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海を出てサーファー臍を見つめをり

2024.10.03 07:31

https://www.snowpeak.co.jp/mag-spw/camp/1293/ 【サーフィンから学ぶ人生観】より

突然ですが僕は趣味でサーフィンをやります。海に行かない日も波情報をチェックするくらいどっぷりサーフィンにハマっています。

サーフィンは海に行く前から始まります。まずは情報収集をします。風向き、波の向き、潮の動き、混雑状況の予測などを行い、一番遊べるポイントはどこ⁉とリサーチするのも楽しいんです。

いつも海に向かう前はいつもそんなことを考えています。予測が外れてしまうこともありますが、思った通りその日の最高な波に当たるとそれはもう身震いするくらい興奮します!

自然のリズムに逆らわない。逆らえない。

アウトドアでは当たり前ですが、サーフィンも自然のリズムには逆らえません。昔、サーフィン仲間と伊豆にトリップに行ったときに自由な香りがする中年のおじさんに出会いました。改造バンに乗りロングボードを5~6本積んで、まるで雑誌から出てきたような人でした。お話を聞いていると全国の海を回ってサーフィンをしていると教えてくれました。

キャリアも30年以上あり、サーファーとしては大先輩な方でした。今でも覚えていますが、その方が「どんな波でも楽しまなきゃだめだよ!」と言っていたのがとても印象に残っています。実はキャリアがある人のほうが「今日は潮回りがだめだ」「サイズが足りない」「ブレイクがいまいち」など、海に対して厳しいことを言う人が多い印象だったため、すごく驚きました。自然と遊ぶことは自然に逆らわないこと、自然のリズムと歩むことの大切さを学んだ気がしました。

波は平等にくるもの。

ちょっと大げさなことを言うとサーフィンは他のスポーツよりも精神世界に通じている部分が大きいと感じます。

波待ちをしていると空と海の色が交わりその場の空間に溶け込む感覚を味わうことがあります。サーフィンは人生に似ている部分があります。いいときもあれば悪いときもある。ときには波を譲りいい波が来ても力んで失敗する…。

壁を1つ越えるたびに達成感があり課題がまた生まれる。

力量と理想のバランスを保ちながら自分のステージを見つけるところが人生に似ていると感じます。他人や世の中と比べないことの大切さ、自分の居場所と仲間を見つける喜び、歯車が合わないとき、迷っているときは海に入り、自然のリズムを感じ、客観的に自分を見つめなおすことができるのもサーフィンの魅力です。


https://gomuhouchi.com/serialization/6653/ 【おへそを向ける、中心をはずさない、相手から逃げない。】より

 先月、私が代表を務める遠藤ボランティアグループ(35年前、作家の故遠藤周作氏の提唱で始まった、ベッドサイドでの傾聴をめざす病院ボランティア)の講座(勉強会)に、トレスペクト教育研究所代表・宇都出雅巳さんをお招きして、講演(傾聴に役立つ、しかもあまり伝えられていない話」と演習を受講した。「聞く(声が聞こえる)」と「聴く(「聴」を構成する耳・目・心を傾けて聴く)」の違いは、英語のヒア(Can you hear me?=聞こえてますか?)とリッスン(Listen to me!=私の話をよく聴いて!)の違いだろうか。

 究極の傾聴をめざす私たちに配られたレジュメに、➀コーチングにおける「傾聴」とは?/➁相手の話ではなく、自分の中の話を聴いていませんか?/➂相手の話したいことではなく、自分の聞きたいことを聴いていませんか?/➃相手の話ではなく、相手の言葉だけを聴いていませんか? 4つの問いがあった。

 最初の➀では、「傾聴」には意識の向け方による段階があって、レベル1=内的傾聴(自分自身にだけ意識が向けられている状態)→レベル2=集中的傾聴(自分自身だけでなく相手に対しても意識が向けられている状態)→レベル3=全方位的傾聴(自分を含め、自分の周り360度すべてに意識が向けられている状態)へと進むにつれて、相手の思いが「気配」として感じられるようになる、ということを学んだ。

 たとえば、➁では、「人は相手の話を聞きながら、自分の話(相手の話や言葉に反応した、自分の「潜在記憶」)を聞いている」ことがよくある。たとえば、相手の「昨晩、飲みすぎてね」という話に、あなたが自分の潜在意識から「酒のことか……」と反応した場合、たしかに耳では相手の話を聞きながら、脳では自分の方に意識が向いている。つまり、「自分の中の(潜在意識にある)話を聴いている」ことになる。

 宇都出さんは、レベル1(内的傾聴)の特徴を、自分の記憶に「意識の矢印」が向いた状態、と説明する。

 私はこの「意識の矢印」を一歩進めて、「思いのベクトル」と呼びたい。「ベクトル」とは、向き(方向)と大きさを持つ量のことだが、この「思い」には矢印(方向)だけでなく、重さ(エネルギー量)もある。軽い「思い」はすぐに消えるが、重たい「思い」は大きなエネルギーを放射する。それだけに、相手の心を癒すあたたかさともなり、あるときは、相手の心を鋭く切り裂くつめたさともなるのだが……。

 さて、相手の「○○の方がいいと思う」という話に、「それはいいね(ダメだ)」と意見を述べるのは、自分の記憶(経験)をもとにした言葉だから、意識の矢印は「相手」ではなく「自分」に向いている。

 ➂では、レベル2(集中的傾聴)に求められる(相手に意識の矢印を向ける)3つのコツが説明された。

 (1)話し手が話したことを、そのまま繰り返す(『つまり、いまおっしゃった「○○」なんですね』)。

 (2)話し手が使った言葉を用いて質問する(『いま話された「○○」は、たとえばどういうことですか』)。

 (3)思ったことを、I(アイ)メッセージで伝える(『お話にあった「○○」は、私には……と思えた』)。

 傾聴の演習では、二人ずつペアを組んだ。聞き手役は親指を立て、「意識の矢印」が「自分に向いた」ときは自分を指さし、「相手に向いた」ときは相手を指さす。たとえば、話し手役が「私は●●を大切にしています」と語り、それを受けた聞き手役の発言が「私の場合は△△を大切にしています」なら、自分を指さし、「なぜ(あなたは)そう考えたのですか?」なら、相手を指さす。途中でその役割を交代する。実際に「指さし」をやってみると、相手の話をよく聞いて発言したつもりなのに、「意識の矢印」が自分をさすことが多かった。宇都出さんは、この親指の「指さし」を「見える化」(無意識の視覚化)と呼んでいる。

 ここで、私がかつて大学や専門学校で「コミュニケーション論」を講じていた経験から、相手の記憶に働きかけて、「意識の矢印」を相手に向けるための参考意見として、次に挙げる2つの方法を提案した。

 (1)質問を考えながら、相手の話を聴く→話を全部聞いたあとで、改めて質問をひねり出すのは難しい。

 (2)相手の記憶に働きかける言葉→「たとえば? それは、なぜなの? それをひと言でまとめると?」

 もうひとつ、➃の問い(相手の言葉だけを聴いていませんか?)では、話に出てくる「事柄」だけに焦点を当てやすい。その「事柄」の背景にある「人」の気持ち、思い、願い、話し手の視点に焦点を当てて聴くコツは、相手に投げかける「ユー・クエスチョン」にある。たとえば、相手からの問い「私はあがり症でうまく話せません。私の話を聞いてどう思われましたか?」に対し、「あなたはあがり症に見えない」「いや、うまく話せているよ」などの答えは、「人」の思いではなく、あがり症という「事柄」に焦点が合っている。「意識の矢印」を相手に向けるには、相手からの問いを「あがり症であるあなた自身は、周囲からどう思われていると思いますか?」とそのまま質問者本人に返すことで、あがり症である(と思い込んでいる?)自分が「周囲の目」をどう不安に感じているのか、その「人」の具体的な悩みを聴くことが可能になる。

 さらにもうひとつ、相手の話を注意深く「見て・聞いて・感じて」聴く、あるいは聴きわける意識で聴くことが大切だと、宇都出さんは強調する。人を引きつける話し手は、その話の中に「見える・聞こえる・感じる(匂い・風・温度)」言葉を多く用いるといわれるが、この場合は聞き手の方が相手の話の中から、「見て・聞いて・感じて」聴きわける力、編集工学研究所・松岡正剛所長ふうにいえば「イメージ(事柄の輪郭)をマネージ(言葉や画像に編集)する」力を逆方向に活用することで、実際にマネージ(編集)された「言葉」から、「人(話し手)」が伝えたい「事柄」のイメージを連想しながら「聴く」ことができるだろう。

 ところで、遠藤ボランティアグループがめざす活動のひとつに、病院や介護施設における「究極の傾聴」がある。たとえば、きょうは話をしたい気分ではない人、病気や高齢などの理由で話せない人から聴く、つまり「聞かないで聴く」ことである。それは15年前、遠藤ボランティアグループ結成20周年記念講演会の講師・河合隼雄さん(当時は文化庁長官)が紹介した次のエピソードが、大きなヒントになっている。

 ユング派の心理学者で臨床家でもある河合さんは、50分間のカウンセリング中、ひと言もしゃべらなかった不登校の男子中学生の話をされた。2回目のときも、彼は黙ったままだった。河合さんも黙っていた。しかし、3回目からは、自分の方から堰を切ったように不登校の理由を話し始めた。あとから聞いた話によると、「あの先生な、ようけ話を聞いてくれはるんや」と、その中学生が母親に言っていたという。

 このエピソードを解くカギは、『こころの天気図』(河合隼雄著、三笠書房、1994年)に示されている。

 【分裂病の心理療法家として名高いジョン・ウィアー・ベリーという人がいますが、その人がこう言っていました。どんな患者さんに対しても、それを鎮めようとか治そうとかするのではなく、こちらが「自らの中心をはずすことなく、ずっとそばにいる」というのをやり続けると、収まってくる、と。「自らの中心をはずすことなく、ずっとそばにいる」――これはカウンセリングにも言えることで、最高の方法ですね。言語を絶するほど難しい。そしてエネルギーのいることですが。(中略)「中心」というのは、自分の中心でもあるし、相手の中心とも言える。体の中心、心の中心としても捉えられる。さらには、その場の中心や、大きく言えば宇宙の中心というのもイメージできる。単純に説明できるものではないと思いますが、人と会う時、中心に関するファンタジーというか、イマジネーションを働かせてみるのは大事じゃないかと思います。中心からはずれないでいることが難しいということは、つまり、いかに我々が中心からはずれやすいかということです。】 

(同書「相談する 相談される」203~204ページ)

 講演の中で「中心をはずさないためのコツは、自分のおへそを、つねに相手のおへそに向けておくことです。私はひと言もようしゃべりませんでしたがね」と微笑む河合さんは、ひと言も言葉を交わさなかったカウンセリングの間じゅう、相手の中学生から中心をはずさなかった。普通なら「何か話してくれなきゃ、話にならないじゃないか」とさじを投げるところだが、河合さんは長い沈黙の間、自分のおへそを中学生のおへそに向けていた。どこまでも「中心」をはずさない覚悟で、最後まで相手から逃げなかったのである。


https://www.youtube.com/watch?v=bzdUk3eudTY&t=1139s