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蔓を伸ばす植物の巻き方

2024.06.19 06:57

https://amimumeyasu.blog.fc2.com/?no=3320 【カニクサ】より

 好きなシダ植物にカニクサがある。カニクサを使って、先回の観察会でカニクサを採集。リース材料に持ち帰った。カニクサの巻き方は左巻きか右巻きか。その時見た限りは左巻きだったがシダ植物のこと、右巻きもあるかもと調べて見たら、やっぱり右巻きがある事がわかった。本当のつるではないので、巻き方は決まっていないのだろう。

 カニクサはカニクサ科のシダ植物。葉が長く伸び、葉軸がつるの様に延びて、物に巻きつく、変わったシダ植物だ。いくら長いつるに見えてもこれは一枚の葉とのこと。葉のように見えるのは、左右に枝分かれした葉片で、茎は地下を横に這う。

カニクサを少しおしゃれに飾って見た。これはカニクサの栄養葉で、羽裏にはソーラス(胞子嚢の集合体)が無い

胞子葉は切れ込みが細かく、ソーラスは葉の縁に突き出している。(写真は胞子葉の葉裏のソーラス)


https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=89 【蔓を伸ばす植物の巻き方】より

質問者: その他 池田公昭

登録番号0089 登録日:2004-06-21

自給農園を自然農法や有機農法によって営んでいます。

蔓を伸ばしてからみつきながら伸長する植物の、蔓が巻き付いていく様子を見て不思議に思うのは、蔓の巻き方向です。

例えば自然薯で、巻きつかせるための支持棒を垂直に立てたとしますと、天に向かって時計回りで巻いていきます。

いたずらで左巻きに誘引しても、なんとしても右巻きになろうという意志が感じられます(^^;

巻き方向を決めているのはどういう仕組みからなのでしょうか?

左巻きが得意なものもあるのでしょうか?

南半球で栽培すると、反対になったりするのでしょうか?

池田公昭様

蔓はほとんどの場合、茎が進化したもので、その巻き付く方向は植物種により右巻きか左巻きのどちらかに遺伝的にきまっています。巻き方向の左右性は、植物の生育条件や生育場所(北半球や南半球)には影響されない、その植物種固有の性質です。

根や茎などの軸器官の細胞は、細胞分裂により細胞がうまれた最初は立方体に近い形をしていますが、軸器官が伸びるに従い、細長くまっすぐに伸び、最終的に長い円柱状の細胞になります。すなわち、細胞が一定方向にまっすぐに伸びるおかげで、根や茎という多くの細胞で構成される軸器官がまっすぐに伸びると考えられます。一方、蔓などのねじれて伸びる器官では、本来ならばまっすぐに伸びるはずの細胞が右または左のどちらか一定方向にわずかに傾いて伸びる為に、右巻きや左巻きの蔓になります。

それでは、細胞がまっすぐに伸びたり、右や左に傾いて伸びるのは、どういう仕組みによるものでしょうか?遺伝子解析が容易なシロイヌナズナという実験植物のねじれ変異株の研究から、微小管という細胞骨格が重要な働きをしているらしいことが最近解ってきています。シロイヌナズナはつる性植物ではありません。従って、つるを持ちませんし、根や茎といった軸器官もまっすぐに伸びます。しかし、根や茎がねじれて伸びる変異株がいくつか発見されました。興味深いことに、これらのねじれ変異株は変異株により右巻きか左巻きのどちらか一方にのみねじれ、ねじれ方向は無秩序ではありません。ねじれ変異株の原因遺伝子はすべて微小管の構成成分や微小管の働きを調節する因子であり、微小管の働きが通常とは異なったおかげで、細胞がまっすぐに伸長できなくなり、右または左に傾いて伸びることが解りました。

植物細胞はセルロース繊維などで構成される堅い細胞壁に囲まれています。細胞が膨らむ時には細胞壁はゆるむことが必要ですが、ただ一様にゆるむだけでは風船が膨らむように丸い細胞ができてしまいます。細胞が細長く伸びる為に、伸長方向に対し直角にセルロース繊維が並び、細胞の側面にぐるぐると円を描くように巻き付いています。ちょうど、樽の側面をはがねで締め付けているような感じです。この時、細胞が膨れようとすると、横方向には膨れることができず、縦方向にのみ膨れる、すなわち細長く伸長することになります。セルロース繊維は細胞の外側にある細胞壁に作られるため、その繊維がどの方向に並ぶかは細胞の内側からコントロールしなければなりません。長年の顕微鏡観察により、伸長している植物細胞では、細胞膜の内面にへばりついている微小管(表層微小管と呼びます)がセルロース繊維と同じ方向に並んでいることが解り、この表層微小管が細胞膜を隔てて、細胞壁のセルロース繊維の並び方を決めている、すなわち細胞の伸長方向を決めていると考えられるようになりました。

面白いことに、右巻きのねじれ変異株では表層微小管は左巻きのヘリックスを作るように傾いて並んでおり、一方、左巻きのねじれ変異株では反対に右巻きヘリックスを作っていました。図を描いてみると理解しやすいのですが、左巻きの微小管は細胞の外側から見て右斜め上方向と左斜め下方向に伸長する力がかかると想像されます。右巻きの微小管ではこの逆です。すなわち、細胞が右または左に傾いて伸長するのは、表層微小管の並び方によって決められている可能性が強いことが解ってきました。微小管の働きがどのように変わった時に、微小管が右巻きや左巻きのヘリックスを形成するのかは、まだ解っていません。

植物細胞がまっすぐに伸びるのは、微小管細胞骨格の並び方が厳密にコントロールされるおかげであり、このコントロールが少しでもおかしくなると、細胞は右または左に傾いて伸びてしまいます。つる性植物は進化の段階で、植物が元来備わっている微小管コントロールの仕組みを少し変えることにより、積極的に右または左の一定方向に傾いて蔓を伸ばすようになり、支柱に巻き付きやすくなる性質を獲得したものと想像されます。

回答者 橋本 隆

奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科

ホームページ http://bsw3.naist.jp/hashimoto/hashimoto.html


https://kodomono-mori.com/blog/?p=19675 【宇宙と自分とのつながりを感じる〜フィボナッチ数列〜】より

プラネタリウム番組「MUSICA(ムジカ)〜宇宙はなぜ美しい?」が、YouTubeで期間限定公開されています。(2020.7.3正午まで)

高学年クラスの選択プログラムで、この動画を見てワークショップをやってみました。

部屋を暗くして、天井にはプラネタリウムを投影。

気分も上がります。

この番組では、「なぜわたしは自然を美しいと感じるんだろう」という問いかけから始まります。

音楽も自然も、規則正しい秩序でできていて、ひまわりやカリフラワーの花、オウム貝、台風の渦など、自然界のあらゆるところにらせんの形が現れています。

それは、フィボナッチ数列という美しい数の並び。

わたしたちの住む地球も、太陽系も、天の川銀河も、大きならせんを描いていて、わたしたちの身体の奥の奥、細胞の中のDNAもらせんを描いています。

そして、この宇宙に奇跡的に存在するいのちの星、地球。長い長い年月をかけて紡がれた、命のリレー。わたしたちの中にも宇宙があり、それが共鳴して美しいと感じるのです。

唯一無二の自分。

かけがえのない地球と、自分自身を大切に思う気持ちが湧いてきます。

動画を見終わって、子どもたちに感じたことを聞いてみました。

「自分の中にもあるなんて、すごい」「フィボナッチがいろんなものにあるなんてびっくり」

「音のリングがきれいだった」「いのちはどうやって生まれてきたのか知りたかったから、聞けてよかった」中には「フィボナッチ数列、知ってるで」というツワモノもいました。

ここで5分間の休憩時間。

子どもたちは次々に床にごろりと寝転がって、プラネタリウムを眺め始めました。

「きれいやなあ」「寝転んでみたほうがいいで」「気持ちいい〜」

天井に投影された地球を見て、子どもたちは何を感じたでしょう。

さて、後半はひまわりの観察から始まりました。

番組の中で、ひまわりの種の並びが2つのらせんになっていること、葉のつき方が一定の間隔で、全ての葉に光りた当たるように生えていることが語られていました。

それを、本物のひまわりで確認してみました。

「ほんとにらせんがある!」「葉っぱ、確かにあちこちに広がってる」「このらせんがフィボナッチ数列になっているって言ってたね」

フィボナッチ数列とは、前の2つの数字を足したものが次に来る数字の並びのこと。

0、1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89…

そしてこの数字を図形にしてみると、このようなきれいならせんの形になるのです。

なんてふしぎなんでしょう。

「さあ、では今からみんなでこのフィボナッチ数列を長〜い紙に書いていって、その周りにらせんを持つものたちの絵をつけていこう」

数列を書きたい人たちがたくさんいたので、2グループに分かれて、それぞれ1項1項、計算しながら数列を書き始めました。

周りにつける絵に色を塗っていく人たち。 

実際にひまわりの種のらせんの数を、1本1本確認している人もいました。

「1、2、3、……本当に34本と55本ある!!」

時間をかけて、根気よく数を数えていました。

こうして、みんなで作ったフィボナッチ数列の掲示物が完成しました。

  

ふしぎで美しい、宇宙の数式。

音楽、数学、自然、宇宙、そして自分自身が

らせんという同じ形を持っていることの驚きと感動を、

子どもたちと分かち合えたかけがえのない時間となりました。

(A.M)