Ride in Kyushu Day 3 (18/12/18) Hakata
Day 3: moving to Hakata visiting Shinto Shrine and Budism Temples....
Kyushu University
Miyazaki Shrine
Shofuku-ji Templ
Tocho-ji Temple
Suzaki Fort
今日は福岡を目指して走る。見てみたかった福岡城迄15km、そこから宿迄10kmで合計25kmで余裕持って走れる。午前中はマクドナルドで昨日の旅ジャーナルを作り、昼前に出発。通り道に面白そうな所があれば寄ってみよう。
九州大学/将軍地蔵 Kyushu University
9km程走ると将軍地蔵という表示があった。ちょっと立ち寄る。地蔵堂があり、九州大学の建設の時に道路を挟んだこちら側に移転したと書いてあった。その際に掘り出された地蔵をここにまとめて守っているそうだ。地蔵堂に安置されている地蔵は平清盛の長子重盛が宋から将来したという伝えられており、古くから将軍地蔵と呼ばれている。地蔵堂の開帳は夏の決められて日のみで冬は閉鎖していてみれなかった。ここは寺が管理しているのではなく有志が世話をしているので仕方ない。
会社勤めを始めた時に親しくなった会社の先輩が九州大学出身だった。九州大学のキャンパスは工事中で、廃墟の様な建物もある。既に大学は移転したそうだ。工事と思っていたのだが、実は解体工事だった。正門跡迄行ってみた。昔ながらの大学の正門。大阪での大学時代を思い出した。この様な門も消えて行くのだろうか。そうだとすると残念。
宮崎宮 Miyazaki Shrine
九州大学の正門を通り過ぎると、大きな鳥居が見えてきた。宮崎宮だ。ちょうど雨が降り始めたので、この神社の軒先で雨宿りをする。かなり大きな神社で大きな看板もある。名のある神社だろうと思い、見ることにした。ここは箱崎という地区で鎌倉時代に蒙古襲来で蒙古軍が上陸しこの地区一帯が焼かれてしまった。この宮も例外では無かった。
村上上皇、大内隆景、小早川隆景、黒田長政など名のある大名によって再建された境内にはその当時の所縁の遺構や伝承物がある。真偽は定かでは無いだろうが、地元の思いを反映しており、歴史を振り返るきっかけにはなるので、特に冷ややかになる必要もない。写真は蒙古軍船の錨の一部、蒙古軍と戦った息子が死んでいると思い持ってきた慰霊塔、ご利益があるというパワースポットの湧出石、君が代に歌われているさざれ石
フビライハン政権下の蒙古軍が焼き払った後、再建を指示した亀山上皇は「敵国降伏」と書かれた宸翰を送ったという。その扁額が筥崎宮の神門に掲げられている。福岡のプロサッカーや野球チームの必勝祈願札がある。この敵国降伏にあやかろうと戦国時代より名だたる武将が必勝祈願に訪れたという。今も必勝祈願が続いている。ここ箱崎は昨日行った赤間宿と同じく唐津街道の宿があり、この宮崎宮を訪れる旅人で大いに栄えたという。明治時代に亀山上皇を偲んで金色の像が作られここで公開している。
海岸から続く広く長い参道の脇には迎賓館が作られた結婚式場を経営し、日本庭園まである。儲かっているのか。小豆島で神主をやっている兄には羨ましいかぎりだろう。
この神社で面白いものに遭遇。本殿の裏に西と東でそれぞれ5つの神々を祀った集合住宅の様な祠の狛犬。通常「あ」と「うん」で口を開けた犬と閉じた犬がいるのだが片方の堂の狛犬は2匹とも口が開いていた。閉じているつもりかもしれないが、どうしても開いていると思える。お札を売っている巫女さんに聞いてみればよかった。
もう一つは戦時中に寄進した灯籠の年が紀元節で記載されている。紀元2600年とある。この記述は戦時中のみ使われていたと思う。軍国主義真っ只中の遺物だ。紀元節自体は日本の文化であり、西暦と異なる暦年を用いている国は台湾、イスラムなど多い。紀元節、もっと言えば、天皇が戦争中に軍部に利用された。その為、紀元節を右翼と結びつけられてしまった。不幸な事だ。この様にして文化が人の手で潰されていく。
聖福寺 Shofuku-ji Temple
箱崎を後にして、商人の町の博多に入る。ちなみに博多の東に流れる那珂川を境にして、東は商人の町の博多、西は武家の町の福岡と区別されてきた。
福岡市ができた際に議会では最後まで博多市にするか、福岡市にするか同点だった。議長の一票で福岡市となったいきさつ。交差点で市街図があり「御供所町」がハイライトされて保存地区と書かれていた。保存地区と聞かされては、行かねばならない。車両進入禁止でお寺だらけ。
その中で国史跡の聖福寺に入った。建久6年(1195年)、臨済宗の始祖・栄西によって開山され、日本最初の本格的な禅寺。日本茶の発祥の地だそうだ。境内には、三門・仏殿・本堂と一直線に禅寺の伽藍配置になっている。人もあまりおらず、落ち着いた公園といった感じで、散歩には気持ちの良い所だ。(次に行った東長寺の様な派手さが全く無い所が良い。
東長寺 Tocho-ji Temple
大同元年(806)、唐から帰国した弘法大師が創建と伝わっている。弘法大師の寺としては日本最古。当初は海辺の地にあったが、福岡藩二代藩主・黒田忠之によって現在地へと移った。墓地には二代・忠之、三代・光之、八代・治高の墓がある黒田家の菩提寺となっている。ここは外人も含め観光客が多く来ている。
ここの目玉は色鮮やかな五重塔と木造では大きさ日本一の福岡大仏で観光客には人気がある。どちらも昭和になってからの建造なのだが.....
久しぶりに四国遍路で訓練した読経をした。訪れる人の殆どは読経はしていない。読経が終わるとお札を売っていたおばさんがにこりと笑顔を見せてくれた。九州遍路の一つなのだが... 他の寺でもいつも感じるのだが、四国の遍路寺とは空気が違う。四国は絶え間なく読経が聞こえ、先を急ぐので、白装束のお遍路さんの身のこなしがキビキビしている。休憩しているお遍路さん達は、大粒の汗をタオルで拭い、知らない人同士情報交換や体験を話す。ここの様にその他の寺は観光客と檀家が中心のお寺はゆっくりと時間が流れる。
須崎台場 Suzaki Fort
幕末期、攘夷思想が広まり、福岡藩も、外国船の来襲を防ぐために海外線特に湾の入り口付近や、志賀島・能古島・荒戸山などに多くの台場を設置した。
ここには15門の大砲が備え付け築かれた。明治半ばには時報の為に使用されたが爆音が凄まじく直ぐに使用中止された。
この後、福岡城に行ったのだが、今日は余裕があると思って、神社やお寺で時間を使い過ぎて、結局福岡城は全部は見れず。明日、もう一度行く事にした。今日見た分は明日の旅日記にまとめて入れる事にする。
福岡城を出たのは日も暮れかかった時で、間も無く暗くなり、夜の街を宿に向かう事となった。