Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

真宗大谷派 霊苔山 金相寺

掲示伝道(7月no1)

2024.06.30 21:22

「無明とは、わかっていることにしている暗さである」


 仏教では、私たちの存在を無明と教えます。無明とは真理に暗い存在ということです。しかし、真理に暗いということは、真理を知らないということにとどまらず、そのような自分であることにすら気付けない暗さを言うのです。

 私たちはなんでも人間の知恵で明らかになると思っていますし、何よりも自分が正しいと思っています。ですから、いつでも正義に立って平気で他者を裁き、傷つけるのではないでしょうか。

 暗さとは、わからないことではなく、わかっていることにしていることが暗くさせるのです。物事を何でも自分の思いで握りしめる私たちこそが暗い存在なのです。そのような私たちに「本当にそうなのか?」と問うはたらきが仏法なのではないでしょうか。何かをわかるために学ぶのではないのです。暗い私、何も真理がわかっていない私をこそ教えられることが、大事なことなのではないでしょうか。