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粋なカエサル

「クリスマスと聖書」②「受胎告知」とヨセフの葛藤

2018.12.14 23:21

 マリアは聖霊によって身ごもるわけだが、そのような現実を婚約者のヨセフはどう受け止めたのだろうか。「マタイによる福音書」はこう記す。

「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によってみごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」

 ここで婚約中でありながら「夫ヨセフ」と書かれているのは、当時は婚約によって法律上は夫婦と認められたためだ。だから、自分が関係して妻が身ごもったのであれば、一緒に住めばいいだけのこと。しかし、ヨセフには全く身に覚えがないのにマリアは妊娠したのだ。他の男と関係したと考えるのは当然。そしてそうだとするとマリアは姦淫の罪をおかしたことになり死刑(石打の刑)に処せられる。

「ある男と婚約している処女の娘がいて、別の男が町で彼女と出会い、床を共にしたならば、その二人を町の門に引出し、石で打ち殺さねばならない。」(「申命記」22章23節~24節)

 ヨセフはマリアが信仰篤き女性だと知っていたはず。まさか婚約者がいながら別の男性と交わったなど信じられない。しかし、妊娠しているのは事実。マリアの身に何が起こったのだろうと、考え悩んだに違いない。ヨセフが関係していないにもかかわらず妊娠したことが表ざたになれば、夫以外の男と関係を持った、すなわち姦淫の罪を犯した者としてマリアは石打の刑に処せられる。ヨセフは「ひそかに縁を切ろうと決心した。」。しかし、縁を切っただけで事は解決するのか。愛するマリアは、シングルマザーとして冷たい視線にさらされながら生きて行かなくてはならない。ヨセフもマリアを妊娠させながら捨てた不実な男のラッテルを張られる。一番いいのは、マリアと一緒になり、その子を自分の子として育てていくことだが、そこまでは思い切れない。聖霊による妊娠など信じられない。マリアを愛し、信じつつも、他の男と交わったのではないかという不安を拭い去ることができない。

 そのように「考えていると」(これは『新共同訳聖書』の訳。『口語訳聖書』では「思いめぐらしていた時」となっていて、縁を切る決心をしてもまだ思い悩むヨセフの心理状態がよりはっきりわかる)、主の天使がヨセフの夢に現れてこう言った。

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

 ヨセフもマリア同様、神の忠実な僕(しもべ)、「正しい人」だったのだろう。天使の言葉を受け入れる。

「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」

( 1291年ピエトロ・カヴァリーニ「受胎告知」ローマ サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会)部分

神、聖霊(鳩)が描かれ、マリアが聖霊=神によって受胎することが明確に描かれている

(1455年ピエロ・デラ・フランチェスカ「受胎告知」ペルージャ 国立ウンブリア美術館)

神によってマリアが身ごもることが強調された作品

(ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール「聖ヨセフの夢」ナント美術館)

聖書には、ヨセフが夢に従って重要な決断をする場面が4回登場する。受胎告知に関する夢は、そのうち最初の夢。

(ピエール・パロセル「聖ヨセフの夢」ノートル・ダムおよび聖カストール大聖堂 ニーム)

(ペルジーノ「マリアとヨセフの結婚」カーン美術館)

聖書には、二人の結婚の場面は登場しないが、絵画作品は少なくない。

(ラファエロ「マリアとヨセフの結婚」ブレラ美術館)