東洋型弁証法(タオ、陰陽原理)
https://ocw.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2021/04/2009_shinkatohananika_7.pdf 【京都大学全学共通少人数セミナー 平成21年度前期 科目名: 創造性とは何か?】より
担当教員名: 村瀬 雅俊 場所: 基礎物理学研究所 日時:毎週火曜日 第5時限
進化ダイナミックスにおける自己・非自己循環原理の探求
― 構成的認識の理論と実践 ―(その6)
4-5.構造主義再考
言語学に関して、チョムスキー以前の言語学に代表される構造主義言語学とチョムスキーの立場をそれぞれ概観しておきたい。従来までの言語観は、人間の「外」に存在する客体とっての言語(Externalized言語)を信じて疑わなかった。この「直接観察可能」な言語現象に対象を絞った構造主義言語学は、音韻現象を中心とする分類学的記述に終始し、その結果、一種の閉塞状態に陥って学問的命運がつきてしまった(福井、辻子、2003)。
生成文法では、「言語」(Internalized言語)という概念を、一貫して人間が心や脳の「内」にもっている言語能力という意味で捉えている。つまり、「言語」とは人間を離れては存在せず、「言語の本質」とは、あくまでも人間の心や脳の「内」にこそ存在する。その意味では、言語の研究は人間の脳の研究に他ならないといえる。この考えのもとに、チョムスキーは数概念の構築にも言及している。チョムスキーによると、数概念の構築機能は、言語機能の副産物
ではないかという。実際に、文の長さは無限に長くできるし、言語の方が数よりも古くかつ普遍的に使用されているようである。したがって、数概念の構築には、言語同様に、生得的機能が働いているのではないだろうか。
構造主義では、主体をはなれて外的に存在する客体の実在性を前提とし、その対象に対する構造分析を進めていた。図23に示しているように、この場合は2つの最基底構造から、対立的な背反分岐、非対立的な非背反分岐、および収斂の操作を繰り返すことによって、構造の構築が可能となる。
図23(略)
確かに、主体を離れて、客体として独立した構造を分析する限り、客観主義の限界を超えることはできない。客観主義とは、一方から他方を再構成できるという立場である。しかし、最基底構造として、全く異質な2つを前提とするとどうであろうか。構造主義の立場をさらに有効に発展することが可能なのではないだろうか。一方は主体的なもの、他方は客体的なものを考えてみる。そうすると、理論生物学者の郡司幸夫(2002、2003)が指摘しているように、2
つの齟齬から何かが発生する。それを用いて、生命にアプローチ可能となるのではないか。私が提唱している自己・非自己循環理論(2000)も、こうした主張と同型である。
4-5.弁証法再考
このように眺めてくると、ヘーゲルの弁証法とどのように異なるのかという疑問がわいてくる。その答えは、図24に概説しているとおりである。一言でいうならば、西洋型弁証法では矛盾対立を前提とするが、最終的には矛盾対立の解消-すなわち、矛盾対立する二項のどちらかに一面化-することが目標とされている。ピアジェの発生的認識論においても、主体と客体の混沌とした状況を前提とするが、最終的には客体側に一面化するプロセスが強調されている。
弁証法
• 西洋型弁証法(ヘーゲル)
定位(テーゼ)、反定位(アンチテーゼ)、統合(ジンテーゼ)による矛盾の解決。
• 東洋型弁証法(タオ、陰陽原理)
A の中に A であること(あるいは、近いうちに A となること)が含まれている。矛盾を利用して事態を把握する。
• 自己・非自己循環理論(村瀬)直線的西洋思考と円還的東洋思考を統合する。
A B B B
Endo-exo circulation
図24
これに対して、東洋型弁証法というのは、矛盾の解消を目標とはせず、逆に矛盾を利用して事態を把握することを目標としている。禅問答で、あらゆる言論がことごとく論破されてしまう。その理由は、矛盾のない論理そのものを根本から打破したところから、再出発することを身をもって納得する必要があるからである。禅については、参考資料を参照していただきたい。
私の立場は、西洋型弁証法に一面化することでもなく、また逆に東洋型弁証法に一面化することでもない。その両者を統合してこそ、自然現象の把握とその伝達が可能となる。どちらの方法にも、利点と欠点がある。両者をともに駆使することによって、はじめて自然の神秘が理解できるようになるのではないだろうか。