シューベルトの狂気を確認できた夕べ
昨夜、6月13日、ダネル弦楽四重奏団を聴きました(アクロス福岡)。
曲構成は、プロコフィエフ作の弦楽四重奏曲 第1番と第2番を両端にシューベルトの第13番「ロザムンデ」と四重奏断章を挟んだもの。
弦楽四重奏をかなり好きな方向けの曲構成で、そして、とても意外な組合せです。
私は「ロザムンデ」に大きな期待を抱いていました。
ある批評家がシューベルトは、画家には多いが音楽家では少ない天才かつ狂人の一人とあると言ってましたが、それを再確認できた夕べでした。
この曲は、シューベルトが亡くなる4年前の作。
晩年のシューベルトは、生活の窮乏と健康状態の悪化の渦中から抜け出せず、心の病も抱えていたそうです。
しかし、創作については、変わらず泉のように沸き上がっていました。
人間と音楽家のバランスが取れず、心は崩壊状態=狂気の域にあったのではないでしょうか?
それが天才かつ狂人と言われる由縁と思うのです。
シューベルトの狂気は「ロザムンデ」と同年作の弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」、以降の第15番、弦楽五重奏曲に露わに描かれています。
しかし、「ロザムンデ」では狂気はオブラートに包まれて、多くの四重奏団の演奏では旋律美や憂愁な情緒だけしか聴こえてこないのです。
おそらく、その狂気を感じていないのでは?
ダネル弦楽四重奏団の野性的で、アグレシッヴな個性であれば、「ロザムンデ」のオブラートを解いて、内包された狂気を露わに聴かせてくれるだろうと期待したのです。
期待通り、いや、それをはるかに超えていました。
壇上で講談師がシューベルトの狂気を語るようで、「凄まじい」という形容詞がピタリでした。
私は砂被り席で、固唾を飲んで聴き入り、呆然として一つの物体となっていたのです。
第3楽章を終えて、全てが吐きつくされた後、天使の歌のような無垢な第4楽章が続きます。
これは狂気状態のシューベルトが求めていたオアシスでは?と心奮えたのです。
真の「ロザムンデ」を初めて聴けた思いです!
そして、休憩を挟んでは、シューベルトの四重奏断章、プロコフィエフの第2番。
驚きました。
素晴らしい演奏だったのですが、ともに常軌を逸脱していない精神性から生まれたものと感じ、「ロザムンデ」の狂気を体感した後、私の心を揺さぶってはくれなかったのです。
私が「ロザムンデ」にエネルギーを使い果たしたのかもしれないけれど・・・。
シューベルトの狂気。
それを知ることができるのは、晩年の3曲の弦楽四重奏曲、弦楽五重奏曲、ピアノ・ソナタ、歌曲でのみではないでしょうか?