二十四冊目【街場の現代思想】
【街場の現代思想】
著者 内田 樹
出版 NTT出版
欠けているのは「知識」ではない。欠けているのは、「自分の持っている知識」は「どのような知識であり、どのような知識でないか」についての認識、自分自身の「知っていること」と「知らないこと」をざっと一望俯瞰するような視点。ひとことで言えば、「自分の知識についての知識」なのである。
コラム形式でちょっとした時間に読みやすい内田樹の「街場の○○」シリーズ。2004年の発刊ですが、その後の現状と重ねて読んでみるとなかなか面白いです。内田樹の著書は例外なく「なるほど!わかりやすい!」ということから距離があります。どちらかというと身も蓋もないことをはっきりと言っています。それ故、自己啓発やビジネス本のような「○○をするだけで変わる○○術」みたいな本とは根本的に異なります。内田樹の本には、「人があたりまえすぎて言わないような、あたりまえのこと」しか書かれていません。だから「それはそうだけど……」となる読者も多いようです。しかし、読書をする上で、大切なのは「わかった気になること」よりも「わからないということに気がつく経験」なので、ぼくは内田樹の本が好きです。万人にお勧めしようとは思いませんが、普段かかえているモヤモヤに、はっきりとした口調で「無意味」「もう手遅れ」と言い切ってもらえることは、いつまでも「自分はまだ本気を出してないだけ…」「環境が悪いんだ…」と他者のせいにして貴重な時間を無駄に浪費するよりは、いくらか建設的な態度だと思います。
おおくの人はなにかを始める時「なにかを新たに始めること」に集中していますが、むしろその時期に大切にしないといけないのは「これまで続けてきたなにかが終わること」に対する処置です。「開始」に眼をとられて「終えること」から向き合わなければ、すぐに頓挫してしまいます。あたりまえのことで「開始」は一瞬で終わり、周りもそして自分自身も「続けること」への意識の移行を余儀なくされ、簡単に言えば「飽きる」か「疲れて」しまいます。そんな時どうするか。今回の開始に際して「前の終わりに向き合ってきた人」であれば、過去の反省から推論を立てることができます。つまり「終わりに向かう道筋」を想像できます。しかし「開始」にしか集中してこなかった人は、いまやっていることを簡単に投げ出して「リニューアル」や「転職」を選択します。つまり次の開始に注力するのです。…そんなことを繰り返しやることを魅力的に思えますか?内田樹の本で学べることは「革新的な開始の方法」ではありません。そこに書かれる多くは「先人が積み重ねてきた終わりの作法」についてです。実はぼくらが生きていくのには「知識」はそんなに必要ありません。適材適所、それぞれが必要なことを知っていれば生きられます。そして、なにが自分にとって必要で、なにが不要なのか。という問いに答えてくれるのは「自分がなにを知っていて、なにを知らないのか」それがわかる為の「知識」なのです。