12月2日(日)『12月歌舞伎座昼の部、幸助餅、於染久松色読販(お染の七役)を観る』
十二月の歌舞伎座昼の部は、幸助餅と於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)お染の七役の二本。
午後の部に、玉三郎の阿古屋が出るので、夜は大人気だろうが、昼の部は、初日ながら満席ではなく、空席もあった。掛け声を出すグループは初日なので、会員が多く来ていて、要所要所で賑やかに声がかかっていて、歌舞伎の雰囲気を盛り上げていた。初日とあって松竹の偉い方々が、歌舞伎座に揃い、マスコミや演劇関係者と挨拶を交わしていた。
幸助餅は、歌舞伎座で初めて見た。落語から松竹新喜劇、そして歌舞伎に導入された、新作歌舞伎である。落語で大筋の流れは知っていたので、自然に舞台に入っていけた。落語から入った物語なので、陰気さは全くなく、情が強調されていかにも日本人が好きなストーリーになっていた。
簡単に荒筋を書くと、女ではなく、相撲取りの雷(いかづち)に入れあげた、もち米問屋の主人幸助が、身代を傾け、あげくに店を潰してしまう。吉原に妹を売った金30両で、巻き返そうと思ったが、金を受け取った帰り道、贔屓の雷に、道端でばったり合い、妹を売って拵えたせっかくの30両を、昔の様に気前よく雷に祝儀として渡してしまう。この辺りは、いかにも落語的だ。松也が幸助を演じたが、笑いを振りまいて、ちょっとお馬鹿かな店主をうまく演じている。しかし妻や親戚に諭され、正気に戻った幸助は、雷に、金を返して欲しいと頼むが、雷は、一度貰った祝儀は返せないと、にべなく断る。幸助は、恩知らずと、罵るが、雷は態度を変えない。
舞台は変わり、幸助は、再度30両借りて、小さいながら餅屋を開き、幸助餅が大ヒットし、順調に売り上げを伸ばしている。店を道楽で潰し、心機一転まき直しを計る幸助だが、成功しつつある。ある日、繁盛する餅屋に、贔屓をしていた雷が訪ねて来て、餅を一個売ってくれと言う。先般の雷の無慈悲な対応に腹を立てていた幸助は、雷に怒りの矛先を向ける。この時、吉原で金を貸してくれた女将が登場し、真相を暴露する。再度30両貸した金は、雷の金であり、販路を拡大できたのも、雷のバックアップや口添えがあったためと話す。事態を認識した幸助は、怒りが感謝の気持ちへと変わり、雷と、抱き合って喜びを噛みしめるというストーリーである。
相撲取りに入れあげる商人と言えば、双蝶々曲輪日記の角力場に出て来る与五郎が思いつく。財布、羽織、何でも贔屓の相撲取りが好きだと言う人にあげてしまう。幸助餅の主人公、幸助は、与五郎に輪をかけた相撲好きで、雷が勝つと、300両もの大金を土俵に投げ込むほどの、雷贔屓である。元が落語なので金額的には大袈裟ではある。この辺りの、雷一筋の馬鹿旦那役を、松也は、雷への大袈裟な愛情表現を、大阪弁が上手いか下手かは東京の人間なので分からないが、、感情一杯に表現していて、好感を持った。私は松也のfanで、歌舞伎の将来を支える一人と思って応援しているが、これまで、いい男過ぎて、何をやっても同じに見えてしまって、変化技が効かず、将来に一抹の不安を感じていたが、今回の舞台を見て、最初に愛情ともいえる程雷に入れあげ、途中雷に怒りをたぎらせて、最後は再び雷に愛情を持つ、幸助の感情の起伏がとても素晴らしく演じられ、初めて、松也が、人間を演じたように思えて、とても嬉しかった。まさに演技開眼である。でも、店を道楽で潰し、心機一転まき直しを計る幸助なのだが、松也の演技は、以前とほとんど変わらない。性根を入れ替えた商人で後半は登場しないといけないのに、前半の幸助とほとんど変わらない。ここは工夫が必要だと思う。
幸助の奥さんは笑三郎、久し振りに観た、幸助を支える世話女房をうまく演じていた。雷は中車、恰幅が良く、堂々としていて立派。大関らしく、顔の表情や声のトーンを変えず、冷静に演じていて大きさを出した。金を返して欲しいと、幸助が頼むシーンで、敢然と拒否する演技は、迫力があり、この冷徹で無慈悲に演じたことが、最後に新事実が明かされた時の喜びと涙に繋がった。泣いて、笑って、怒って、また泣いた人情喜劇だった。
もう一本は、於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)お染の七役、何と主役は壱太郎だ。何で、天下の歌舞伎座で、お染の七役が壱太郎なのかと不思議で仕方がない。この舞台は、玉三郎で見たいところだが、今回は玉三郎が監修に回り、壱太郎に事細かに教える立場に回った。後進の指導育成は大事だろう。歌舞伎の将来を考えると、それは分かるが、かつての歌右衛門ではあるまいし、まだまだ玉三郎は元気で綺麗だ、歌舞伎ファンは、玉三郎が監修するより、主役を張って欲しいと願っているはずだ。指導育成は勉強会や他の劇場でやって欲しい。歌舞伎座は常に一流のトップの座にある役者が主役を務めるべきだ。
玉三郎の指導があり、壱太郎も頑張ったので、早変わりに破たんはなく、台詞術も、決まりも、玉三郎写しで、そっくりだった。でも、顔は全然違った。壱太郎は、なぜかいつも眠たい顔をしていて、それが壱太郎の個性なのだろうが、早変わりして決まった時に、いつもなら爽快感を感じるものだが、壱太郎は、ピリッとした顔で決まらず、可哀想な気持ちがした。途中、猿回しの芸人に、梅枝と松也が出たが、絡む二人が主役より圧倒的に綺麗で、主役の壱太郎が飛んでしまった。歌舞伎役者は、ひと声、二顔と言われるが、壱太郎には花形でありながら美しい顔に恵まれない、可哀想だが、その分を芸で補えるほど、まだ成長していないと思った。
女形の、お染久松の早変わりは、普段から美しい役者が、わざわざ早変わりをして、七つの顔と、鬘と衣装で登場するから拍手が起きる。言わば、美しい役者の加役、変化球なのだ。だから観客も大喜びをする。綺麗な玉三郎がお染の七役を演じれば、可憐なお染が、次の場面では悪婆の土手のお六を下品に演じ、汚いメイクで、強請りたかりで脅すから、美しさと汚れの落差で、客は楽しめる。ふり幅が大きければ大きいほど、観客は喜ぶのだ。壱太郎にはその落差がまるでないので、特に土手のお六のシーンは、痛々しかった。
松竹が、あえて壱太郎にお染の七役を振ったのは、壱太郎に時代の女形のスターになって欲しいと言う狙いがあると思うが、その期待に応える芝居をするのか、歌舞伎ファンとしては注目したい。