テクノロジー、コーチングと実践哲学
ニューヨーク大学人的資本管理学部 学部長のAnna Tavis教授のインタビュー記事が雑誌HITO最新号(22号)に掲載されました。
「データとは、単なる数字の羅列ではありません。そこにあるのは事実の断片にほかならず、それらを集め、組み上げることで、人々が現実を偏見なく受け入れ、共感し、納得するための《ストーリー》となります。」
「HRにおいても、データとテクノロジーから生まれたストーリーを基にして、誰もが納得する客観的な人事評価や、より適した人材配置などを行うことで、業務の質や生産性の向上が期待できます。中でも私が着目してきたのが、「コーチング」への活用です。」
「あらゆる従業員がコーチングを受けられるようにするにはどうすればよいか」「もし人間ではなくAIがコーチとなってくれるなら、時間の制約もなく、365日いつでも好きなタイミングでコーチングを受けられます」「AIというデジタルコーチのユニークな特徴といえるのが、「安心感」です。実際に、人間のコーチよりもデジタルコーチのほうが安心できるという興味深い研究結果も出ています。この事実は、デジタルコーチングのニーズの広がりを予感させます。」
2021年春の国際コーチング週間のイベントで、わたしが「近い将来に、AIがコーチングを提供できるようになる」と話したところ、参加者の間では人間コーチにしかできないことがある、という議論で沸騰しました。
2022年春の国際コーチング週間のイベントでは、直前に南アフリカのNicky Terblanche博士がAIコーチングchatbotであるVICIを公開したこともあって、AIコーチが実用レベルに入ったことは参加者の間では現実として受け止められ始めていました。
同年11月にChatGPTが公開され、世界は激変するステージに突入し、2023年春の国際コーチング週間でもメインテーマは、生成AIでした。
そして2023年8月のブログでは、コーチングは3つの形態に分化しつつあるというのがグローバルなコーチング界の認識であることを確認しました。
この4年間を振り返ると、たぶん20世紀における40年分くらいの変化が一気に起ったという気がします。
これから私たちが向き合わなければならないテーマは、
新しい技術とともにわたし達(人間)はどのように変容するのか?あるいは変容したいのか?
という問いだと私は思っています。
一般に「技術とは人間の道具であり、使い方によって良くも悪くもなる、道徳的に中立なものである」と考えられてきたと思います。
Anna Tavis教授も「テクノロジーは人の意思決定を手助けするツールにすぎません。脅威として遠ざけるのではなく、《新たな友人》として受け入れ、出会いを自らの可能性を広げるチャンスに変えるべきです。」と発言しています。
私はラビダス創始者&CEOである小池淳義さんの以下の洞察がより的確だと思っています。
「マシーンは忠実な人間の道具であった。...マシーンが成長するとともに、人間からの指示に疑問をもって質問をしてくるだろう。『この作業の目的とゴールは何か』と。進化したマシーンはさらに究極のゴールを尋ね、人間に聞くことが正しいかを判断するようになるだろう。」
小池さんは「人間が、このマシーンに負けない目的とゴールを持っているかが勝負である」と書いています。(小池淳義『シンギュラリティの衝撃』PHP,2017年)
これは人類にとって生きるとは何か?という問いそのものです。
生成AIが人類に突きつけているこの哲学的問いに、私たちは向き合う必要があります。