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白木蓮の咲くあたりから夜空かな

2024.10.03 07:44

https://ameblo.jp/herbal-terrace/entry-12448083646.html 【白木蓮 昼と夜と】より

毎年咲く清楚ながら妖艶な白木蓮(マグノリア)

私の自慢の一つです。(自分の物の様にドヤ顔で言う (笑))

玄関の入り口北側と部屋に入ってテラスから眺める南側とにすっくと立つその姿に ”あ~今年も逢えてよかった、年々美しくなるね!”と話しかけては暫し立ちつくして 大きく息を吸い込みます。

甘い香りにうっとり、花の意味は天と地をつなぐ といいます。

北側に咲くマグノリア青い空と白い雲に届くように咲いています。                   

     南側に咲くマグノリア

    ライトアップすると妖艶な姿が浮かび上がります。

    月とのランデブーは息を呑むほど 幻想的で思わず泣きそう。。                   

ついこの間まで銀色の毛皮に身を包みキラキラと光を放っていた

硬い実がいつの間にか乳白色の美人花に変身 自然界の圧倒的な力に感服です。                   

来世は植物に生まれて自然界任せもいいな


https://www.otalab.co.jp/blogs/12199 【夜木蓮】より

なんだか日々春到来の話になってしまいますね。今日はモクレン。

東京モノレールの流通センターを降りてすぐのところに咲いているモクレンです。

朝は空も明るくなんとなく素通りしてしまうのですが、夜はいつも目に留まります。なぜかな。きっと漆黒の夜空に白く浮かび上がるモクレンが、仕事で打ちひしがれた私の足元を照らすかのように明るく咲いているからでしょう(笑)

ぼんやりと視野に明るいものが入ってきて、何かなと見上げるとモクレンなのです。これには励まされます。打ちひしがれていなくても。

夜桜ならぬ、夜木蓮(ヨモクレン)でしょうか・・・いや、リズムが悪いのでヨルモクレンとしましょう。

“木蓮”とは「木に咲く蓮に似た花」ということから命名されました。

中国名は“木蘭”といいます。こちらもまた「木に咲く蘭に似た花」の意味。玉蘭(ぎょくらん)ともいうようですが。

英名をMagnolia(マグノリア)といい、これは学名に由来していますが、18世紀フランスのモンペリエ大学の植物学者マグノール教授の名前にちなんでいます。

中国では向か時から高貴な花木として王宮や寺院の庭に植えられました。実生や挿し木でも増殖が比較的容易で、比較的若いうちから花を付けます。香りが強い花のイメージですが、木の下を通っただけではこれだけ開花していてもまったく香りません。香りの拡散性が低いのでしょうか、顔を近づけないと香らないのです。

モクレン越しに見る月もまた乙なり。

あかん、写真をうまく撮れません。

モクレン越しに見上げるモノレールもまあまあいいですね。


http://cafe-hendrix.air-nifty.com/downtown_diary/2012/04/post-2445.html 【夜の木蓮】より

子供のころ、僕は木蓮の花が無性に怖かった。

まだ冬枯れの木が目立つ季節に、まるで涙のような形の大きな芽が忽然と現れ、やがて大きく派手な花弁をつけていく。その様は、それだけで周りの空気をがらっと変えてしまう強烈な存在感がある。そのオーラとねじれた手のように奇怪な花のカタチが、子供の僕にはとても怖い存在として映っていたのだ。

大人になってからは、もう木蓮に恐怖心を抱くことはなくなった。

今、近所では紫木蓮の花が咲いている。その様は、まるで熱帯に住む鳥が群れをなして空を舞っているかのよう。紫木蓮のある一角は、周りから完全に切り離された非現実的空間になっていて、通るたびに胸が躍る。

今はこんなふうに木蓮の持つサイケデリックな妖気を楽しんでいると思っていた。

ところが、昨日の夜、僕はまたまた木蓮にぎょっとさせられる体験をしてしまったのだ(苦笑)。

昨日はちょっと思うところがあり、いつもと違う道を歩いて家路に着いたのだが、ある場所を過ぎたらどうも誰かにじーっと見られてるような気がして仕方がない。

振り返ったら、そこには大きな白木蓮の木があったのだ。夕闇の中にぼーっと浮かぶ白い花。それはなんだかたくさんの掌が手招きをしているみたいで…。

うーん、僕の木蓮恐怖症は、まだトラウマとして残っているのかもしれない(苦笑)。


https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/17/090748 【「マグノリアの木」とはどんな木か】より

マグノリアの木

Key words:コブシ,マグノリア                                                                        

宮沢賢治に『マグノリアの木』(1923年)という短編の作品がある。仏教の教えに基づいて書いたものとされている。その内容は,諒安(りょうあん)という人(お坊さん?)が霧のかかった険しい山谷を歩いていて,やっと平らな所にたどり着いたとき霧が晴れた。振り返ってみると,今たどって来た山谷のいちめんに真っ白な「マグノリアの木」の花が咲いていたというものである。この平らな所というのは,仏教でいう「さとり」の境地ということらしい。

しかし,「マグノリアの木」とはあまり聞きなれない名である。いったいどんな木なのだろうか。 植物図鑑を調べても記載されていない。多分,「マグノリアの木」は賢治の造語と思われる。「マグノリア ( Magnolia )」 という言葉自体は,学術的にはホオノキ,コブシ,タムシバ等のモクレン属の木の総称を指す言葉である。よって,「マグノリアの木」とはこの内のどれかかであろう。

賢治は,『マグノリアの木』の中で,「マグノリアの木」の花を真っ白い鳩(はと)に喩えている。

それは一人の子供がさっきよりずうっと細い声でマグノリアの木の梢(こずえ)を見上げながら歌ひだしたからです。

 「サンタ,マグノリア, 枝にいっぱいひかるはなんぞ。」

向ふ側の子が答へました。 「天に飛びたつ銀の鳩(はと)。」

こちらの子が又うたひました。 「セント,マグノリア, 枝にいっぱいにひかるはなんぞ。」 「天からおりた天の鳩。」

    -中略―

あの花びらは天の山羊の乳よりしめやかです。あのかをりは覚者(かくしゃ)たちの尊い偈(げ)を人に送ります。 

                    (『マグノリアの木』 宮沢,1986)

モクレン属の中で花が一見して鳩に見えるのは,その花の色,大きさ,姿からして「コブシ」である(第1図)。「コブシ」の花弁は,白色で6個,3個の萼には銀色の軟毛が密生している。そして,花は香りを放ちながら上向きに空へ向かって開く。「コブシ」のつぼみは,南側からふくらみ始めるのでつぼみの先端は,ほとんどが北の方向を向くのだという※。北の天空には北極星(Polaris)があり,また賢治の理想郷でもある「ポラーノの広場」や「イーハトーブ」がある。賢治は,「コブシ」(学術名:Magnolia kobus )を指して「マグノリアの木」と言っているのだと思われる。

第1図.コブシ(天に飛びたつ銀の鳩).

県立大磯城山公園でも,もみじの広場に「コブシ」が植栽されている。3月から4月にかけて真っ白い「コブシ」の花が満開になる。賢治の言葉を借りれば,枝に止まった純白でしめやかな鳩の群れがまさに天に向かって飛び立つようにも見えて見事である。

賢治を魅了する「コブシ」の花には,いくつかの面白い事実が知られている。花の中を覗くと,雌しべを構成している多数の心皮があるのに気が付く。そして,心皮がDNAのように螺旋状に花床の上部に配列していている。これは,原始的な植物の特徴とされている。さらに,1982年,弥生時代の住居の発掘現場(約2000年前)からコブシの種子が見つかったが,この種子をまいたら,発芽し11年後に真っ白い花が咲いたという(大歳の自然,2021)。まさに,コブシの花は時空を超えて天から降りてきた鳩のようにも見える。