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光と影のやさしいお話

2024.06.25 07:31

Facebook長堀 優さん投稿記事

この講演会が、関東で行われるならぜひ参加したかったです。

 講演者の環境活動家、山田征さんのご著書「光の影のやさしいおはなし」は、普段の山田さんの活動とは全く異なる内容ですが、以前に私のタイムラインで取り上げたことがあります。ここで今一度ご紹介します。

 今私たちはなぜ、こんなにわけのわからない混沌のなかで振り回されているんだろう、そんな疑問をお持ちの方は考えるヒントがなにか見つかるかも知れません。

 連休の最中ですが、お時間があれば、お近くの方はぜひご参加をご検ください。

 ・・・

 悪魔ルシファーと、るしえるの物語、つまり、見えない世界における光と影のお話は、この先に起こるであろう見える世界における大変動のひな形と言われます。

「人々は非常にネガティヴなもの、

現象を通して、まことのものを知るようになるのです。

 多くのものが虐げられ、多くの者が貧しさにあえぎ、多くの者が病に苦しみ、多くの生命が損なわれようとする時、そのような時こそ、人々の心が、まことに大切なことがなんであるかを知る時なのです。」

 これは、山田征さんという一人の女性に降ろされた「いえす」と名乗る神霊からのメッセージです。

 山田征さんは、著書「光と影のやさしいお話」の中で、いえす、まりあ、ふらんしす、るしえる、など複数の神霊からのメッセージを紹介しています。

 この本が伝える最も重要なメッセージは、「善も悪もすべては神の手の内にある、どんなに酷く悲惨な出来事も、全ては人類の進歩のために用意された」ということになります。

 神の命により、これまで全ての悪を担ったのは大天使「るしえる」でした。

 るしえるは、悪魔ルシファーとして、この世の全ての悪を担ってきたのです。

 しかし今、時が至り、使命を果たし終えたルシファーは、自らを再び愛の天使に変えようとしている、といいます。

 ルシファーによって支えられてきた悪なるもの、闇なる部分は、取り除かれていく時を迎え、時代は大きな転換期に突入したのです。

 このメッセージが伝えられたのは三十年前だそうです。

 しかし、ルシファーに操られた世の動きは直ぐには変わらず、その後も混乱を極めていくことになります。

 勢いづいた巨大な船は、そんなに簡単に方向転換できないということなのかもしれません。

 それでもようやくここに来て、見えない世界の一大変化が地上に及んできたようです。

 これまで世界を裏から支配してきたグループは勢いを失い、メディアを見ても、嘘偽りがはっきりと分かるようになりました。

 もはや、闇に秘された出来事は、隠すことも、騙すこともできなくなってきたのです。欺瞞、傲慢はもう通じません。

 いえすが光を担ってきた一方で、るしえるは、ひとえに人類の成長のため、いえすという光に伴う影として存在してきました。

 影としてのるしえるの悲しみ、そして彼が重大な任務から解放された弾けるような喜びが、彼の詩には溢れています。

 引用は少々長くなります。しかし、るしえるの歓喜を、ぜひ共有していただけたらと思います。

「 昔 人に悪はなかった 人々は 明らかな愛そのものであった  清らかな光そのものであった 私もまた その大いなる神の愛そのものであったことを いま そなた達の前にはっきりと伝えておきたい

神は人々に大きな愛の贈り物として 自由に遊ぶ心をお与えになった

人々は神の計らいにより まるで神のごとくに 自由にものごとを考える思考というものを与えられたのである

人々は まるで神のごとくに豊かに明るく 自由に人々を愛しありとあらゆるものを 美しく眺めて暮らしていた なぜ人々は それらのことから離れることになってしまったのか

神の世界は全きものではあったがやはりプラスとマイナス 陰と陽なるふたつの性格を持たざるを得ぬひとつの要素が生じたのである。」

 アダムとイブは、ヘビにそそのかされ、知恵の実を食べ、楽園を追放されたと聖書は伝えます。ヘビをるしえる、そして知恵の実を自由意志と考えれば、聖書のこの一節は、るしえるの物語そのものと言えます。

 その後、人類は自由意志を手にし、目覚ましい発展を遂げてきました。

 これはこれで素晴らしいことでした。その一方、人類はさまざまな過ちも重ねてきましたが、すべては神の手の内で行われたのです。

 しかし、今、人類は存亡の危機を迎え、いえすとるしえるの真実に気付く時を迎えました。

 るしえるは続けます。

「人々が すべての善き面において神にすがるがごとく その逆さまなる面においても

己を救うものが要るであろうと 神は思われた

全き神は 私を呼ばれた

 " 私に比類するほどの愛あるそなたよ その愛ある心を すべて私に委ねてはくれぬか" と

そして神は言われた

“ 私の愛する これら多くの民人達を見るがよい 私はこれら自由意志を持つに至った民人において 私のすべてである この大いなる宇宙の秘儀を 完成せねばならぬ

それがため この民人達は ひとたび 私から遠く離れたる者とならねばならぬ

しかし その旅路はまことに厳しく 過酷なものとなるであろう

これより先 民人達は 陰と陽 光と影の中にありて その両の面を すべからく現すものとなるであろう あるときは光であり あるときは影となる

私は本来 影を伴い得ぬ光である それ故に 私はいまひとつの光をつくろう

その光とは 影と共にあり 影を伴う光である そなたをわたしの光から生まれた影としよう

その影を伴う光も 私より生ずる 決して分かち得ぬ愛のしるしであることを知ってほしい

さあ ゆくが良い 人々はおのが身に生じた 悪しき心 悪しきことからを どのように扱うべきか まだ知ってはいない

そなたゆきて わたしにかわりてなすが良い わたしにかわる力をそなたに与えよう

決して戻るな 時至るまで 決して戻るではない

また このことを忘れるな そなたの戻る日の来るまで この私も決して涙の枯れる日はない

そなたの力が 大いなればなるほどに 人々はまた苦しむであろうが

それもまた 全き私のもとへの回帰の旅路であると知るがよい

私もまた 人々と共に苦しむ者となるであろう

よきかな 私の苦しきこの胸のうちを知るが良い 旅立て 誰にも知らるな そなた一人の知るところのものである

否 そなたと共にある 光を担う者のみが(注:いえす) このことを知るであろう

ゆけ 旅立て " そのようにして 私 るしえるは 神のもとを去った

一人のものの他 このことを知るものはいなかった

全き神の愛に光り輝く その者の名は  いえす

彼 いえすは私と そのようにして対をなす者とはなったのである

全き神よ 私はその日から 私の持てる大いなる力の故に

まことに 神の言わるる人を愛する心のゆえに 闇の国の帝王とはなりたるものを」

 神の意志のもと、ある時はいえすを、またある時はルシファーを仰ぎながら、人類は、善悪を超えた様々な体験を積み、魂の進化を遂げてきました。

 すべては必然で必要な過程だったのです。

「人々よ そなたたちは もう幼子ではない 己の歩みし 生命の旅路その意味するところのものを いまこそ人々よ 知るが良い いえすによりて あがなわれし罪ばら 私によりて収められし 諸々の悪しきことがら そなたたちの心にありては いまだ消えざる 重きことがらではあるが もはや知るとき至りぬ

すべては 神の御心によりて 我らと共に歩みし 遠き旅路でありしことを知りたまえ 知りたまえ 人々よ 

まことに多き悪しきことがらの数々それらはすべて人にありて取除かるべき神の いまひとつの姿でありしものを人々よ 知るが良いそなたたちの前に置かれし二人の天使の その役割を

いまこそ人々よ 知るが良い 彼 いえすは 光の光 そして 私は その光に伴いし 影であった

かなしきかな 光なきところに影はなく まことに影は 光に 伴いきたり

おお  私の全き光よ 影なる全き光の光 神よ 私はこれにて解き放れしか

私に与えられし この大いなる闇の帝国 そはいまこそ 人々の前にありて ガラガラと 音立てて崩れ去りし もはやあとかたもなし あるは 全き光のみ

人々よ 知るが良い そなたたちの前にあるは 全き神の 愛のきざはしのみ

登りゆけ ふりむくではない 登りゆきて やすらぐが良い そこにてまた 我も待つなり

我もまた ともにやすらぐなり

やさしき人々よ 私と共に このありあけの 歓びの歌をうたおう 神の創りたまいし

この全き 世界よ 全き 宇宙よ 全き 人々の心よ すべてはいまこそ 朝の目覚めを迎える」

 重く尊き使命から解放された大天使るしえるの歓喜は、この後もまだ続きます。

 しかし、長くなるのでこれくらいにしておきましょう。

 ご興味があれば、ぜひこの本をご覧ください。ここまでお読みいただきありがとうございました。 時は至れり 地球におけるいえすとるしえるの物語に参加できたことを、私は深く感謝しています。