温泉旅行(本編から数年後のお話)③
この街の湯めぐりは浴衣を着ていくそうだ。
伊織に言われて、宿に置いてある浴衣を見よう見まねで着てみるコウタ。
「えっと、これでいいんですかね?帯の縛り方が分からないです…」
「うむ…合わせは合ってるが、帯はもう少し腰の位置にするといいぞ…俺が直してやる。」
と言って伊織が帯の位置と結び方を直す。手慣れていて仕上がりも綺麗だ。
「ありがとうございます、伊織さん。どうかな、似合いますか?」
コウタが首を傾げて微笑むと、伊織は頬を赤くして顔を逸らす。
「…伊織さん?ふふ、照れました?」
「あー、ゴホン。照れたというか、…とても似合うよ」
いつもならすぐ大人の余裕のある顔に戻るのに、なかなか赤くなった頬が戻らない。
「へへ…うれしい。もっと見て下さい。ふふっ」
いつもと違う伊織の反応が面白くて、コウタは目を逸らそうとする伊織の顔を覗き込んだりしてはしゃぐ。
「もう、お前は…。ものすごく似合う。すごく可愛いよ」
コウタはしばらく伊織の寝顔を見つめる。
伊織がこんなに無防備になるのは珍しい。いつもコウタと会っていても必ずコウタが先に眠るまで起きているし、コウタが起きればすぐに伊織も起きる。
だからコウタはこんなにじっくり伊織の寝顔を見るのは初めてかもしれない。
(…こうして見ると、伊織さんの寝顔ってなんだかあどけなくてかわいいんだな。俺の膝の上で安心してくれて、嬉しいな。)
コウタは伊織を優しく撫で続ける。いつもどんな時もコウタを守ってくれる、強くて優しい伊織が自分だけに見せてくれる顔を忘れないように、コウタは見つめていた。
どれだけそうしていたか、しばらくすると伊織はハッと目を覚ました。
「すまん、寝てしまった」
自分で自分の行動に驚いたようで、目を瞬かせながらコウタの膝から起き上がる。
「すまん、俺が寝てる間に危ない奴はいなかったか?危険な目に合わなかったか?」
伊織が慌ててコウタの肩を掴んで聞くので、コウタは思わず笑ってしまった。
「大丈夫ですよ。いつもそうやって俺のこと守ろうとして気を張ってくれてるんですね。でも大丈夫ですから。今日は、いくらでもゆっくり寝て下さいね。」
「…そうか。お前の膝の上では俺は無力化されるみたいだな…」
「もっと寝ます?」
コウタがニコッと笑う。
「いや、もういい。…またそのうちやってくれ」
伊織が顎に手を当てて顔を赤らめて言った。
それから2人はしばらく湯屋の2階でのんびりしてから宿に戻った。