難しい話をします
アメリカのAmazonでクラシック、つまり古典で検索した本で、上位に入ってくる小説に華氏451と1984って本があります。
この2つはディストピアものというジャンルのSFで、簡単にいうと、ユートピアの逆って意味です。
ユートピアは日本語で楽園と訳されます。
ディストピアはその反対ってことです。
この2つの本を読んでて、恐ろしく現代と通じるものがあると思って、衝撃を受けました。
華氏451では本が禁止されてます。難しいことは考えるなって話。
過去の本が無いので、過去の記憶がなくなります。そうすると現在の記憶しかないので、過去に対する反省も、それを活かした未来への行動もできなくなります。
というより、そんな複雑なことが思考できなくなります。
1984ではこれにプラスして、過去の改竄が当たり前に行われてます。もちろん本は禁止。
あるのはテレビだけ。テレビも国に都合の良いものしか並べ立てません。
数字もあとでいじるので良いんです。過去の出版物から何から何まで保存できないので、全部それを鵜呑みにするしかありません。
二重思考というのがあり、矛盾したものを同時に納得して、受け入れるという技術を身に着けないといけません。
「過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する」というのが出てきます。
これは現在を支配すると過去を支配して、過去を支配すると未来を支配するという意味です。
つまり、現在が重要であるという。まぁ屁理屈みたいな格言です。しかし、それを国民全員が信じてる世界です。
あとはニュースピーク(Newspeak)というものが出てきます。
これは日本語では少しむずかしいのですが、原作が英語なので英語で考えるとわかりやすいです。
良いgood、悪いbadって言葉は2つある必要がなくて、goodだけ必要で、badはungoodで説明がつくって考え方です。
この考え方をすると言葉は圧倒的に少なくできます。
さらに、接尾語、接頭語を使う事によって、現存する言葉を強制的に名詞化、形容詞化、などにしていって、言葉自体を無くします。
また、長い言葉は全て略語にされます。
このニュースピークのすごいところは、言葉が貧相になることによって、複雑な思考ができなくなり、語法も簡単になり、都合の悪い言葉が無くなったり、市民に浸透しやすい土壌を作り上げることが出来るのです。
「〇〇は悪い」って言葉がなくなるので、現在の政権も否定できなくなります。
また、「共産主義インターナショナル」という言葉だといろいろな政治的な色合いが濃いので、反発する感情が芽生えますが、「コミンテルン」と略語にしてしまつと、ただの新しい名詞にしか感じられず、そこになにか政治的な色合いは薄れてしまいます。
同じような言葉に「国民社会主義ドイツ労働者党」は「ナチ」になり、「アジテーションプロパガンダ」は「アジプロ」になり、「ゲハイメ・シュターツ・ポリツァイ・アムト(Geheime Staatspolizei Amt、「秘密州警察部」は「ゲシュタポ」になります。
これらは、もともとの言葉が日本語ではないので、あまり正式名称でもピンと来ないかもしれませんが、日本語でも長々とした名称を略するともともとの意味がわからなくなることは思い当たると思います。
さて、ここからが僕の思ったことです。僕は世界が、どんどん省略する世界になってるように感じます。別に言葉が変成するのは昔からなので、そんなに心配してないのですが、問題は言葉ではなく、我々の思考方法が省略傾向があると思ってます。
読書はすでに出版業界を見ればわかるように、絶滅危惧に瀕してます。特に難しい本は減って、図書館も本屋も平積みされている本は、中身が省略されてたり、難しい理屈がすっ飛ばされて、結論しか書かれてないビジネス書ばっかりだったりします。
確かに結論とその理由が書かれていればいいわけですが、僕が熱心に学術書を紐解いて考えた分野の話を数ページで解説されてると、あまりの情報の省略さ加減に唖然としてしまいす。
同じように、現在僕はこんな内容のブログを長々と何時間もかけて書いてます。こんなのあっちこっちのブログだったり、ウィキペディアからコピペすれば、長い文章なんて、ものの数分で書けるのは知っています。しかし、僕はこの長い文章の中にかなり密度の濃い情報量を詰め込んでます。
ところが、こういった文章を読むのが面倒になって、大体の人達はもっと楽しく、もっと気軽に読めるブログの文章を読みます。
さらにはブログも読みたくない人はツイッターにたどりつきます。
なるほど、簡潔さではツイッターにはブログは勝てません。
一方でツイッターはそのあまりにも少ない情報量でミスリーディングも多くあります。
それだけじゃなくて、ツイッターも読みたくない人はインスタグラムで写真だけ見ます。
あるいはYou Tubeで動画を見ます。
メールが廃れて、チャットになって、我々の普段の連絡はチャットでやりとりしています。
圧倒的に文章にふれる時間が多くなったのに、我々はその文章の質が非常に落ちています。情報量の密度が薄まっていってます。
チャットは書き言葉ではなく、話し言葉でやりとりしていることもあって、文章を読む力がどんどん無くなっていってます。
こういった傾向を見ていくと、僕は世界がどんどん省略されて、ミスリーディングが多発して、極端な思考に向かい、刹那的、短絡的思考に結び付き、快楽主義、自己責任論に向かっていくのではないかと思います。
後半は眠くなって書いてるので自分で何書いてるのかわからなくなってますが、要するにこの二冊は読んでくれって思いました。