味を考えると幅が広い時期です。小学校時代の学童期は親の目の届かない学校というところで友人関係を中心とした社会性を身に付けることになります。実は思いっきり子供同士で向き合い社会性を身に付けさせたいところですが、家庭教育の中での躾が中途半端になっているため小・中学校では様々な問題が起き、教師たちが本来の教育指導に関係のないことにまで向き合わなければならなくなっています。それでは本来の教育が不十分となります。子供達の本当の意味での社会性を芽生えさせるためには幼児期の親の関わりがかなり重要になっています。昨今は学校に要求要望を出す親御さんが多いと聞きますが、学校に要求要望を出す前にご自身の躾や教育方針に見直ししなければならないものがあるか否かを立ち止まり考える謙虚さが必要だと考えます。本来は学校という場所は親が安心して子供を任せることができる場所でなくてはなりません。そのためには学校や教師も襟を正してもらうことも必要でしょう。この両者の関係性が良好でなくてはならないということです。できる限り小学校という段階で勤勉に物事に向き合う姿勢を身につけさせることを忘れてはなりません。しっかりと学ぶ事、与えられた役割や役目をこなす事、友人との関係性を良いものにするために相手を理解しようとする心、そして周りの人のために快く働くこととその喜びを味わい実行させる勤勉性を身に付けることが何よりも重要だと考えます。子供達が小さな社会性を初めて味わう保育園や幼稚園での生活とは異なる何事にも勤勉に向き合うためには、家庭教育がかなり重要になりその盤石でぐらつきのない家庭教育の上に本当の意味での社会性を身につける小学校時期に突入してほしいものだと考えます。

そして中学生以降の思春期の時期は更に親から自立して友人との関係性を深く構築する重要な局面に入ります。この時期に親が友達や子供の世界に介入し過ぎるとあまり良い結果にはならず、逆に親の目をかいくぐることや親と距離を置くようになり子供自身が今何を考え、何を思い行動しているのか、どのような友人関係を構築しているかさえも分からなくなってしまいます。この時期には子供を信頼するということが親にとっては重要であり、この時期に至るまでに親子でなんでも話せる環境や様々なことについて意見を交わせる状況を作っておくことが重要だと考えています。幼児期の親子関係の土台の上に就学後の勤勉性を獲得させ、子供の行動を離れたところから見ていても子供が何を考え感じているのかがなんとなく分かるという立ち位置につくことができれば、親として確りと子供と向き合ってきた手応えを得ることができます。

子どもが社会に出ていくための人間関係を作る重要な時期だからこそ、ある程度の距離を保ち親子関係を俯瞰できる立ち位置を保持しながら、いつ何時起こるかわからないマイナス因子を含む事柄から子供を守ることができるように目を離さないでおくことがこの時期に親がすべきことです。そのためには親子関係の中に信頼関係を育んでいくことが重要なのです。




4、『青年は目を離して、心を離すな』

最終章の青年期は高校生から社会人になりたての頃と私は考えています。本来は高校生を指す時期のようではありますが、社会に出たての子供達にとっては迷いも多くあり、社会という営みの歯車にいる親ができる助言や相談事に耳を傾ける存在としているべきだと考えます。

では高校生の時期について話しましょう。この頃は思春期の難しい時期を抜け出した子供もいれば、まだ親との一定距離を保つ子供もいる時期です。臨機応変に対応することになりますが完全自立に向けて子供自身が自分自身の進むべき道を模索し決定していくタイミングです。子供自身がどうしたいのかを決めることがでいる子もいれば、まだまだ何も見えていない子も昨今は多いようですから、子供自身がどうしたいのかをなるべく早い段階で話ができる環境を整えることをお勧めします。高校3年生になり慌てて「何がしたいの?」「進学はどこにするの?」と急かすようになると不協和音が生じるだけです。高校1年生あたりから自己分析をさせたり、親の目を通しての分析を伝えておくなどすることで自分には何が向いているのかなどを考えるきっかけ作りにもなるでしょう。また子どもが下した決断が親の望まぬことであったとしても尊重し話を聞いて親として受け止めることができるよう努めることが重要です。

最後に社会人になりたての子供と向き合う場合は聞き手に回る事が優先すべきことです。相談や助言を求められた時には自分自身の経験を踏まえて話をし、子供自身が自ら決断を下せるようにすることが親のできる事だと考えます。以前親御さんが30〜40代なのですがその親御さんの7、80代のご両親(生徒さんからすると御祖父母)が全ての実権を握って決めていた方がおられました。これは親の愛情から起きた行動かもしれませんが実は害でしかありません。目を離して心を離すなとは相反するものでしかないのです。子供の自立のために親は子供から目を離し、子どもが困難に向き合うときに心を寄せる親であるのがこの最終章にすべきことで、いつまでも子供の手を握り続けるのは子供の自立を阻み、青年期から中年、老年になっても自分で決断のできない人間に育ててしまうことになりかねません。

最終章の子育てとは子供の話に耳を傾ける、話を聞いてほしいと来たその時に笑顔で話を聞いていられる余裕を持てる親として存在し、あなたと共にいるという安心を伝えられるような親の最終形でありたいものです。