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和はなび

伝統を受け継ぐということ

2018.12.17 09:21

 このサイトの管理人であるオカダヒデアキは仕事以外では空手団体で役職についたりもしている。

 空手が伝統文化というカテゴリーに入るかどうかは置き、私の空手生活を通して伝統を守り、受け継ぐことへの僕なりの解釈を書きたいと思う。もちろん、伝統の受け継ぎ方は人それぞれという前提で読んで欲しい。


まずは疑ってみた


 私が所属する空手団体は全日本空手道連盟錬武会という団体だ。

 大学から空手をはじめ、たまたま錬武会加盟の空手部に入部した僕にとって、錬武会は不思議な団体だった。

 あれ?NHKで見た寸止めルール(全空連ルール)じゃないんだ。でもK-1によく出てるフルコンタクト空手でもないな。

 インターネットで調べても大して出てこない。当時は他団体も全日本空手道連盟(伝統空手の統括組織、以下「全空連」)の協力団体であってもあまりちゃんとしたホームページはなかった。錬武会には簡素なホームページはあったが、情報量が少ない。当然、wikipediaにも当時は全然書かれていなかった。その上、錬武会の全国大会である「全国防具付空手道選手権大会」について、全空連の公式サイトにもほとんど書かれていなかった。

 でも少ない情報の中にはかなり重要な一文もあった。

 「日本で最初の空手の全国大会をやった」「元々は錬武会が全空連だった」

 そこで僕は国会図書館に行き、空手関係の書籍や雑誌で錬武会について書かれているものを片っ端から読み、コピーをした。その結果、こういう解釈に行きついた。

「戦後、GHQの武道禁止令で剣道や柔道等が禁止されていた時代、剣道の防具を使って空手をやったのが錬武会のはじまり。ただ、当時の防具はまだまだ危険度は高く、普及しにくかった。」

 時間をかけて調べたことで、少しだけ錬武会の大枠を掴むことができた。


他の空手をやってみた


 たまたま入った空手部が錬武会だっただけの話であり、当時の私は錬武会だけに固執する理由も無かったので、他の団体はどういう競技ルールでやっているのかと、オープン参加できる大会には黒帯を取得後積極的に参加した。

 お金はなかったけど体は動かせた大学時代。特に私は早くに大学院に行くことを決めていたので、3年の後期から4年の前期まではほぼ毎月どこかの団体のいずれかのルールの大会に参加していた。

 空手は本当に色々なルールがあった。寸止めと言われる全空連ルール、当て止めと言われる協会ルール、フルコンタクトルールはもちろん、面だけつけて体はダメージ判定のルールもあったし、肘やローキックを認める団体もあったし、錬武会と同じ防具をつけるルールにも、防具が違ったり、ポイントとなる打撃の判定強度が全然違ったり、技によって配点が違ったりした。
 本当に強い人間ならどんなルールでも対応できるなんて言う人もいるけれど、私は決して圧倒的に強いタイプの人間ではなかったので、試合に勝つためにはそれぞれのルールでどう戦うか、事前に作戦を立てる必要があった。

 そんな他団体からのこのこと参戦して浮いている私に対して、他流派、他団体の審判、先生たちは皆さんとてもいい人だった。そして結構気さくに話しかけてきてくれた。

 ところが、錬武会については名前は知っていてもどういう団体でどういう競技ルールであるかを知っている人は少なかった。中には全空連の団体ということで、当たり強度の軽い団体という誤った認識のもとに否定してくる人もいた。

 そしてほとんどが、「自分がやっている空手こそが一番」だと思っていた。


「この場を残したい」という気持ちの高まり


 よく海外に行ったことで逆に日本の良さに気づいて日本が好きになった、という人がいる。他流派に出たことは、私にとって他流派の人がどういう人であるかということ以上に、錬武会がどういう団体かを知ることになった。

 それは錬武会の選手の技に対する意識の高さだった。

 ちょっとマニアックな空手の話になるけれども、錬武会は当初剣道の防具を使っていたこともあり、日本武道的な「一本勝負」のルールになっている。つまり一本、相手を一撃で倒す前提の空手になっているのだ。

 一撃必殺が現実的かどうかについては色々と議論はあるけれども、少なくとも錬武会の選手たちは一撃必殺の技を目指してガッツリ腰を入れて、思い切り相手を打ち抜きながらも、伝統的動作を重んじて引手をしっかりと引く空手になっている。

 そして単にポイントをとることに満足せず、技を磨くことに余念がない。

 もちろん、欠点もある。錬武会は一発狙い過ぎるので、スピーディーで純粋な技のかけひきであれば全空連ルールの方が進んでいるし、連打前提であれば硬式空手の加点方式は優れている。また、接近戦でれば極真空手をはじめとしたフルコンタクトルールは強い。

 だけれども、錬武会で空手をはじめ、錬武会の良さに気づいた自分は、単に競技者として楽しむだけではなく、この空手を無くしてはいけないな、と思うようになった。

 この技を育む環境を守り育てたい。そしてもっといろんな人に知って欲しい。

 別に他流・他団体を否定するつもりはない。他団体にも他団体の良さがある前提で、錬武会の良さを発信したいのだ。

 きっと全空連ルールの人が他ルールの試合に出れば自分たちの「スピーディーで純粋な技のかけひき」を再発見すると思うし、フルコン空手の人は「接近戦の強さ」を身をもって発見すると思う。大事なのは自分で魅力を見つけ、伝えることだと思うのだ。

 他流の先生が錬武会を正しく知らなかったのは当然だ。ホームページが簡素でネット上に動画もあまり無かったのだ。だから私は錬武会のホームページを素人ながらリニューアルし、動画を編集してネットに上げるようになった。その一つが下の動画だ。

 そんなことをやっているうちに、いつ間にか役職についていた。今では、「錬武会を誤った像で認識し、否定する」という人はいなくなったように思う。


伝統を守るということ


 私の中で伝統を守るというのは「伝統の中に絶対的な魅力を見つけ、それを存続していく仕組みを作ること」だと思う。

 伝統という言葉もなかなか厄介な言葉で、30~40年くらいの歴史でも「伝統」だと言う人もいれば、伝統だからそれにまつわる全てを変えてはいけないと思っている人もいる。

 でも、私は「伝統だから変えてはいけない」ということはないと思う。

 何に魅力があり人々が受け継いできたか、何を人々が大事にしてきたかを見極め、根幹となる部分以外は時代に応じて変えるのは当然のことだと思う。祭りであっても儀式であってもそう。

 そして、そのためには一度伝統を疑うことも必要だと思う。

 「ここは変えられない。なぜならば伝統だから。」

 この考え方は伝統的に受け継がれてきた大切な何かを後世に伝える上では、損失の方が多いと思う。

 「本当にその全てが伝統なのか?」

 その疑問の先に、きっと自分が伝統を守る上でやるべきこと、本当に守るべきものの答えがある。

 そしてそこに異文化への批判は必要ない。なぜなら、和をもって尊しとなすという思いこそが、きっと全ての日本文化に通じるいいところだからだ。