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シャーマンとして在る

2019.06.10 02:38

こんにちは、みっちです。


プレイバックシアターにおいて、
「アクターはシャーマンであれ」
と、理想像として語られることがあります。



ここでいうシャーマンとは、
自我を脇に置いて、
カラの状態で、
頭(マインド)でジャッジせず、
聴いたまま、感じたままを再現する…という状態のこと。
(と、私は理解しています)



以前の記事で、
傾聴と観察が大事な要素だよ、
と書きましたが、その後に、
自分をどんな状態に整えるのが理想的か?
今回は、そんなお話です。

あくまでも、私的見解であることをご理解ください。




さて、自我がなく、カラの状態って、
どんな感じなんでしょう?


パッと思い浮かぶのは、瞑想状態。

脳波は、α波〜θ波。

うつらうつらしているように見えるけれど、

思考は明晰で、隅々までクリア。

身体中のアンテナが広がっていて、

どんなに小さな音も、動きも、

即座にキャッチ、分析して、理解できる。


スポーツでいうところの、

フロー状態ではないかと思います。




先月、ミニミニパフォーマスをする機会がありまして、

その際のメンバーの状態が、まさにそんな感じでした。


何が必要か、なんの合図もなくわかる。

どこにも余計な緊張感がなく、ただただ自然に立っている。

時間は流れていると同時に止まっている。

「自分」が動いているのではなく、「エネルギー」が動いて話している。


そんな感じ。
多分、メンバー全員がシャーマンでいたのだと感じます。





もちろん、技術的なことや、全体の流れなど、

改善、修正すべき点は、たくさんあると思います。


でもそれよりも、エネルギーがよく回っていて、

観客の皆さんは我先にと手をあげてくれたし、

次々と氣持ちを明かしてくれました。

ストーリーの時には、お断りする場面もあるほどでした。


これらのことは、
メンバーがシャーマンでいることを自分に許していたお陰とも言えるし、

あたたかなエネルギーをその場にいた皆さんが作り出し、

それに遠慮なく心地良く乗ってくださったお陰でもあります。



演じる側、観る側、と役割はありますが、

プレイバックシアターは、その場にいる人全員で創り上げる芸術なのだと、

つくづく感じた時間でした。








で。

なぜ、メンバーはシャーマンでいることができたのか?





月毎の練習(そんなにゴリゴリはやりませんが…)や、
これまで培ってきた経験、

スクールでの学び、実践…などがベースになり、

メンバー同士が心ゆくまで自分の内側を語り、

お互いに受け入れ、時にはノーという信頼を持っているから…

そして、それぞれが懸命に自分の「生」を生きているから…
なのではないかな、と感じます。




日々の中で、自分なりの境界線(自我)をしっかりと持っているから、
その境界線を取り払うことができる。


「空(カラ、くう)」になるには、
「密」「満」の状態を知らなくてはなりません。



自分が満たされているという感覚。

すべては満たされていて、不足はないという安心感。信頼感。愛。



そんな感覚が、少しでもあれば、

「空」の状態が、創り出せるのかもしれません。






多分にセラピー的なお話ですが、

プレイバックシアターにもそういう視点があるのです。



「演じる者は語りなさい。自分の物語を演じてもらう体験をたくさんしなさい」



プレイバックシアターのスクールで、繰り返し教えてもらったことの1つです。



自分の問題が解決され、

客観的な視点で自分自身を他者を観るように見つめることができて初めて、
本当に誰かのために演じ、表現することができる。





「シャーマンであれ」

という言葉には、

演じる時だけ無理矢理、自我を脇に退けるのではなく、

日々の生活の中で自分を見つめ、
様々な課題を自力で、またはたくさんの人の手を借りて解決し、
生きることに真摯に向き合う中で、

誰かのために、
感謝とともに自我を隣りに座らせることができる。
そんな状態を意識的に創り出すことができる人であれ…
ということが意図されているのかもしれません。







やればやるほど奥深いプレイバックシアターの世界。

今年後半は、ワークショップと合宿を予定しています。

日程が決まり次第、お知らせいたしますね。




本日も、最後までお読みくださり、ありがとうございます。