Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

棒切れを提げて目を閉づ春の海

2024.10.03 07:41

http://haiku.g2.xrea.com/sqk202104.html 【「俳句スクエア集」2021年 4月号鑑賞 】より抜粋

棒切れを提げて目を閉づ春の海        五島高資

 一読、「潮のリズム」が聴こえてくる。現実世界の<棒切れを提げて目を閉づ>ことで「空白の時空」である<春の海>が見えてきたという句意だろうか。それは作者の幼年時代の海岸での光景かもしれないし、十年前の東日本大震災の光景なのかもしれない。海岸の<棒切れ>と<春の海>の波音は「いのちの根源」に触れる感覚というか、懐かしい「はるかな記憶」を呼び覚ますものなのだろう。 松本龍子


https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entry/20100706/p1 【石川啄木 著(P.6〜7)砂山の裾によこたはる流木に】より

『一握の砂』東雲堂版

[つらぬきとめぬ玉]

我を愛する歌(P.6)

   砂山の裾によこたはる流木に  あたり見まはし  物言ひてみる

   いのちなき砂のかなしさよ   さらさらと  握れば指のあひだより落つ

<ルビ>裾=すそ

(P.7)

   しっとりと  なみだを吸へる砂の玉   なみだは重きものにしあるかな

   大という字を百あまり   砂に書き  死ぬことをやめて帰り来れり

<ルビ>帰り来れり=かへりきたれり


http://asahidake-n.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-7c2d.html 【砂山の裾によこたはる流木に】より  

 砂山の裾によこたはる流木に     あたり見まはし    物言ひてみる

<ルビ> 裾=すそ。

6ページを開くと出て来たのがこの歌です。

「明星」1908年(明41)8月号に啄木の詩「流木」が載っています。この詩が歌の背景となっていると思われます。

第3連を引いておきましょう。詩中の「渚」は函館大森浜の渚。「七尺」には「ななさか」の、「海鳥」には「かいてう」のルビがあります。

あはれ、その渚の上に 横たはる大き流木、さしわたし七尺ばかり、砂山に根をうち上げて、

枝もなき長き幹をば その半ば海に入れたり。海鳥は時にかがなき、その上に翼やすめぬ。

掲出歌の「流木」は直径7尺(約2m)の上記の巨木をイメージしていいようです。

「あたり見まはし」は流木に話しかけるという異常なあるいは滑稽な振る舞いを、他人に見られはしまいかと思っての仕草でしょう。啄木は非常に茶目っ気のある人でした。

「物言ひてみる」 何を言ったのかは分かりませんが、直径2メートルの巨木がどこでどんな風にして育ったのか。その数百年間に何を見、何を聞いたのか。それがどうして切り倒され、枝も払われたのに、材木にならずに海に流れ出、ここに流れ着いたのか。こんな事を聞いてみたかったのではないかと想像されます。なぜなら、啄木自身、岩手県日戸村に生まれ、渋民村に育ち、盛岡に遊学し、東京に出、渋民に戻り、また上京し、盛岡に戻り、渋民に再移住し、ついに函館に流れてきた、という経歴の持ち主だからです。つまりかれは流木に自分を見たのでしょう。

<評釈> 砂山の裾に根もとを打ち上げて、長い幹の半分までを海中に入れたまま、横たわる巨大な流木をみたわたしは、自分の漂泊の半生を重ねてしまい、親しみを感じて話しかけたくなった。人に見られたらヘンに見られるだろうとあたりを見回したがさいわい誰もいない。そこで話しかけてみた。

人はなにか願望や鬱屈があると、独り言の代わりに、人間以外の物や生き物に話しかけたくなる時があるものです。たとえば家人の留守に猫に話しかけるとか、青空を流れる白雲に話しかけるとか。初詣などで神仏に願い事をするのも同じことでしょう。

次回6ページ左の歌は「砂山の砂に腹這ひ」と並ぶ名歌です。


http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/2019/12/post-eced.html 【虚子の俳句「去年今年貫く棒の如きもの」の棒とは何か? (改定版)】より        

掲句「去年今年」について稲畑汀子さんは「虚子百句」において次のように述べている(抜粋)。     

「昭和25年12月20日、虚子76歳の作である。・・(省略)・・時間の本質を棒というどこにでもある具体的なものを使って端的に喝破した凄味のある句であるが、・・(省略)・・この棒の、ぬっとした不気味なまでの実態感は一体どうしたことであろう。もしかすると虚子にも説明出来ず、ただ「棒」としかいいようがないのかも知れない。敢えて推測すれば、それは虚子自身かも知れないと私は思う。

この句は鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたが、たまたまそれを見た川端康成は背骨を電流が流れたような衝撃を受けたと言っている。感動した川端の随筆によって、この句は一躍有名となった。・・(以下省略)」 

汀子さんは上記の如く述べているが、この句の「棒」は虚子の信念・意志を象徴していると思う。「貫く棒の如きなり」と言わず、「貫く棒の如きもの」と言っているから「時のながれ」というよりも虚子の俳句に対する考えや信念の強さの比喩に違いない。

「虚子俳句の痴呆性」を云々する人がいるが、この俳句には「大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きくなる。」という坂本龍馬の言(勝海舟に説明した西郷隆盛の評価)を当てはめたい。  

文学に限らず、音楽や絵画など、芸術は個性を表現するものであり、それをよく理解できるか否かは鑑賞する人の性格や人生観、能力などが左右する。まして、俳句は17音(文字)で表現する短詩であり、論理ではなく感性にうったえるものである。従って、俳句はその作者と「場」を共有するか、それが作られた「場」を適切に推定することが出来なければ理解できないことがある。

特にこの「去年今年」の句のように比喩的な俳句はそうである。それを読む人が卑しければ卑しい句であると誤解されることになる。逆に、読む人が優れていればその句を作った人の意図以上に解釈されることも珍しくない。それは俳句の本質的な限界でもあり広がりの可能性でもある。中立的な表現の俳句は鏡のように、読む人の心を映しだす。

虚子はこのような俳句の面白さもこの句に織り込んだのではなかろうか? 

大岡信は「百人百句」において、「俳句という最少の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。」と次のように述べている(抜粋)。  

「昭和20年代後半から30年代にかけては『前衛俳句』の黄金時代で、若手の俳人はそちらに行ってしまい、虚子は一人さびしく取り残されている感があった。・・(省略)・・私は現代詩を書いていたので、・・(省略)・・どちらかというとはじめに前衛派的な人々の句に親しんだので、それから逆に句を読み進め、高浜虚子を初めてというくらいに読んでみた。すぐに感じたのは、虚子の俳人としての人物の大きさだった。私は常々現代詩を作り、・・(省略)・・斎藤茂吉が好きだったので茂吉の歌もよく読んでいた。しかし、『去年今年』の句を読んだときに、俳句という最小の詩型で、これだけ大きなものを表現できるのはすごいと思わざるを得なかった。・・(以下省略)」

この句についてインターネットで検索していると、宗内敦氏の「アイデンティティ-第二芸術」というタイトルの傑作な記事があった。    

「去年今年(こぞことし)とは、行く年来る年、時の流れの中で感慨込めて新年を言い表す言葉である。しかして虚子のこの一句、『貫く棒の如きもの』、即ち、時の流れを超えて『我ここにあり』と泰然自若の不動の自我を描いて、まさに巨星・高浜虚子の面目躍如たる『快作にして怪作」(大岡信『折々のうた』)の自画像である。それが何としたこと、バブル絶頂の頃だったか、ある新聞の本句についての新春特集ページに、『この句を知ったとき、顔が火照り、胸がときめき、しばらくは止まらなかった』という中年婦人の感想文(投書)が載せられた。一体何を連想したのか。破廉恥にも、よくぞ出したり、よくぞ載せたりと、バブル時代の人心・文化の腐敗に妙な感動をもったことを思い出す。・・(以下省略)」

この句を作ったとき虚子は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある有名な文「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」も意識していたかもしれない。

この句の「棒」のイメージは、「草枕」の「情に掉させば流される」という文句や方丈記の名文句、美空ひばりのヒット曲「川の流れのように」の歌詞など、時世・人生を表現するのに用いられる「川のながれ」とは全く異なり、力強くて斬新なものである。

虚子は「深は新なり」とか「古壺新酒」と言っている。「花鳥諷詠」と「客観写生」を唱道していたが、「前衛俳句」の黄金時代にあって、「去年今年」の句を作ることによって「これも『花鳥諷詠』だ」と、その幅の広さと虚子の信念と自信をアッピールすることを意識していたのではなかろうか。

「俳談」や「俳話」なども読み、虚子の考えや作句の「場」を知るにつれて虚子の俳句をよく理解できるようになる。インターネットのブログを検索していると、様々な俳句の解釈があり面白い。この「場」をわきまえず、俳句のみならず作者の人格まで悪しざまに云々するブログを見かけることもある。それを鵜呑みにしている人もいるようで困ったものである。

  

(注) 

この記事は2015年1月18日に書いたものをスマホで見ると大部分が削除されており、誤解を招くので、スマホでもよく見ることが出来るように改定・再掲載するものです。