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13th hour garden

香落渓夜話(一)

2016.02.16 13:23

「なんでお前がまだウチにいんだ?!」

「痛てーんだよ、体中がっ」

学校から香落渓の仮住まいへ帰るなり、布団の中で新聞を読んで寛いでいる相手の顔を見て思わず叫んだ狭霧に、千乃介は半ば開き直ったように答えを返した。こんなところに誰が好き好んでいるかといった口調だ。

しかし、黙り込んだ狭霧の反応を見て、いささか気が咎めたかのように千之介は言い訳した。

「俺は帰れるって言ったんだけど、兄貴がムリすんなって・・・」

「一乃介さんが?」

狭霧がそう言いかけたときに、電話の呼び出し音が鳴った。鞄を投げだして、受話器をとる。

「三太か?」

電話の相手は一乃介だった。

「うん。一乃介さんはどこから?」

「今、名張だ。もう会ったと思うが、千乃介を置いていく。悪いが、千がもう少し回復するまで家に置いてやってくれないか。本人は一緒に帰ると言ったが、立っているのもつらそうなんでな・・・本来なら俺がついてやるべきなんだが、流石にこれ以上仕事を休むと周囲に迷惑をかけちまう。厄介をかけてすまないが」

二、三のやりとりのあと、狭霧が電話を切ると、布団の中から伺うように千乃介が見ていた。

「兄貴、何て?」

「・・・お前が自分で帰れるようになるまで、面倒見てやってくれって」

溜息混じりの狭霧の言葉に、千乃介はムッとした表情をした。

「面倒ってのは何だよー、大体、兄貴が心配症なんだよ。これぐらいのケガ、何でもないんだから。迷惑だってんなら、すぐ出ていくよ」

そう言って千乃介は立ち上がろうとした。が、すぐに顔を顰めて再び座り込んだ。

「やめとけ。キズが開くぞ」

言い捨てて、狭霧は障子を開けて隣の部屋へ引っ込んだ。が、すぐに小さな木箱を手にして戻ってくる。千乃介の布団の傍らにひざまずいて、木箱の蓋を開けた。

「何だ?」

「薬を塗って、包帯を取り替えるんだよ。これは打ち身によく効くんだ」

狭霧は木箱から小瓶を取り出して、緑がかった褐色の塗り薬を、生々しい傷跡が残る千乃介の身体に塗った。よく効くという打ち身の薬のひんやりとした感触に千乃介は思わず身体をすくめたが、狭霧はかまわず薬を塗り終え、手際よく包帯を巻きなおした。

「終わったぞ」

そう宣言し、狭霧は薬を木箱に戻し、残った包帯を片づけるために立ち上がった。ふと見下ろすと、布団の中で千乃介が居心地悪げな表情を浮かべていた。

「何だ?」

「いや、その・・・厄介かけてすまないな・・・」

狭霧と目を合わせないように、千乃介はぼそぼそとつぶやいた。狭霧は一瞬瞠目し、その後小さく笑いを漏らした。

「なっ何がおかしい?!」

「いや・・・」

そういや、こいつとは箱根でも始終こんな風に角突き合わせてたな。それほど遠い昔でもない記憶が甦り、狭霧は微笑した。

まさか、またこいつとこんな風に再会するとは思ってもみなかった。

千乃介は、相手の微笑を少々気味悪げに見つめていたが、他に気になることがあるのかそれ以上は深くは追及してこなかった。気まずい沈黙が数秒続いた後、千乃介は言い出しにくそうに切り出した。

「・・・あのさ、お前、明日もガッコ行くんだよな」

「トーゼンだろ。それがどうした?」

「・・・学校で矢島に会っても、俺がケガで箱根に帰れなくてここにいるってこと、内緒にしといてくれねーか?」

狭霧が黙ったまま説明を求めるような視線を投げると、千乃介は焦ったように、

「だって、今回俺かなりカッコ悪いじゃん。雨宮に捕まって、人質になんかなったりして。大場さんにも矢島にも散々メーワクかけちまったし、せめてこれ以上、余計な心配させたくないなーと思ったりして・・・」

言いながら語尾が消えていく。

バツの悪そうな千乃介の顔を思わず狭霧は見直した。

そうか、こいつ矢島に・・・

犬猿の仲の自分に頼み事をしてでも、矢島にカッコ悪い姿をこれ以上みられたくないということか。

狭霧はフッと笑った。その笑みに再びいきり立ちそうな千乃介を制し、

「あー、だからすぐ興奮するなって。ケガ人は大人しくしてろよ。・・・矢島には内緒にしといてやるから安心しろ」

「そ、そうか」

千乃介はほっとした顔で浮かしかけた腰を下ろした。が、その顔にまだ何か言いたりなさそうな表情が浮かんでいるのに狭霧は気が付いた。

「何だ、まだ何か言いたいのか?」

「あ、いや、そのー、俺実は・・・」

その時千乃介のお腹が盛大に鳴った。呆気にとられた狭霧を気まずそうに見ながら千乃介は言った。

「俺、雨宮に捕まってから何にも食べてないんだよね・・・」