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“穢れ“とは、“氣枯れ”

2024.06.21 10:09

Facebook能村 聡さん投稿記事

神道はひと(霊止)を裁かない~神はあなたの内にいつもいます

神道は確かに宗教に付きものの教義や戒律はありませんが、“祝詞”のような八百万の神を言祝ぎ(ことほぎ)、神々に歓びと感謝を捧げるご神行や、神々とつながって魂の浄化を行う禊ぎ祓いの行はあります。それは、何のためでしょう?

“穢れ“とは、“氣枯れ”であり、三次元を超越した至高存在がジャッジする罪や罰ではありません。穢れ祓いとは、ネガティビティをは祓い落として浄化し、氣という宇宙生命エネルギーを回復することです、それはあたかも乾燥で萎れた花が水を与えると元氣を取り戻すように…

その意味で、以下で触れられているように、神道とは神即自然、そして神即生活(生活とは生=いのち を活かす)、てなわけですね!奥が深いですね。

古神道でも、神々(多神教的)の存在は認めますが、神仏習合のように、他の宗教も包摂します。

自然や宇宙の森羅万象そのものが神であり、同時に、神とは私の内にある霊的存在です。

人類の霊性進化に日本古来からの神道のスピリットから学ぶことは大きいと思います。

以上はただの持論です🤣🙏


Facebook真実 ドナテロさん投稿記事

日本人が大事にしてきた教えのお話です。

以前、熊本の幣立神宮で正式参拝をさせてもらったときに、神主さんがこんな話をしてくれました。

「日本人が大事にしてきた叡智である『神道』には、あるものがないんです。他の宗教だったら考えられない、決定的なものがない。なんだと思いますか?」

なんだと思いますか?「教えがない」んだそうです。教えがない宗教なんて、他に考えられます?でも、教えがないから相手を裁かないし、ケンカせずに相手に合わすことができるんです。教えがないということは、教えを守らなかったときに落ちる地獄もないということ。

地獄がないから、誰かに救ってもらうべく救世主も必要ないのです。

日本人は救世主を待たなくてもひとりひとりが内なる叡智とつながっていけると考えていたのです。

教えはない。救世主もいない。そんなの宗教じゃない(笑)。そう、宗教じゃないんです。

「神道」は宗教ではなく、日本人の「生活」だったんです。

「では、教えがないかわりに、何があったと思いますか?」

神主さんの話にはまだ続きがありました。「美しいか、美しくないかで判断する感性があったんです」これが答えでした。「その行為は美しいのか?」これが日本人の生活(神道)の本質だったわけです。

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なぜジョブズは、黒いタートルネックしか着なかったのか?ひすいこたろう 著滝本洋平 著

A-Worksより

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火薬で爆発させる技術が日本に伝わったとき、日本人はそれを「花火」に使った。

江戸時代、お金を借りるときの借用書に、期日までに返せなかった場合は「お笑いくだされ」と、この一言だった。「江戸しぐさ」の一つ、「うかつあやまり」もそうです。

例えば電車に乗っていて、ちょっとしたブレーキで電車が揺れて足を踏まれたとします。

こんなとき、どうします?

眉間にしわを寄せて「チッ」と舌打ちする?それとも、「イタっ!気を付けて下さい!」と直接言う?

江戸っ子は違ったそうです。

「そんな所に足を出しちゃってごめんよ」とか「足が長くてすみません」

つまり、踏まれたのにもかかわらず謝るのです。

薩摩(現在の鹿児島県)に伝わる「薩摩の教え 男の順序」というものがあります。

1、何かに挑戦し、成功した者

2、何かに挑戦し、失敗した者

3、自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者

4、何もしなかった者

5、何もせず批判だけしている者

これは、美しさの順序といっても良いでしょう。

正しいか間違っているかで判断しようとすると、「自分は正しい、相手は間違っている」とお互いが思っているわけですから、ケンカになります。

美しいか、美しくないかを基準にしたら、そもそも言い合うことさえも粋じゃない気がします。

生き様の美しさを魅せ合うようになったらいいですね♪

※魂が震える話より


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10206041935?__ysp=5bGx6JSt56We6YGT44Go44Gv77yf  【山蔭神道とは何ですか?】

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Mgr.Yui

2019/4/10 23:10(編集あり)山蔭基央(1925-2013)が唱えた、神道です。

「山蔭家に代々伝わる古神道」と山蔭基央は述べていますが、古神道でない行法が数多くあるので、真偽のほどは不明。

200年くらい前のご先祖である山蔭員衡卿(七十五代)が吉田神道の分家の嫡男で、この人が太古神道に吉田神道や垂加神道を総合加味して作った神道を、いわゆる「山蔭神道」と呼んでいるようです。

山蔭基央は「七十八代 中山忠英卿の猶子」と自称していて、血のつながりはないようです。

愛知県に本宮があり、横浜市にも分社(東海斎宮)があります。

山蔭基央の出自はともかく、彼の神道の理念や考え方は意外にしっかりしていて、まともです。

霊学の説明に神智学を借りたりするの少し違和感ありますが、彼の禊ぎの哲学、祓の説明、鎮魂法などは、参考になる部分もあります。

神道系の新興宗教は星の数ほどありますが、山蔭神道もその一つといえるでしょう。

たしかに、明治期の古神道復興でいろんな思想家がいろんなことを説いていた時期があり、その残滓が山蔭神道からも見てとれます。

教義や行法など、明治・大正・昭和に成立した感があり、雅(みやび)な教えではありません。

霊能者に対する考え方も、ハッキリしています。

現代ではスピリチュアルウォーカーとかチャネラーを自称する輩が多いですが、ずっと前から彼らの危険性も指摘していますね。

山蔭神道といえば、今では「アジマリカン」(アヂマリカム)があまりにも有名でしょう。

古神道に似つかわしくない、お経のような、漢心まるだしの呪文ですが、何度も唱えると神通力が得られる「大神呪」として、信者は奉唱します。

あとは九字を切ったり護摩(浄焰祭と呼んでます)を焚いたりもしますので、修験道もだいぶ混入してますね。

そういう混淆も神道ならではですが、ここまでくると、もはや「古神道」とは呼び難いですよね。

https://www.youtube.com/watch?v=mQwl7XIGSJY

https://www.youtube.com/watch?v=3Nu3wNtINe8&t=740s