「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 生贄となった彰子を取り巻く環境
「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 生贄となった彰子を取り巻く環境
毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」の感想やその時代の簡単な内容を、何となく一応歴史小説作家という感じで書いている。もちろん今回の大河ドラマの制作とは全く関係がないので、単なる一視聴者が好き勝手に勝手なことを言っているだけの事であり、何か特別なことを書いているつもりは全くない。そのようなことで見ていただければよいかもしれない。
さて、今回は「道長の娘」である彰子(見上愛さん)の入内についての事である。歴史的な説では、道長(柄本佐さん)は自分の権力のために、自分の娘までも道具のように使ったというようなことも書いているが学者の意見もあるが、正直なところ、当時の人々の事をわかっているというようなこともなかったのであろうから、単なる「現代人の憶測」に過ぎない。
さてこの時代は「天皇」という絶対的な権力と権威をもったものがあり、そこに入内し、次の天皇を生むということが重視され、そのことが一ぞkの繁栄につながった。ということは当然に、一族にとっては「女性が生まれる事」が慶事出会ったということが言える。天皇家に入って男の子を生んでくれ、そしてそのものが権力者たる天皇になるということが最も良いことであったということになるのであろう。
そのような常識的な考え方を見れば、当然に天皇に入内することは一族の繁栄を意味しているのであるから、喜ばしいことであったに違いない。しかし、普通の親であり人間であれば、手塩にかけて育てた娘が、入内し、気軽に会うこともできないというのは、やはり良いことではないであろう。現代の政子皇后の小和田家や、紀子妃の川島家ではどのように考えていたのか。嬉しくもあり、悲しくもあり、ということが正直なところではないか。
今回彰子中宮誕生において、道長や妻の源倫子(黒木華さん)の複雑な感情をうまく表現した演技は、ある意味で秀逸ではなかったか。
【光る君へ】黒木華、道長の「生贄」発言に理解「そうするしかない…すごく切なく」
俳優の黒木華が30日、NHKの大河ドラマ『光る君へ』(日曜午後8時)で演じる源倫子について、夫・道長(柄本佑)への思いなど自身の考えを同ドラマの公式HPの人気企画「君かたり」で明かした。同企画は注目シーンなどを撮り終えたキャストが現場で撮影シーンや演じる人物への思いを語る企画。
まずは道長に対する倫子の変化について紹介。
「ほとんど一目惚れという形なので、どういう方かも知らず、とりあえず好きというか、『この方がいい』という直感じゃないですけれど、それで多分、進んでいっていたので、結婚するまでどういう方だったのかっていうことの印象があまりなくて、なので今、同じ道を進むではないですけど、政だったりとかに関わった道長さんを見て、何とか支えたいじゃないですけれど、道長が望む道筋というものを妻として一番に支えられたらいいなと思ってやってはいますかね」
母・倫子としての思いも語った。
「本当に自分の子どもたちを愛しているんだなっていうのは感じますね。それは多分、母と父からそういうふうに育てられたというのもありますし、政治関係なく豊かに育てられたっていうのがあるので、その自分の育ってきた環境っていうものは絶対に子育てに影響しているだろうなとは思いますね。だから穆子(あつこ)さんに言うセリフでもありますけど、『私は入内しなくて殿と結婚して幸せになったし、そういう生活を彰子にも政治に左右されない幸せな生活をしてほしい』というセリフがありますし、やっぱり子どもの幸せを第一には思っているんじゃないですかね」
娘の彰子の入内を考える道長の言葉「これは生贄だ」にも言及した。
「すごい言葉を使うなとは思いますね。きっと道長もそれを分かって言っている。入内するっていうことは左大臣としての政治に対するもので、こうするしかないけど、道長自身も多分、彰子のことを大事にはしているでしょうし、ただ、そうするしかないんだっていう言葉。すごく切なくも私は受け取りましたし、だけれど、こうするしかないっていう選ぶ道はない……力強さじゃないですけど、そういうのも感じましたね」
ENCOUNT編集部
6/30(日) ENCOUNT
https://news.yahoo.co.jp/articles/04f8fd87421dfea733a9ba012ee00ebb373ac0c1
さて、ドラマとしては二つの家を軸に展開している。ひとつは藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)の所に輿入れしたまひろ(吉高由里子さん)の家庭である。輿入れしたといっても、実際には、当時は「通い婚」という制度で女性は自分の家を持ち、男性がその家に通うというようなことになている。家は女性の家の持ち物であり、その家で子供は育てられるというようなことになっている。男性は、どの家に行くかということを選ぶのであるが、同時に様々な家を渡り歩いて、その家で暮らしている子供の成長を見守るというようなことになるので、あまり通わなくなるというようなこともなかったのではないか。あまり面倒を見ないと自分のメンツもなくなるし、自分の血を引いた子供が変な事件を起こすようなことになってしまうので、それは困るということになる。
まひろは、要するに今まで通りに藤原為時(岸谷五朗さん)の家にあり、藤原宣孝が通ってくるということになる。そのまひろが頭が良く、また潔癖症であることから、なかなか夫婦仲がうまくゆかないというようなことになり、そのことがエピソードで書かれている。
ちなみに、まひろは、記録によれば「イワシ」が好きであったというが、イワシは「魚変に弱い」と書くことや、卑しいという音に近いことから当時の貴族の間ではあまり好まれていなかった。イワシを調理していたところで宣孝が来てしまったときに、まひろが和かで遣り込めるというようなエピソードがあるが、そのへんもうまく書いてもらいたいものである
さて、もう一つの家が、藤原道長の家の彰子入内の件である。そこには一条天皇(塩野瑛久さん)が、政務を置き去りにして出家した定子中宮(高畑充希さん)のところに通ってしまうことから、うまくゆかなくなっている。そこで中宮定子から話すために彰子を卯だいさせるということになったということになる。ある意味で政治的なこともありまた一方で身分的なこともあるということになろう。一条天皇からすれば、政治の実両者を味方につけなければ不安定ということになり、一方で道長からすれば政治がうまくゆかないのは、一条天皇が政治をしないということである。
今の会社でも上司が遊んでばかりで、何の決済もしないということになってしまえば、仕事が滞ってしまうということになるので、その仕事をさせる気にするために、まずは「事務所に来させる」ということが必要になり、定子から引き離すということになったのであろう。
まさにその「苦渋の決断」を書くことによって、道長の親子愛などがかかれ、一方で、結局は自分の最も愛しているまひろとの間の子供ではないということもここに影響しているということになるのではないか。
今回は、今後の伏線となる内容が様zまあに掛かれているということであり、その「各主人公の心」をうまく書いた内容ではないか。