曼珠沙華ならんで稲を送りけり
曼珠沙華そのなかいまにかんがえる 高資
Facebok小早川 喬さん投稿記事
怖い花だ、と ばあさんに言われた。毒があって縁起悪いと。
だが彼岸花には 曼珠沙華という別名があってこれは天上のありがたい花、とも。
毒もあるが、薬でもあるし、飢餓時の食糧にもなった。
何事にも多面性や相対性ってもんがある。ともあれ何やらとても賢い花だと思う。
曼珠沙華あらやしきまで飛び火する 高資
Faceb00k玉井 昭彦さん投稿記事 (男のひといき)彼岸花と妻
今年も彼岸花が咲いた。
子どもの頃、母に「きれいな花だね」と言ったら、曼珠沙華ともいうと教えてくれた。それ以来、この花になぜか哀愁のようなものを感じて、好きになった。
今の家に引っ越して三十数年、田んぼの残る近所の風景の中に、忽然と咲く彼岸花。今年もご近所のお宅の庭に数輪咲いた。これまであまり気にも留めなかったのだが、今年は違った。その家の奥さんに「きれいに咲きましたね」と声を掛けると、「少し遅いが、今年は色も鮮やかに五輪も咲いたのよ」とおっしゃった。
その花をじっと見つめていると、「お父さん、わたし今、ここに居るのよ」とにっこりする妻の顔が花に重なって、思わず涙がにじんだ。
そう言えば散歩の折、妻は「きれいな花ね。わたしこの花、好き」とよく言っていた。
61年連れ添った妻が85歳の生涯を閉じた今年、私の心の中には、いつも冷たい風が吹いている。かあさん、どうしている、どこに居る、と話しかけてさびしさを紛らわしている。
この美しい鮮やかな赤い花を見て、妻に会えた気がするひとときであった。
(大阪府和泉市 味冨〈みとみ〉倖三 無職 86歳)
https://www1.ous.ac.jp/garden/hada/plantsdic/angiospermae/monocotyledoneae/amarylidaceae/higanbana/higanbana.htm 【ヒガンバナ】より
Lycoris radiata Herb. (ヒガンバナ科 ヒガンバナ属)
ヒガンバナは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれる多年草。毎年、ちょうど秋のお彼岸(秋分の日)頃に赤色の花を咲かせるので、印象に残る花です。毎年花は咲かせるが、種子は稔らない。稔らないのは3倍体であるからで、中国には2倍体で種子が稔るヒガンバナがあることから、中国原産の植物であり、古い時代に日本に持ち込まれた史前帰化植物の1つであるとされている。
地下にはチューリップに似た球根があり、球根を増やして増殖する。本来ならば、球根の幅しか分布を拡大できないはずだが、農作業や洪水などによって球根が移動し、耕作地の畦を中心に、道路の法面や河原などに点々と生育が見られる。しかし、花好きの人間が移動させる距離が最も重要だろう。土砂による埋没には大変強く、10cm位の土壌が新たに被さっても、簡単に球根を上方に移動させてしまう。このような能力が、河原での繁茂に結びついているのであろう。モグラ除けにあぜ道に植えるとの話もある。
ヒガンバナの花は花茎の上に通常6個の花が咲く。花弁はリボン状で絡み合っており、雄しべや雌しべも長くて構造がわかりにくい。1つの花は、花弁(花被)は6枚で細長く、縮れている。雄しべは6本、雌しべは1本で、長く飛び出ている。
https://www1.ous.ac.jp/garden/hada/plantsdic/angiospermae/monocotyledoneae/amarylidaceae/higanbana/higanbana2.htm 【ヒガンバナの生活史】より
「彼岸花 葉は花を見ず、花は葉を見ず・・・・」 このような詩があったと思うのだが、下の方を思い出せない。葉っぱがある時には花が咲かず、花が咲くときには葉がありません。本当は一つのものなのに、お互いすれ違いで寂しいものです・・・といった意味の詩でした。このように、春から葉を落として休眠状態であったヒガンバナは、ちょうどお彼岸の中日(秋分の日;9月23日)の前頃からいきなり花を咲かせます。小生の画像フォルダーには、9月15日頃からの画像が多い。2011年の初確認は9月11日でした。これは、全国一斉なのでで、温度を感じているわけではないと思われる。土の中で休眠状態のヒガンバナがどのようにして秋分の日を知るのか、大変興味深い現象である。
ヒガンバナが花を咲かせる秋分の日頃は、本来ならば夏草はまだ茂っており、人間が刈り取りなどの作業を行っていない場所では開花しても目立たない。しかしながら、このころは稲刈りのためにあぜ道などは刈り取られるし、ご先祖様が向こう岸までおいでになるお彼岸には、前もって田圃の周りを草刈りしてきれいにしておくのが昔からの習慣であるのでしょう。このような、昔からの伝統にヒガンバナの開花は、見事にマッチングしている。小生の住まいする赤磐市では、イネの穂が出て稔り始める頃、これよりも冷涼な山間地域では、ちょうど刈り取ってもらったのを見計らって、花を咲かせていることになるわけです。
撮影している画像を年と場所を無視して月日順に並べてみた。ほとんどもくろみ通り、の順番になった。同じ地域でもバラつきがあるのは確かだが、あまり場所や年によって違いがないということだろう。
9月19日:ツボミが大きく生長 9月21日:開き始めたものや開いたものがある
9月23日:秋分の日、たくさんの花が 10月9日:花が白くなり始める
10月13日:膨らんだ子房(種子はできない) 10月26日:花茎の根元から葉がでている
11月5日:冬の光を浴びて生長 1月1日:葉の長さは長くなった
1月1日:冬草との競争はない 4月13日:枯れ始めた葉
ヒガンバナの球根は地表直下にあり、チューリップの球根と同じ大きさか、やや大きい。斜面に対して直角に埋まっている。断面はタマネギと同様にたくさんの葉が重なって栄養分を貯蔵し、球根を形成していることがわかる。茎は根の出ている濃い黄色の部分。
https://www.hakuzengroup.com/tag/%E6%9B%BC%E7%8F%A0%E6%B2%99%E8%8F%AF/ 【彼岸花(ひがんばな)】より
彼岸花(ひがんばな)は、秋の彼岸と時を同じくするかのように、夏の終わりから秋にかけて美しく咲きます。
彼岸花には、特に球根に毒が含まれているため、
彼岸花が土手や畦道に植えられているのは、モグラやネズミから稲や野菜などの農作物を守るためだと言われており、また墓地で多く見られるのも、モグラやネズミから埋葬された遺体を守るためだという言い伝えがあります。
彼岸花には、たくさんの別名があります。
その中でもいちばん耳にするのは、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」ではないでしょうか。
これは、サンスクリット語(※)で、「天界に咲く花」という意味です。
おめでたいことが起こる兆しに赤い花が天から降ってくるという、仏教の経典から来ています。※サンスクリット語は、古代インドの標準的文章語であり、かつてインドではお教がサンスクリット語で書かれていた時代もあったことから、仏教に影響を与えている言葉です。
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本日は秋の彼岸入りです。
この世(此岸)とあの世(彼岸)が最も通じやすくなると考えられているお彼岸。
遠方にいるなどして、お墓参りがかなわなくとも、故人様を想い、ご先祖様を想い、
西の夕日に向かって手を合わせませんか。
https://chitose-eniwa.mypl.net/shop/00000365260/news?d=2070210 【秋のお彼岸...稲とご先祖さまについて】より
高野山真言宗 秘鍵山 光明寺
千歳市周辺の田んぼでも、にぎにぎと実った稲穂が刈り取られ、今年も多くの新米が収穫されました。9月は秋のお彼岸ですが、なぜ彼岸は春・秋の2回あるのでしょうか。
一説には、彼岸は元々、仏教が伝わるずっと前から行われてきた先祖供養だといわれます。
日本古来の信仰では、亡くなった先祖の魂は山の上に昇り「山の神」となり、春、田植えの時期に里に降りてきて稲穂に宿る「田の神」になるとされます。そして秋、ふっくらと実った稲穂が刈り取られると共にまた魂は山に帰り、収穫された米は私たち子孫を生かしてくれるのです。
それゆえ、日本人は古くから、先祖が稲に宿ってくださる春と、稲穂からまた山へ帰ってゆく秋に、その御霊に感謝して、供養したのです。
それが後世、仏教に取り入れられ、現在の「彼岸」という形で伝えられました。
私たちが今こうして生きているのも、ご先祖さまが生命のバトンを繋いでくれたからに他なりません。
今日も食卓に何気なく並ぶご飯。
食事の際、箸を取る前に、そんなご先祖さまに感謝の気持ちを込めて、手を合わせ、「いただきます」と唱えてみてはいかがでしょうか。