二十三冊目【死してなお踊れ 一遍上人伝】
【死してなお踊れ 一遍上人伝】
著者 栗原 康
出版 河出書房新社
念仏をとなえる人間には。上中下の三つがある、上等な人間は妻子をもち、家をかまえていても、なにも執着せずに浄土へとゆける。次に中等な人間は妻子を捨ててはいても、衣食住をかまえている。それでもなにも執着せずに、浄土へゆくことが出来る。下等な人間はすべてを捨てなければ、浄土にはゆけない。われわれは下等な人間だから、なにもかもを捨てて念仏に徹しないかぎり、臨終のときに色々なことに執着してしまって、往生することが出来ない。
鎌倉時代の僧、一遍の生涯をアバンギャルドな書き口で描いた良書です。一遍上人は「時宗(じしゅう)」の開祖「時宗」は、法然の「浄土宗」と親鸞の「浄土真宗」につらなる浄土仏教の宗派です。一遍の生涯は「遊行(ゆぎょう)」の一生でしたが、少数の弟子とともに旅を続けており、その弟子を「時衆」と呼んでいたことが「時宗(じしゅう)」の始まりとなりました。遊行とは、僧院などに定住せず、旅を続けながら布教する出家者です。それとは反対に一所にとどまって布教をする人のことを「住職」と呼びます。「住む職業」の住職と「遊び行く」遊行僧、なかなかわかりにくいことなのですが、一遍は自身の説く教えが「集団」になることを拒みました。一遍の死後「時衆」は「時宗」となり、現在では全国にお寺がありますが、開祖である一遍は教団のような人が集まるコミュニティを固定させることはしませんでした。
行ったことはただ二つ「波阿弥陀仏」と書かれた札をひたすら配ること、そして踊りながらただただ念仏を唱えるこ。時には4日間ぶっとうしで踊ったそうです。時衆は様々な場所にやぐらを立て、踊り唱えています。一遍は、来るもの拒まず去るもの追わず、多くの人に仏の教えを布教しました。一遍は結婚し二人の妻と子供がいましたが、そのうち一人の妻と子供は生涯一遍と共に生涯旅を共をしました。どこにも留まらず、なにものにも縛られることを厳しく律した一遍でしたが、その生涯は周囲の理解を集め、非常に幸福なものであったように思えます。
実は踊り念仏には先達となる人物がいました。「空也上人」です。六波羅蜜寺にある上人の像はすごいインパクトですので、機会があったら是非見ていただきたいです。冒頭の引用は空也上人が残したとされる言葉です。何の気なしの読むと分からないかもしれませんが、これはすごいことを言っています。われわれは普通、間逆のことを考えているのではないでしょうか。一切の執着を捨てて念仏に徹する人を立派な人だと思い、妻子を持ち衣食住に追われながら、自分はなんにも執着がないんだ。という人を疑って見てしまいます。偉いから修行をするのではなく、自分は下等な存在だから、誰よりも執着を捨てなければいけない。とする空也や親鸞や一遍の思想には、大いに学ぶことがあるように思います。