令和6年7月分 金剛寺住職法話
【はじめに】
ギスギスした風潮(文句、批判、誹謗中傷)の昨今、以前、程良い癒しを提供してくだされた、拙僧法話読者さんのお話を、ここで前座としてご披露させて頂きます。
読者の女性が「私の友人が『サボテンは花を咲かせる、って聞いたから買ったのに』と不服を。対し、私が『話し掛けたら、咲くそうだよ』と教えると『そんな馬鹿な』と。その半年後『あなたの言う事を信じて、あれからずっと話し掛け続けたら』と喜んで私に報告を。そこで私、ここがチャンスと友人に『なれば今度は、1日に1度でいいから、ご主人に話し掛けてごらん。心を開いてくれるかもよ』と。人(ご主人)がそうなる(閉口)には、そうなる理由がありますもんね。彼女にとってサボテンは、良い教訓になったようです」と。
毎月1日の投稿法話は、インターネットを扱えない人達(檀家ご老人など)の為に、コピーして配布させていただいているものです。読者の中には、この法話をコピーして、社員さん達に配布されている社長さんもおられると聞きました。いつもよりも少々長いですので、鬱陶しいと思われましたら、無視して下さいませ。
【本 文】
この7月は、任侠道を歩いた男性の7回忌。現在、わが寺の納骨堂で永眠(行年53歳)を。思い出話に一席、お付き合い願えましたら、彼の供養にもなろうかと。この任侠男性が10歳の時、両親に連れられて、わが寺に。それが縁で彼は、先代(拙僧の父)を尊敬の対象に。高校2年までは、東大合格間違いなし、とまで言われた秀才の彼でしたが、母親からの過度の勉強の押し付けでブチ切れ、高校を中退して単身、大阪へ。そこで暴走族に絡まれ、大勢相手に大立ち回り。その時に初めて『自分は喧嘩が強かったんだ』というを知る事に。気付けば、暴走族の総長に。町の名前を書くとわかる人もいるだろうから、控えておきますね。彼の名が知れ渡ると、任侠界がスカウトに来て、極道の道へ。それから先は、裏社会で生きる事に。が、3ヶ月に1度は必ず、拙僧の父に会いにわが寺へ。その拙僧父が他界、葬儀の時、会場の外で立ったまま、会場内に入らない彼を「何をしとる。入らんかい」と誘い入れると、700人の会葬者の最後尾に立ったまま参列を。棺桶の中に花入れが始まると、拙僧に「俺もいいですか」と。1番最後に花を供えながら、棺桶にしがみ付いて、大泣きを。出棺のドラが鳴り終わるまでは、会場にいた彼でしたが、いつの間にか姿が見えなくなっていました。父(先代)の死後は、拙僧が彼の相手をする事に。その後も、彼は必ず3ヶ月に1度は、わが寺に。4ヶ月も、5ヶ月も、間が開くと「また、刑務所に入ったのかな」と。推察通り、刑務所から手紙が。その手紙がですたい、文章内容といい、使用している漢字といい『この男、ほんとに頭が良かったんだろうな』というもの。このパターンが4度ありました。但し、逮捕の理由はいつも同じ。同業者間での抗争。「お寺に参拝が出来なくなるから、恐喝、薬は、絶対にやりません」と、彼は捕まる度に、拙僧の父や拙僧に獄中から手紙を。
彼が48歳の時、電話で拙僧に「親分の許しが出たので、足を洗って、東北大震災の作業に行きます。有限会社を立ち上げたいので、会社の名前を付けてもらえませんか」と拙僧に。その1年後、東京オリンピックの話が優先となり、震災作業の予算が削られ、その煽りが他所(よそ)から来た人達に。作業員を50人以上抱えていた彼は、給料の支払いで首が回らなくなり、苛立ちから毎夜の深酒で肝硬変に。その彼から「仕事がうまくいかなくなって、2年粘りましたが、住職、すいません。ここで頑張ると約束したのに、もう限界です」と泣きながら電話が。その時にはもう、目をやられて、あまり見えない状態に。その頃、拙僧の知人も、震災作業で東北へ。その知人が「博ちゃん(拙僧の事)、こっちでは、最も危険な場所で作業してる多くは、任侠界の人達なんだよ。事情を知らん人達が、訳もわからずにピンハネ問題で騒いでいるが『じゃ、そんな危険な場所で、あんたらは働けるのか。働きに来てくれるのか』と言いたいよ」と腹を立ててた知人の顔が、今でも脳裏に。その1年後、音沙汰のなかった彼から電話があり「今、両親のいる沖縄の病院に入院しています。今、全く目が見えていません。医者は、いつ死んでもおかしくないと。現在、私の世話を代わる代わるカタギの友人達が、本土からわざわざ来てくれて。有難いです。実は、お願いなんですが、俺は檀家じゃないが、親父様(拙僧の父)の横で眠りたいから、金剛寺の納骨堂に入れてもらう事は出来ませんかね。住職、今度、人間に生まれ変わる事を許してもらえるなら、次は極道にはなりません。一生懸命に勉強して、世の中の為に尽くしたいと思います」と。これが、最後の彼との会話に。この心があったから極道を引退して、残りの命を原発作業に。今現在、彼はわが寺の納骨堂で永眠を。この極道男性には弟(現53歳)さんが。その弟さんが「兄とは、ずっと絶縁状態です。兄が極道である事で、私には婚約者がいたに、今も独身のまま。兄がそんなに足繁くお寺に伺っていたとは。お坊さんの説法を素直に聞く様な人間では。俄には信じられません」と。その弟さんは、定期的に極道兄の納骨堂参りに。
話は変わりますが、拙僧の法話読者が「住職は相当数の相談を受けてこられたんでしょ。その数は」と。「そうだね。千の単位は軽く超えてるかな」「その中でこれは酷い、と思った話は」「色んな酷いがあるからね。じゃ、1つだけ。これは数年前の話だが、当人が当時『SNSに私の話を投稿して下さい。考えなければならない人達が数多におられると思いますので』というご本人の希望で投稿した話があるから、その話を今回は」と。
この読者に拙僧「当時、相談の電話をくれたは、還暦前の女性で、その女性が『私は幼い頃から、両親と兄から罵詈雑言に、虐待を。中学1年の時、兄が自転車の乗り方を教えてやる、と無理矢理私を自転車に。フラフラして乗ってる私を蹴り上げて、2ヶ月間入院する程の大怪我をさせられました。退院してくると、今度は父が、足を引き摺って歩く私の姿に、イラっときて、夜中、私が寝ている時に、悪い方の足を無理矢理逆に折り曲げ、私は身障者に。私が20歳になった時、父が、相手を決めてきた、と私の気持ちも聞かずに結婚させられ、それから30年以上も、DVを夫から受け続ける事に。何度も両親に、離婚させて下さい、と頼みましたが、世間体が悪い、と聞き入れてはくれませんでした。そんな夫婦関係なので、子供も出来ず、55歳になってやっと、聞き入れてもらい、夫と離婚を。その時には既に、両親は兄夫婦に捨てられ、老人ホームに。よって私が、ホームに足を運ぶ事に。両親は歳を取っているので、以前の様に暴力を振るう事はないですが、毎日、罵詈雑言を私に。それでも足を運ばないと、ホームの人達に迷惑が。今は、そんな状態です。誰かに聞いてもらわないと、心が救われませんので、ご住職に』と。そんな話が」と。
この法話読者が「何とも、凄まじい話ですね」と。「拙僧が相談を受けてきた中では、最高級かもしれん。が、この女性、今はその両親も他界し、独り身で、生活も楽ではないが、出来る仕事をやりながら、人生で初めて、安らぎの時間を過ごせているとの連絡が。世の中には、この様な境遇の人が、どのくらいおられるんだろうね」「私も人に負けないくらい、辛い人生を過ごしてきたと思っておりましたが、上には上がいるもんですね。この女性と比べれば、私など」と、この法話読者が。最後にこの読者が「実はですね。数年前『住職の140字の法話は、俳句ですよね』とメールを」と。「あれ、君だったんかい」「はい。が、昨今、住職の法話は長文に。何か、あったんですか」と。「140字では、伝わらない人が多くてね。長い、と文句を言われても、ある程度、詳細に書かないと。それでも伝わらない人(含み言葉を読み取れない人)はいるが。だけどね、これ以上の長文は」「住職の法話投稿に対して『私には、関係のない話』と文句を言ってくる人がいるようですが、この世の中、関係のない話なんてないですもんね。読み取り方次第で、自分のどこかに当てはまりますもんね。文句言いの人達は、自分を中心に世の中が流れているかの様に、文句を言ってきますもんね」「まあ、時代の流れなんだろうね」と。
【付録】
約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話ですが、近頃は有難い事に、他宗のご住職様達や、寺院の奥様(坊守、寺庭)達から「住職(拙僧の事)の法話を、檀家さん達に使わせてもらっていいですか」との連絡が頻繁に。「お役に立ちますれば、幸にて」と快諾を。SNSとは、良きご縁も頂けるので、有難いですよね。
拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁で、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。
令和 6 年 7 月分 金剛寺住職 臨時法話
昨今の世界情勢(イスラエル、ロシア、日本の近隣国など)を見ていると、以前、こんな事(昨年の5月下旬に投稿した法話)を言ってきた大学生がいたな、と思い出しましたので、今日、ここでご披露を。
理系大学生の読者が「住職さん。軍事を必要以上に毛嫌いしている人達がおりますが、戦争で産まれた技術が沢山、私達の生活の中に溶け込んでるんだけどな。軍事技術は『国の存亡、国民の生命』が掛かっているから、厳格な基準が定められているんだよね。一般的な環境で作るそれ(物)とは違い、高性能な技術や完成度が求められています。転用すれば、非常に優れた製品に。だからと言って、戦争を肯定してる訳ではありませんよ。こんな事を言ったら必ず『戦争肯定者か』と批判が殺到するからな、昨今の日本は。ただ『こんな事にも影響を与えてくれてるんだよ』と、話しているだけなんですけどね」と。対し、拙僧「転用品というが、どんな品物があるの」と尋ねると「色々ありますよ。米国がソ連からの核攻撃を想定し、非常事態においても、指揮系統が失わない様に、分散処理システムとして出来たのが、インターネットでしょ。パソコンは、弾道計算を目的に開発された『エニアック』が元ですもんね。1秒間に5千回の計算能力を持つ、デジタルコンピュータとしてこの世に。光ファイバーケーブルは、核攻撃による電磁パルスでも、破壊されない様な通信ケーブルとして開発されたものだし。携帯電話は、軍事用無線機の技術を応用して、携帯電話を米国の『モトローラー社』が開発を。電子レンジは、レーダー開発の実験中に、偶然マイクロ波による急速な加熱現象を発見した事が始まりと聞いています。他にも、まだありますよ。戦争(殺戮)という環境から作られた事については、皮肉ですけどね。人間は追い込まれないと力(知力、工夫)を発揮出来ない事も事実かな。住職さんが、度々法話の中で『日本は今、お金さえ出せば、何でも手に入る。壊れたら捨てて、買い換えればいいという考え方。工夫して活かす必要のない国に。よって、知識も知恵も工夫も、下降の一途を』と言われているでしょ」と。
続けて理系大学生が「軍事技術転用品は、まだあるよ。腕時計は、英国軍が砲撃のタイミングを測る懐中時計を革ベルトで手首に付けた事が始まりだというし。ティッシュペーパーは、第一次大戦中にガスマスクフィルターとして使われたが始まりらしいし。他にも、テレビゲーム、カーディガン、トレンチコート、原子炉も。あっ、それとですね。缶詰も軍事技術の転用品だよ。ナポレオンが遠征の為の食料保管のアイデアを募り、初めは瓶詰めの提案が。が、瓶は重い事から後に、缶詰が考案されたんだと。因みに缶詰が世に出て、何と、48年後の事だよ『缶切り』が発明されたのは。戦時食から一般食になって、流石に不便を感じたから、そこで工夫が齎されたんでしょうね」と。対し、この理系君に拙僧「それにしても君は、よく知ってるな」と言うと「世の中の物は、全て表裏一体でしょ」「確かにそうだ。不平不満、不足ばかり言ってる様じゃ、何も得る物はないわな」と。
その数ヶ月後、また、その理系君と話す機会が。彼が「住職さん。逆に、人間の生活向上の為に考えられたものが、犯罪、大量殺戮に使われた物もあるよね。昨今で言えば、A I がそうだよね。人の言動、表情を学習させて、オレオレ詐欺に使ってますもんね。原子力もそうでしょ。米国のビキニ環礁、水素爆弾実験後、原子力開発に携わった物理学者のアインシュタインは、哲学者ラッセルと共に1955年から、核廃絶運動を。良い事に使われる物は、悪い事にも使われる。使い方と、使う人間次第で、別物に変わるは仕方のない事かな。英国のホーキング博士(理論物理学者)が『そもそも人間は、知的生命体なのか。同種で殺し合う様は、そうであるとは思えない』と。僕もそう思うよ」「まあ、残念な事だが、1つの命の誕生と同時に、1つの欲もまた、誕生を。これが未来永劫繰り返される。全ての欲が悪い訳ではないが、欲は時に、生きる原動力の役目も。要するに、使い方だね。石川五右衛門さんが辞世で『浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ』と言ったとされる言葉は、真理だわ。わかっていても、出来ないのが人間。だが、諦めたらお終い。微かな期待は、教育かな」と。
理系と言えば、今年の5月、拙僧の息子(次男、30歳)は、四国巡拝に。コロナのお陰でリモートでの仕事が出来る様になり、歩きながら仕事を。愛媛県の某遍路宿から電話があり「父さん、部屋の窓が開けられんのよ。窓いっぱいにカメムシが付いていて」と。「今年は、大量発生らしいもんな」「大量発生は、年によっても異なるんだよね。基本、冬以外はウロウロしている虫だけど、大量発生するは、初夏から秋に掛けてみたいだよ。カメムシは刺激(攻撃されたと認識)を与えなければ、匂いを出す事はない、という事だもんね。ウルトラ害虫という可哀想な通り名を与えられているが、まあ、それも仕方ない事なんだが。農家(果樹園含む)の人達にとっては、死活問題だもんね、僕達一般は『臭い』だけで済むけど。ところで父さん、こんな話を知ってるかい。カメムシを密閉容器に入れると、自分の出した匂いで死んでしまう事がある、という事を」と。「いや、それは初耳だな」と。「だけど、自然の中で密閉された空間に入る状況になるなんて、ほぼないでしょ。実際は自分の匂いで死ぬなんて事はないんだけどね。この事をさわり(少ない知識)だけ知っている人達は『自分の匂いで死ぬ、愚かな虫』という間違った印象(認識)を持ってるが、そうじゃないんだよな。『身から出た錆』で自分の身(心)を痛めるは、鉄と人間だけだよ。愚かなのは、カメムシじゃなくて、人間の方なんだけどな」「それは言えるかもな。だけど、四国巡拝はいつも、知っている事でも、知らない事でも、改めて考えさせられる教訓を、自然の中から与えてもらえるよな。有難いもんだ」と。すると息子が「考えたら、父さん。地球の生物の7割が昆虫なんだもんね。つまり、地球は昆虫の星と言っても過言ではない。その昆虫中心の小さな星(地球)で、地球の生物量の0、01%に過ぎない人間が今現在、ロシアを軸に喧嘩の話ばかり。おまけに昨今は、一部の国で核武装の話まで飛び出して。そろそろ人間は、他の生物と折り合って生きていく事を真剣に考えないと、戦争(核戦争も含む)で人間同士が殺し合う前に、他の生物(ウイルスも含)から大逆襲を受ける事になるかもしれないよね。コロナいっちょで、世界中があれだけ右往左往を。人間が如何に無力であるかを、嫌っちゅうほど知らされたにも関わらず、今ではもう、どこ吹く風でまた、やりたか放題を。救い難いよね、人間って奴は」と。
余談として、息子が「実は、父さん。45番札所の岩屋寺の手前で、信仰の勧誘にあってね。急いでいるのに、30分も足止めさせられたんだよ。『メールの交換しましょう』と言われたけど、流石に初対面でそれはないな、と思ったけどね」と。「なんで『私は、住職の息子で現在、僧侶(副住職)としてお寺の手伝いをしてる』と教えてあげなかったの」「余計に面倒臭くなると思って言わなかった」「どこよ」「〇〇宗(〇〇の2文字は、字数ではありません)だと言ってた。パンフレットも無理矢理押し付けられたよ。どうも、四国巡礼者を待ち伏せして、勧誘してるみたいだったよ」「そうか。リンゴを取ろうと思えば、リンゴ畑から、ミカンを取ろうと思えば、ミカン畑から、だな」「そういう事だろうね。信仰に興味のない人達を勧誘するは、骨が折れるからね。四国霊場だと手っ取り早いわね」と。続けて拙僧、息子に「その宗団なら以前、何度もお寺(わが寺)まで、父さんを勧誘しに来たんだよ。『私達の宗団の方が、あなた(拙僧の事)の力を発揮出来ると思いますよ』と言って。ほぼ毎回、母さんが相手をして、丁重にお帰り頂いたが。まあ、そりゃ、もう、自分ところ(宗)が1番だと、他宗を貶すわ、腐すわ、落とし込むは。どこをどう押しゃ、そんなに次から次に悪口が出てくるのか、感心して聞いていたが、それがあんまり聞き辛かったから、父さん、その宗団の人達に『法然さんが、親鸞さんが、ご自分が900年生きて、浄土宗を、浄土真宗を今日まで、繋いできた訳ではないですよ。その時代、その時代の人達が大変な苦労をして、受け継いで、後世へ、後世へと、流してきてくれたお陰で、今日の私達までその尊い教えが。あなた達(拙僧を勧誘に来た人達)は、その何百人、何千人、恐らくそれ以上の人達(継承者)に対し、大変失礼だよ。宗論はどちらが勝っても釈迦の恥、と言うでしょ。自分達の宗団に信念や誇りを持つは良い事だけど、他宗の悪口を言うは、あまり褒められた事じゃない。悪口を言うなら、もう2度とここには(拙僧のところ)来なさんな。悪口は、聞きたくないんでね』と追い返したわ。それ以来、顔を見せる事は、なくなったけどね」と。「そうなんだ。でも、凄い布教魂だよね」「それには感心したわ。根性が座っとる。他宗の寺院に赴いて、住職を勧誘しようなんて尋常じゃない。父さんにはとても、とても、そんな芸当(根性)は無理だわ。檀家さん達とは、和気藹々にのんびりと、先祖さんには恩返しとして、手を合わせていければ、それだけでよかもんな」と。
下記で、拙僧の過去法話を読むことが出来ます。宜しければ、どうぞ。
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