仄聞
シャッターは一瞬なれど写真は一生。何歳になろうとも同級生を特定するに欠かせぬは。
いや、当人らはそんなこと知るはずもなく。卒業アルバムの撮影を前に生徒の間で化粧が話題とか。化粧といわぬまでも、せめてヘアアイロン、とねだる娘に「いらぬ」と、にべもなき妻。ならば私が、と口を挟むに。
原稿がボツになる位だから説得力に欠ける、いやいや、その位、切れ味が鋭くなくば役目は果たせぬ。寝ているようで立っているは耳。代表質問は会派としての看板を背負いし質問にて全体を幅広く網羅するがゆえに個の協力が欠かせず。
誤字脱字の訂正は言わずもがな、言い回しや語尾の統一感。それとて、ですます調こそ理想。「おります」「させていただきます」など丁寧と知れど、へりくだった語句は役人を相手に似つかわぬ。
前後の脈絡は忘れてしまったが、事実関係を問う質問の前に付されるは「そのような事実はなかったと思われるが」の一文。あくまでも主観、推測の域を出ず、似た表現に「と仄聞するが実際はどうか」など。
仄聞とは一般的に聞き慣れぬ特有の言い回し、使わば高尚に見えそうなれど、ちょっと耳に挟んだ的な意味合いに過ぎず。つまるところ風評の信憑性を問うが如き、およそ仄聞する内容は真実であること大半、ならば断定の語調にて。自信をもって堂々と正論「らしく」述べることこそ。
そして、いま一つは「検討」。その意味するところはいつぞやに記したやもしれず。「の実現に向けた検討を求める」なんぞ、まどろっこしい、回りくどく。そのまま単刀直入に実現を求めればいいではないか。そんな当人の心理を分析するに。若輩の私如きが、んな大それたことを市に求めるはおこがましく、せめて、俎上に載せる位は、と。
つまり気弱というか、ある意味では「いい人」の証左なれども、それこそが官尊民卑の最たるもの。ハナから弱腰で仕事が出来るか、市議と役人の間柄にあっては遠慮は無用。こちとら曲がりなりにも有権者の負託を受けている以上は。
ならば役人側はどうか。仮に「大それた」ことを求められたにせよ。相手が相手だけに無碍に断るに忍びず、面目だけは潰さぬよう意だけは酌んで、との気遣いだったりも。いや、逆に「やる」ことが半ば確定的といえどもその二字さえ伏しておかば万が一の保険にもなり。
実現如何に関係なく「含み」持たせるに都合よき語彙であって。質問時から付すは敵に塩を送るようなもの。いや、向こうとて自らの切り札を先に切られては立つ瀬なく。以上、勝手な推測に基づく解説なれど当の質問者は意外とそのへん意識がなかったりもして。
劣化が目立つは市議側のみにあらず、金太郎飴が如き役人の答弁も昔はいま少し気が利いた内容だった気がせんでもなく。それを許してしまうところが市議の甘さか。
(令和6年6月20日/2860回)