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【コラム】延山敏和 退団インタビュー

2024.06.16 23:46

延山敏和[HO]

仕事で専門性を磨きたい。

 

 延山敏和は、3シーズンに及んだリーグワンでの挑戦を終えた。公式戦出場は昨シーズンの先発1試合、リザーブ1試合。今シーズンの終了間近、今季限りでの退団を告げられた。

 現在25歳。まだまだ衰えを感じる年齢ではない。親や友人も現役続行を勧めた。だが、ここでラグビーを終わらせようと自ら決めた。

「移籍も考えたけど…。言い方はあれですけど、自分では辞められなくなっていたので、誰かに終わりと言われたら、そのタイミングかなと」

 大阪市生野区出身。生野は大阪の中でもラグビーの盛んな街だ。だが、延山の歩んだルートは少し違った。もともと父親がラグビー経験者。勧められていたが断り続けていた。

「危ないから嫌だと言ってたんですが、友達に”一緒に行こう”と誘われて体験会に行って、人数が足りなくて試合に出たら活躍できて、そこから…」

 小4で大阪中央ラグビースクールに通い始める。地元の生野中学に進むが、そこにラグビー部はなく、大阪中央RSが延山のために「中学部」を作ってくれた。とは言え、部員はひとり。「強い選手とやってみたい」と、スクール選抜の選考会に参加したことから、今に至る道が始まった。区内にある大池中学の先生に誘ってもらい、平日はそこの練習に参加。仲間と揉まれた。

 御所実への進学も、自ら切り開いた。学校に「練習に参加したいんです」と電話。中3の週末は、自宅のある生野から御所まで練習に通った。

「御所実がいいと思ったのは、花園で竹井くん(勇二=今季で引退)の試合を見て。そこで憧れを持ったからなんです」

 竹井とは4学年違い。まさかトヨタで一緒のチームになれたとは、と顔を崩す。

 大学の進路が決まるのは高校2年時だが、運悪くその時期に足を骨折。大学選手権の常連チームから声はかからなかった。だが気にしなかった。

「大学よりは、自分次第だと思っていたので。頑張れば切り開けると」

 関東大学リーグ戦2部の山梨学大に入学する。当時の吉田浩二監督の下で鍛えられた。

「山梨は結構面白かったです」

 目標はトップリーグ(リーグワン)でプレーすること。だが、なかなかプレーを見てもらえる機会は巡ってこなかった。

「3年の時に悩んで悩んで、もうラグビー辞めようと思って」

 一般学生と同様に就活を始め、合同説明会に足を運んだ。

「そこで“やっぱり普通に働くのは無理だ”と。自分はどうしたいか、もう一度考えて、トップリーグを目指そうと」

 後押ししてくれたのは、地元大阪のラグビーをしていない友人たちだった。建築系、S&C、ファイナンシャル・プランナー、トレーナー…。それぞれ夢を持ち、やりたい仕事に打ち込んでいた。

「みんな専門的に活躍していて、自分も誇れるものが欲しかった。そこで“もう一度ラグビーで頑張ろう”と。ストレートにこの道で行くと覚悟して、就活を辞めました」

トヨタから誘いが来たのは、大学生活も終わりのころだ。

「コロナ禍でしたが、練習を見に来てくれて決まった。すごく嬉しかったです。ホンマに夢やったから」

 22年度、リーグワン最初の年に加入した。HOの先輩には彦坂圭克、加藤竜聖と二枚看板がいた。出番が来たのは2年目の第8節・GR東葛戦だ。

「めっちゃ緊張したけど、全力でいきました。みんなが自分をサポートしてくれて、安心感があった。ゲームが始まって一発タックルいって、キャリーしたら緊張がほぐれてきて。スローはミスりまくったんですが…」

 21-18で勝利。翌週の横浜Eとの試合でもリザーブ入りしたが、その後はメンバーに入る機会はなかった。課題はスローイング。自分でも分かっていた。

「そこで信頼を得ないと無理だろうと。自分はベストを尽くして、評価されるのを待っていました」

 3年目で迎えた今季、ミライマッチでもHOで出る試合は少なかった。

「HOとして、なかなかプレータイムがもらえず、モチベーションを保つのが難しかった。正直、ラグビーで成長してないとも感じていました」

 シーズン終盤、「来年も、もう1年同じことをするのかな。心のどこかで引退して会社に戻った方がいいんじゃないか」と考えていたとき、退団を告げられた。

「すっきりしたけど、もう少しやりたかったなあという気持ちもあります」

移籍を考えたとき、35歳を過ぎてプレーを続けている己の姿は浮かばなかった。

「ラグビーを続ける方が簡単なんですけど」

 険しい道を選び、仕事にターゲットを切り替えた。「専門性を20代のうちに磨きたい。ラグビーも専門性かもしれないけど、社会に出て専門性をアップさせている仲間を見ると、焦りもある。絶対やれると思う」

社業に追われる中、「もうちょい」の楽しみも見つけた。中学時代に延山が誘ってラグビーを始めた友人が、大阪のクラブチーム「千里馬」でプレーしているのだ。地元へはちょくちょく戻っている。生活のペースを作れば、故郷のチームでプレーすることも十分可能だ。

「彼と一緒にプレーしてラグビーを終えることができたら、自分の中で納得できるなと」 

 中学の時から、自分でチャンスのドアを見つけてきた。その過程こそが延山の財産だ。今度は仕事で、どんどん道を切り開く。