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宇宙と行き来出来る

2024.10.03 07:33

Facebok宮崎 真澄さん投稿記事

共に道を歩むパートナー「犀の角のようにただ独り歩め」お釈迦様のその言葉に忠実にこれまで歩んできた。

神と一つであることが、知識としての概念であるうちは自ら共に歩む人を求めることはなかった。そしていまも、求めたわけではない。

個我による期待と希望を完全に手放した先に在る神への完全なる帰依

それは自らを捧げ誓う神に対する献身自らの使命を遂行していく時神は必要なもの全てを用意してくださる

目の前に、自然に、現れた人その全てを神への捧げものとして


http://www.tomiokahachimangu.or.jp/hifumi/014.html 【宇宙・天測・スバル】より

神から人へ、人から神へ。互いの通信交信は、宇宙の真理も伝えゆくべし。この世の仕組みも明かしゆくべし。人類、地球、宇宙のための、この世に生を賜りしもの、全ての知るべき真理なれ、早くに人も知るべき定めよ。さにて本日 何を問いたし。

(一つは宇宙の創造の初めは、どのような世界であったのでしょうか。何もない状態というのはどのような状態なのでしょうか。二つめは、宇宙の真理、天測は、最初にあったのでしょうか、後から徐々に作られていったのでしょうか。三つめは、スバル〔またはプレアデス〕とは、実存するのでしょうか。また、そこに行ったという人間が何人もいるようですが、それは、肉体から離脱した意識のみが行くのでしょうか。また、もし実在するなら、そこはどのような世界なのでしょうか。自然・生活・文明など、できるだけ詳しくお教え頂けないでしょうか。以上、お答え頂きたくお願い申し上げます)

さても難解、困難な問い。人の理解に適うよう、人の人知に添うように、この世の眼前、現象に、即すは難く、さらにも不可能。なれど答えん。可能な限り。人の理解に能うよう。

先ずは宇宙の始まりのとき、この世というも あの世というも、全ては混沌、カオスの状態。一つの形も、こともなく、教えも思いもさらになく、ただに秩序のなき世界。なれど一つの力の表れ、一つの意志と、意識となりて、一つの力を集めゆき、そこから形の現れて、そこから幾つの意志に分かれて、さらに枝葉の伸びゆく如くに、意志なる力の発達しゆく。なれどまだまだ分明ならず、神なる偉大な存在も、いまだ生まれぬ始めのときなり。

そのとき宇宙の一点に、一つの奇跡の 起こり現れ。小さな爆発、噴火の如く、それまでなきほど力は集まり、意志も芽生えて強まりて、己の自覚を持ち始めぬ。そこから偉大な意志の表れ、さらに大なる意志となり、己と他との区別の表れ、力の役割、働きを決め、全体一つの働きとなり、一つ一つの働きと、全体一つの働きとなる。人の生まれぬその前の、何千、何万、何億も前、宇宙の星々、銀河も有らず、ただに意志のみ、エネルギーのみ。さても長きの時を経て、今の地球の生まれ表れ、そこに自然と生を下ろしめ、そこから生の出発を、始めの意志を託されしとき。この世に最初に現れぬるは、さても小さな、儚き命よ。なれどそこから全ては始まり、幾多の試練を、苦悩を越えて、ついには文明文化を生みて、今のこの世と至れる道筋。ひとかたならず。易からず。ただに多くの犠牲もありき。空しく死にて、朽ちぬる生よ。なれどそこから生まれしは、尊き命と、祝いとならん。神の恵みをさらにも受けて、神のご意志を顕すべきを。宇宙の始めの神のご意図は、ただなる物質文明になし。人の心の、意志の栄える、精神世界の発達なれば。

なれど今の世、趨勢は、逆なる繁栄、意志と違いぬ。なれば今は、折り返し、立て替え直しの好機ならん。全てに無駄も、無意味もあらず。全てが次なる一歩のためなれ、憂い悔いるは必要なし。なればこの世の始めのことは、今の答えに現れざるや。人の思いはやがては表れ、形となりて、実現せん。なれば始めの神のご意図も、必ず起こり、この世を動かす。かつてのいにしえ、昔のときを、この世に見るは難しきこと。なれど無なるも誤りならん。ただの混沌、秩序もなかりし、光の元も、音もなき、想像さえも及ばぬ世界よ。

さにて二つめ、宇宙の真理、そもまた、徐々に定められ、この世の表れ、形作られ、そに従いて、法則となる。なれど真理は神の意図。神のご意図に適うよう、法則となり、この世を作らる。この世を作りし神のご意図がそのまま宇宙の真理となれり。なれば始めに神ありて、この世を作る進度に合わせて、法則規則を定められぬる。神は真理の元なれば、真理は神の意図を顕す。

なれど真理は物質に、この世の自然に働きかけて、この世を動かす元なれば、真理を壊すは神への意図の、最も大きな反逆ならん。神の真理はことばに表れ、数学 数式 記号に現れ、そを見つけぬる人類は、物質文明 発達させり。なれど最も肝心なるを、神のご意図を知らざれば、真理は廃り、働かず。数式のみにてこの世を変えんと、ことばの意味のみ利用せり。かくなる過ち、人の間違い。そを正さずば、やがては消滅。全ては始めに戻さるるのみ。なれば人は努力して、少しの気付きを深めてくれよ。そを手伝いて、救ってくれよ。消されず残す魂を、一つも多く、導きゆけよ。

さにて本日、最後の問いなり。スバルの実在、スバルの様子、スバルに旅せし人のこと。先ず始めに、スバルというは実在なり。宇宙の星の一つにて、地球と似る星、天体なり。なれどそこには生もなく、人の世界の自然もあらず。人の肉眼、目には写らず。ただの荒野の如き星。

なれどまことはさにあらず。さらに高次の文明文化の、発達せし星、栄える星なり。なればそこに行きし人も、意識のみにて、何も見えず、ただに心の、意識の交流、意識に映る世界を見るのみ。高次の交信交流なれば、色や形は見えねども、人は見たりと錯覚せり。なれどそこから真の力を、神の力を近くに感じ、偉大な神を、力を信じぬ。なればスバルは神を知る、最初の機会を与える星なり。なれどまことは、多くの星が、神の力を体現し、神の力を賜りて、神のご意志を顕して、神の世界を実現せり。地球も早くにさなる星へと、発達昇華し、成長するべし。今は過渡期の、混迷のとき。宇宙の片隅、小さき星の、上にて起こる、微かな変革。なれどやがては、そも越えて、次なる星へと、進化せん。なれば人々、人類も神へと近づき、神に応えて、神の望まる魂なれよ。

さにて、本日、これまでになく高次の問答となれり。己の分らぬ質問にても、先ずは神に問うてみるべし。いたずらな悩みや相談ならずば、神は喜び、問いを待たん。人の心の進歩に合わせて、分かることばで教えてゆかん。さにて。よくよく読みて、さらに励めよ。さにて。


https://ameblo.jp/kamitonotaiwa-tonotaiwa/entry-12743734380.html 【1)「神との対話」①P14/神とのコミュニケーションは誰にでもいつでもあった】より

 このブログは、『神との対話』シリーズ(ニール・ドナルド・ウォルシュ著、吉田利子訳、サンマーク出版発行)の中の感動した部分の、ニールさんと神様との対話を引用して、それに対して僕(me)が、その二人の会話の中に闖入(ちんにゅう)したものです。神様とニールさんには、断りも為しに、勝手に会話に入り込んだ事をお詫び申し上げます。 m(_ _"m)ペコリ

 でも、meの内なる神様は、結構喜んでくれているようなので、OKですよね。神様! (^_^

《サンマーク出版社へのお願い》

【「神との対話」シリーズの著者ニールさんと、日本語版訳者の吉田利子さん、そして出版社の「サンマーク出版」さん、「神との対話」シリーズを出版頂き、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。このブログでは「神との対話」シリーズから、一部文章を引用させて頂きながら、独自の文章を書いております。もしも、このブログで引用させて頂いている「神との対話」シリーズの文章が、著作権違反に当るようでしたら、ご指摘下されば幸いです。ご指摘いただければ、修正するなり、削除するようにいたします。

私は、「神との対話」シリーズを拝読して、とても感銘を受けた者の一人です。そして、この中で神様がニールさんを通じて訴えておられる通りに、全人類にこの本の内容と、神の言葉を伝える事の重要性に目覚めた者の一人です。「明日の神」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著、吉田利子訳、サンマーク出版発行)の「おわりに」で、ニールさんがこう語っておられます。

『あなたが思いつく方法でかまいません。意思と決意があれば、日々の暮らしのなかに機会が生まれるでしょう。目を開けば、自分のまわりにある機会が見えるはずです。』(「明日の神」432頁)、『この本のメッセージを世界中と分かち合ってください。光の担い手になってください。「新しい霊性」の出現を手伝ってください。それじゃ仕事のリストを渡されたようなものだ、とお思いですか? けっこう! わたしはそのつもりです! わたしの願いは、たったいまここであなたを駆り立て、動かして、このプロセスに仲間入りしてもらうことなのですから。だって、いまでなければいつなのですか? あなたでなければ誰がするのですか?』(「明日の神」437頁)

この様にニールさんは読者の私達に強く訴えておられます。そのニールさんの声に、お応えしたいのです。そして、それはニールさんを通した「内なる神」の声でもあるとわたしは信じます。

どうか、私のこの行動を受容して下さい。しかし、万が一「著作権違反」に当ると判断されるのでしたら、どうぞ、率直にご指摘下さい。当ブログのコメント欄はいつも開放していますので、それをお使い下さい。

よろしくお願いいたします。「神との対話」シリーズを出版して下さった事に、心からの感謝を捧げます。著者のニールさん、訳者の吉田さん、そして、サンマーク出版社の皆様、ありがとうございます。

皆様方を心から祝福賛嘆し、愛し、感謝いたしておりますと共に、益々の御健勝をお祈り申し上げます。】

《このブログをご覧になった皆様へ》

このブログをご覧頂き、心から感謝申し上げます。

このブログを書き始めた動機は、上に書いた通りです。私は「神との対話」シリーズを20年前から読み始めましたが、感動の連続でした。そして今、「神との友情」を読んで、私も参加したいという強い衝動が生まれました。その衝動は、全ての人々が私を含めて神様の生命と一体であり、全ての人々を祝福賛嘆し、感謝し、愛する事こそが、大切だということに気付く事ができたために、このブログをはじめました。

私は、長年ある宗教を学んで来ましたが、教えに反して、心の中では多くの人々と出来事を裁いていました。しかし、その事が間違っていた事に気付く事ができたのです。私が学ばせて頂いた教えと、「神との対話」とは基本的に全く同じ真理を説いている事を知るに及びました。私が至らなかったにすぎなかったのです。

私としては、「神との対話」シリーズの言葉で伝える事の方が、しっくりいくことにも気付きました。ですから、「神との対話」を中心にして、ブログを書く事にしたのです。

このブログを書くに当り、全ての人々と出来事に対して、「喜んで、愛して、受容して、祝福して、感謝する」「神の姿勢」(これは、「神との友情下」で神様が教えて下さった事です)で望みたいと心に誓っております。

もし、私の書込みに中に、人様を批判したり、攻撃したりする過去の間違った姿勢が混入していた場合には、遠慮なくご指摘下さい。心を入れ替えて、すぐに修正します。そのような批判や攻撃は、「神の姿勢」に反する事であり、「神との対話」で教えてもらった内容と異なっているからです。そこからは、「神の家」に辿り着く事はできないことを、私は嫌という程知ったので、もうその轍は踏みません。

唯々、皆様を無限に祝福し感謝し愛しています。