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中島坊童事務所|探偵業|取材・執筆|新宿・仙台

所長のおつとめ[コラム03]

2024.07.01 01:46

以下の内容は中島が過去に関わった実話ですが、関係者の個人情報が特定できないように配慮しながら原稿を作成しています。


第3回「オーストラリアからのメール」

前回のコラムで少し触れた相談者Bさんのエピソード。この原稿ではBさんのことを智美さん(仮名・26歳)と呼ぶ。


智美さんの決意は固まっていた。2年前に結婚した夫(27歳)と離婚する。できれば離婚に至らないように、と耐え抜いてきたが、もう限界だった。精神的にも肉体的にも。

私は都内のファミレスで智美さんの言葉に耳を傾けている。彼女が離婚したい理由はDVだという。

出会ったときの夫は、誰よりも魅力的な人物だった。いつでも優しい人だった。プロポーズされたときも、迷わずに受け入れた。

しかし結婚生活が始まると、その態度が豹変した。夫は智美さんのことを所有物のように扱った。支配者のような態度で命令するようになった。智美さんがそれを拒否したり抵抗したりすると、暴力によって服従させた。

DVに悩み苦しんでいることは、2年間、誰にも話していない。家族、親族、友人たちに祝福された結婚だったし、結婚式も盛大に行った。だから「夫婦関係がうまくいっていない」とは言えなかった。何よりも両親に心配をかけたくはない。でも、もう限界だった。

「これを見てください」

智美さんはシャツの右腕の袖をまくり上げた。手首と肘の中間に、くっきりした楕円形の傷跡がある。

「夫に噛まれたんです」

人間の歯型。DVの痕跡だった。よく2年間も我慢してきたものだ、と思う。その歯型を持つ夫と離婚することに異論はない。

とはいえ、智美さんがこの件を私に打ち明けた目的は、夫のDVをなんとかすることではないという。夫と離婚する決意はすでに固まっている。

智美さんが困っているのは、その離婚の決意をどうしても両親に伝えることができない、ということだ。

「父も母も、それに弟も、私が幸せな結婚生活を送っていると思い込んでいます。DVの被害にあっているなんて想像もしていません。だから私が突然『離婚する』と言い出したら、家族を驚かせることになってしまいます。だけど、もうこれ以上我慢できません。両親に心配をかけたくないから2年間耐えてきましたが、このような場合、両親にはどのように切り出せばいいのでしょうか」

私は即答する。

「お父さんかお母さんの携帯番号を教えてください。いまここで私がご両親に電話して、『DVでつらい思いをしている智美さんが離婚したいそうです』と伝えてあげますよ」

しかし智美さんは「いや、それは・・・」と複雑な表情を見せる。

「違う方法のほうがよさそうですね。離婚したいという気持ちをご両親に伝える方法は・・・シンプルなのは、家族会議をセッティングして、私もそこに参加させてもらって、智美さんが話しやすい空気を私が作る、という形でしょうかね」

「私もそう思っていました。今度、このお店に両親を連れてきます。そして私は離婚の決意を打ち明けます。で、そのとき、中島さんに立ち会ってほしいんです。中島さんは何も言わなくてもいい。私が自分で言いますから。その様子を見ていてほしいんです。お願いできますか」


後日、智美さんとその両親、私の4人がファミレスのテーブルを囲んだ。

両親はともに50代前半で、どちらも優しそうなタイプだ。娘から「どうしても話したいことがある。ただし話しにくい内容だから、知人を交えて話したい」と聞かされ、不審に思いながらも娘を信じてここに来た、という状況である。

私は目の前の家族3人を見守る。智美さんは私の目を見てから両親に言った。

「パパ、ママ。あのね、どうしても言わなければならないことがあって」

「智ちゃん、どうしたの?」

母親が言った。父親は軽く腕を組んで黙っている。

「あのね・・・」

智美さんはどうしても言い出せない。

「あのね・・・」

言いたいのに言い出せない、という心理状態が彼女を混乱させたのか、涙があふれ出す。それを見た母親がバッグからハンカチを取り出し、娘の涙を拭った。

「席を外しましょうか」

私は言った。

「いえ、ここにいてください。私、ちゃんと言いますから」

智美さんは改めて両親に顔を向けた。

「あのね、私、離婚したい」

その言葉を聞いた父親は「そうか」と言った。母親は黙って頷いた。

「驚かないの? 実はね、◯◯さん(夫の名前)からずっと暴力を受けていて。そのことをパパとママにどうしても言えなくて。でも、もう我慢できない」

智美さんの言葉を受けて母親が言う。

「智ちゃんの様子がおかしいこと、わかってたよ。今年のお正月も、智ちゃんは一人でうち(実家)に帰ってきたでしょう。◯◯さんは風邪をひいてしまったから一人で来たって言ってたけれど、でも智ちゃんの様子は明らかにおかしかったもの」

「暴力はいつからなんだ?」

父親が問いかける。

「結婚してすぐに。最初は、機嫌の悪い◯◯さんが、お酒に酔って、私に八つ当たりしてきて。壁に押し付けられて、アザができた。それからは、酔っていないときでも、機嫌が悪くなると私のお腹を蹴ったり首を締めたり。スマホの画面を割られてしまったこともあったし。私が言いなりにならないと◯◯さんが暴れまくる、ということが当たり前になってしまって・・・」

「腕の傷もそうなの?」

母親が言った。歯型のことだ。

「ママ、知ってたの?」

智美さんが驚く。

「もちろん知ってた。でも智ちゃんがその傷を隠すようにしていたから、何も言わなかった。だけど、ずっと心配していたんだからね」

母親の言葉の後半は涙声になっていた。

「だって、智ちゃんは私の大事な娘だもの」

それを聞いて智美さんは泣き出してしまった。父親が言葉を続ける。

「智美、離婚しなさい。この離婚は夫婦の問題だけじゃなくて、智美が悩んでいたことに気づけなかった我々親にも責任がある。智美、ごめんな。本当に悪かった。娘にこんなにもつらい思いをさせてしまって」

父親の言葉の後半も涙声に。

「言いたくても言えなかったんだな。智美を一人ぼっちにさせてしまって、ごめんな」

智美さんの泣き声が大きくなる。おそらく父親が娘の前で涙を見せるのは初めてのことではないだろうか、と私は勝手に想像した。

親子3人が一緒に泣いている。けれどもそれは離婚やDVという問題を抱える苦痛の涙ではなく、この家族がこれから一丸となって困難を乗り越えるための、そんな尊い儀式のように思えた。「一緒に笑う」ではなく、「一緒に怒る」でもなく、「一緒に泣く」という家族の絆もある。私はそれを目の当たりにした。

私は尻ポケットからスマホを取り出してメールをチェックする。「すみません、急用が入ったので、外で電話してきます」と嘘をつき、5分ほどテーブルを離れた。

ファミレスの前で智美さんと両親を見送った。もし離婚話がこじれるようなことがあったら、私が弁護士事務所に付き添うこともできる、と念のため伝えた。

その夜、智美さんからお礼のメールが届いた。

「離婚の決意を両親に伝えることができない、という私にとっての大問題が解決しました。でも離婚するまでには、他にも様々な問題があります。これからの人生の中にも様々な問題が現れるでしょう。だから私は、問題を解決することではなく、問題を解決できる人になることを目指します。今日の出来事を通じて、そう思いました。『問題を解決すること』と『問題を解決できる人になること』は同じような言葉ですが、私の中では違うものなんです」


それから4か月後。智美さんからメールが届いた。その後、離婚が成立し、現在はオーストラリアにいるという。彼女は学生時代にオーストラリアに留学したことがあった。そのような縁もあり、離婚後は日本をしばらく離れ、そこで暮らすことにしたという。

美容外科で治療を受け、腕の傷跡(歯型)がほとんど目立たなくなった、とも書かれていた。「最初は歯型の上に天使のタトゥーを入れてごまかそうとしましたが・・・というのはウソですが」というジョークも書かれている。苦悩や困難を乗り越え、それをジョークのネタにできるようになったとき、その人は確実に成長している。

メールを読み終えた私は思う。智美さんは自分の問題を解決するために、自分でそのやり方を決めて自分で行動を起こした。そして自分で解決した。ドラマチックである。私はこのドラマのちょい役として出演できたことが、とても嬉しい。

(2024年6月 中島坊童)