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福井中央キリスト教会 【日本同盟基督教団】

「天に昇られたキリスト」

2024.06.24 15:56
使徒の働き 1章3-14節
3. イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。
4. 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

5. ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」

6. そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」

7. イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。

8. しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

9. こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。

10. イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。

11. そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」

12. そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。

13. 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。この人たちは、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。

14. 彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。

礼拝メッセージ

使徒信条シリーズ⑩

2024年6月23日

使徒の働き 1章3-14節

「天に昇られたキリスト」


北陸も昨日、例年より遅い梅雨入りをしたと報道されました。大雨の被害が心配な日曜日の朝です。先週・今週と週報で訃報をお伝えしています。大切なご家族を神様のみもとにお送りしました。別離のさびしさや悲しみの中にある教会の友に、主なる神様の慰めがありますようにと、祈りましょう。

今日の聖書箇所の弟子たちもイエス様との別れを経験しました。イースターの日から40日後、イエス様はこの地上から去って行かれ、肉眼では見えなくなってしまいます。オリーブ山の上で弟子たちの見ている中、空高く昇って行かれ、雲に包まれて見えなくなりました。ペテロやヨハネたちは、「イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた」(使徒1:10)のです。40日前の復活もびっくり仰天だったでしょう。さらに「再会できた!」と大喜びした40日後、愛する主イエス様が天に昇っていなくなってしまったのです。口をポカンと開けたまま上空をしばらく見つめていました。いったい何が起こったのか、訳が分からず、あっけに取られていました。

 イエス様が天に昇って行かれたこと=「昇天 」は伝説でも作り話でもなく、事実・真実であると私たちは信じます。使徒信条においても「天にのぼられました。」と、主イエス様の昇天を告白しています。

(私たち人の死は「召天」:神様によってこの地上から天へ召されること。イエス様のみ、天に自ら昇って帰られた「昇天」をされた。)

教会で使っている水色の「ワーシップソング集」には入っていませんが、「♪御名を掲げて」というワーシップソングがあります。英語の原曲は“Lord I Lift Your Name On High”「主よ、私はあなたの御名を高く掲げます」というものです。その歌詞の一節に次のようなフレーズがあります。

(原曲) 
You came from heaven to earth to show the way
From the earth to the cross, my debt to pay
From the cross to the grave
From the grave to the sky
Lord, I lift Your name on high


(私訳)

(イエス様)あなたは、まことの道を示すために、天から地に降って来られた。

そして私の負債(罪)を肩代わりするために、この地からあの十字架へと進まれた。

十字架から墓に移され、

墓から空へと昇られた。

主よ、私はあなたの御名を高く掲げます。


この歌詞にある通り、イエス様は私たちを救うため、ご自身に託された使命である「十字架の死と復活」を果たされます。そして、もともとおられた天に帰られました。イエス様はこの地に残していく弟子たちに言い残して行かれます。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」(マタイ28:19,20) 使徒たちに、そして私たちに「十字架の救いと復活の希望の証人となりなさい」と使命を与えられ、天に昇って行かれました。

さらに、この使命を実行できるように、助け主なる聖霊を使徒たちに、そして私たちの内に遣わしてくださいました。

イエス様が昇って行った大空をポカンと見上げていた使徒たちでしたが、そこに御使いたちが現れ、「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。」(使徒1:11)とさとします。「約束の聖霊が与えられるように、祈って待ち望みなさい」とのイエス様のみことばを使徒たちは思い出し、一軒の家にみんなで入って、祈り始めました。ルカの福音書の終わりを見ますと、24章50-53節に、

それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえていた。

とあります。イエス様と離れ離れになり、使徒たちは悲しみに包まれた…のではなかったのです。イエス様が天に帰られ、そこから私たちのことをずっと、いつも見守っていてくださっていることを覚えました。神の御子、王の王が本来のお住まいである天国に凱旋されたのです!我が主、我が神は天におられる。そして私たちはこの地上で、イエス様をほめたたえ、イエス様から託された働きにあたるのです。それが使徒たちにとって、大きな喜びでした。

ではイエス様が帰って行かれた「天・天の御国・天国・父なる神様のみもと」とは、いったいどこにあるのでしょう? イエス様はどこに行かれ、今どこにおられるのでしょうか? ロケットや人工衛星、宇宙ステーションが地球の周りを周回し、高性能の望遠鏡が宇宙はるかかなたまで見ることができる現代ですが、「天国が発見された!」というビッグニュースは聞こえてきません。

天国は、今の私たちには見ることもつかむこともできない、完全に神様の領域にあるのでしょう。別次元の世界なのかもしれません。そしていつか必ず、私たちがよみがえらされた時、引き上げられ、招き入れられる世界です。

その天にイエス様はもうすでにおられるのです。このことは私たちにどのような励まし・慰め・喜び・希望をもたらすでしょうか。イエス様の昇天を通して、私たちは神様のどのようなご計画と愛を知ることができるのでしょうか。


イエス様の昇天は、

A) 天国が確かにあることを、私たちに確信させます。

昇って行かれたイエス様は今、天で父なる神様とともにおられます。確かにその場所があるのです。私たちもやがてそこに移り住み、永遠に憩うことができる場所が備えられています。私たちの安心・喜び・希望・期待はそこに行けることです。

イエス様は最後の晩餐の席で、不安に包まれている弟子たちに語りかけました。 ヨハネの福音書 14章 1-3節

1. 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい2. わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。3. わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。


イエス様の昇天は、

B) 父なる神様のとなりでイエス様が今も私たちのために祈り、とりなしてくださっていることを確信させます。

私たちは、「天の父なる神様」と呼びかけて、祈りを始め、そして「イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」と祈りを閉じます。本来は、「神様」と声を上げられないような罪深い者です。まして「お父さん」と神様を親しく呼ぶことなど許されていない者です。そんな私たちのために、御子イエス様が罪の赦しを成し遂げ、父なる神様と私たちの断絶していた関係の橋渡しをし、修復してくださいました。御子の尊いいのちを犠牲としてくださって。

御子イエス様を通して、御子イエス様のゆえに、私たちは神の子とされ、「父なる神様」と呼ぶことができるのです。そして御子イエス様は、今も天で私たちのことを心配し、見守り、私たちのために祈り、とりなしてくださっています。

ローマ人への手紙 8章34節「だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。」


イエス様の昇天は、

C) 地上のことばかりに心奪われ、地上の人やものを偶像とし、「神」のようにまつり上げてしまう私たちに、イエス様がおられる世界・天を見つめさせます。

「人が隠れ場に身を隠したら、わたしはその人を見ることができないのか。─主のことば─天にも地にも、わたしは満ちているではないか。─主のことば。」(エレミヤ書23章24節)

とあるように、私たちの神様は、どこか一つの場所にしか存在できないお方ではありません。私たち人間のように、生身の身体一体を持っているがゆえに、今ここにしか存在できないということはありません。霊なる神様は、場所に制約されたり、空間に制約されたりすることはありません。助け主なる聖霊を通して、私たちの内に共に住み、世の終わりまで私たちと共にいてくださるインマヌエルの主です。

神様が霊なるお方であるので、肉眼で見ることが出来ないお方なので、悲しいかな…、私たちはすぐに心の視線を神様からそらし、目の前の現実=今日の仕事・今日の衣食住、一時的な喜びや快楽、また将来の心配事ばかりに心の目を奪われます。そんな私たちに主イエス様は、「心配するのはやめなさい。まず神の国と神の義を第一に求めなさい」と語ってくださいます。

コロサイ人への手紙 3章1,2節こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。

イエス様が、天で私たちのことを心配してくださっています。私たちのために祈ってくださっています。そして、「ちゃんと地上で使命を果たしてから、ここにおいで」と待っていてくださいます。このイエス様をともに見上げ、私たちはこれからも歩んでいくのです。


最後に今日も「ハイデルベルク信仰問答」の問いと答えを確認していきましょう。

問49 キリストの昇天は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。


答  第一に、この方が天において御父(おんちち)の面前(めんぜん)で
   わたしたちの弁護者(べんごしゃ)となっておられる、ということ。


   第二に、わたしたちがその肉体を天において持っている、ということ。
   それは頭(かしら)であるキリストがこの方の一部であるわたしたちを、

   御自身のもとまで引き上げてくださる

   一つの確かな保証である、ということです。


   第三に、この方がその保証のしるしとして

   御自分の霊をわたしたちに送ってくださる、ということ。

   その御力によってわたしたちは、地上のことではなく、

   キリストが神の右に座しておられる天上のことを求めるのです。