2024年6月25日(火)
2024年6月25日(火)雨
午前中は倉庫に寄って、週末のカルチャーフェスに使う什器やら本やらを掘り返す。
作業の途中で雨が強まり、雨が倉庫内に入り込んではいけないので中断。
車の中で少し雨の様子を見ていたが弱まりそうもないので、また後日作業をすることにして自店へ向かう。
荷を下ろしてから車をコインパーキングに停めてその足で本の発送を行い店に戻る。
結構前に市場で仕入れた古めのポストカードが倉庫でほったらかしになっていたので、催事で販売できそうなものの仕分けをしたり値付け作業を進める。
昼過ぎに同業の大先輩がご来店。隣のカフェでおしゃべり。
週末の催事、秋頃の催事の話等々。
それと本が売れない買取がないという話で盛り上がる。
売れないのはうちだけではないということに少し安堵感を覚えるが、普通に考えてうちの方が断然よろしくないのは明らかだなあと後から気がつく。
まあでも週末のイベント含めて、今年は催事のお誘いは多いので、苦しい状況だけどなんとか生き延びなければと気持ちを奮い立たせられる。
夕方前に友人が来店。またお隣のカフェでおしゃべり。
ここ最近の中でも実に様々な話題と内容の濃さだったと思う。
いろいろ話したけれども、僕にとっては今度の県知事選の話をできたのがとても良かった。
先日知人たちとのおしゃべりの中で県知事選の話になり、そのおしゃべりの中のお一人が、一番能力のある候補者に一票を投じると言っていたことに妙に引っ掛かりを覚えた。
「一番能力がある人」というのがどういう文脈で言ったのかは分からないし、単に他の候補者を政策含め支持する理由がなかったので、便宜上「一番能力がある人」と言っただけかもしれない。
僕が上で言うような「引っ掛かり」は、その言葉を発言した人自身やその考えについての違和感というよりは、「能力」を判断基準に投票を行なって政治は本当に良くなるのだろうか?という疑問からくるものだったと今振り返ると思う。
僕自身、政治を行ううえで能力は大事な要素だと思うし、能力にある種の信頼や期待を抱く傾向はある。
しかし、「政策」よりも「能力」を優先して投票した場合、社会は本当に良くなるのだろうか?という疑問もありモヤモヤしてしまっていた。
別に確信があったわけではないけれども、そんなモヤっとした疑問を話したら、友人は何か良いリアクションを取ってくれるような予感がしていた。
ということで、モヤっとしていたことを話したところ、過去の県知事選で「能力」を判断基準に投票した結果後悔したという話を聞かせてもらった。
結局「一番能力がある人」が当選したところでマニフェストに掲げていない政策はやらないものだと。
友人が明確に言ったわけではないが、やはり社会を良くするかどうかを左右するのは「政策」だよなと、友人と話して改めて確信を持った。
モヤっとしているんだけど自分自身何に対して違和感を感じているのか分からない物事について他人とちゃんと話せるのは本当にありがたいなと改めて思った。
それと友人と話していて、以前友人知人たちと一緒にジェンダー的差別や不均等に関する話をしていた時のことを思い出した。
その中のある女性が言っていたことで、自分はパートナーのことを頭のいい人だと思っているが、ジェンダー的差別や不平等に意識的な人だとは思わない、ということだった。
ジェンダーに対する意識はある種の感性の問題が関わっていて、能力があるからといってその問題を認識できるとは限らないと言っていたのが印象深く残っている。
政治的なことに関わらず、「能力」に関しては個人的にいろいろと思うことがあり、今後ますます現代的なテーマになりそうな気がする。
少なくとも、様々な社会的行為に対する価値基準や判断を、能力(だけ)に還元しない視点を持つことは今後ますます重要になるのではないだろうか。
まあいろいろ自分の中で言語化ができていないテーマの話なので、またきちんと他人に説明ができるように勉強を進めたい。
とりあえず今度の県知事選で誰に投票するかははっきりしたので近いうちに期日前投票を済ませようと思う。