「毒親」とパートナー
新聞で、「毒親」をテーマとした記事を読んだ。自ら、毒親経験の持ち主である弁護士が現在は当事者の相談に載っているという。
記事に書かれた「毒親」の特徴なることを読んで、私にも自身の親(母)子関係において思い当たることがあるなと思った。
実は、この記事を読んで初めて思い至ったわけではない。
世間でほんとうに酷い毒親と比べたら我が親は微笑ましいと思うほどだ。だから、普段はあまり意識したりそのことで苦しめられることはほぼない。
とはいえ、記事にある、毒親の行動パターン、思考パターン、子どもに対する態度は驚くほど当てはまるなと思った。
⭐︎プチトラウマと自己肯定感
そのためなのだろうか。
毒親プチトラウマによって私は、いわゆる自己肯定感が低めだ。
自分なんて、とか、この場にいるにふさわしくない人間だ、と感じることがこれまでの人生で多かったし、今でもその傾向はあると思っている。
毒親の行動として記事であげられている特徴には次のようなものがある。
●「自分がどうしたいか」が優先で、「子どもがどう思うか」という視点が絶対的に欠けている
●家の中で母の後ろをついて歩いていると、突然、「金魚のふんみたいについてこないで!」と怒られる
●自身の苦しみを親に対して「カミングアウト」しても、ふーんと普段どおりのリアクションが返ってきてなんの特別な反応も示さない
●子供のころ食卓で話をしても父・母ともに真剣に向き合って聞いてくれようとしない
わが親は、「自分がどうしたいか」が絶対的に優先ということはなかったと思う。
それでも特に母親はマイペースな人間で、アイスが食べたいと思えばわたしの気持ちには関係なく買い与えた。
わたしはいっとき外食や立ち食いなどがとても苦手になってしまった時期があるけれど、そういう時期に押し付けられるかたちでアイスなど渡されると、溶ける前に食べなきゃ!これは食べなきゃ怒られる!という思いに駆られ余計にもたつく。
そんな私に「いつまでもたもたしているの!」と叱責めいた言葉が飛んだ。
また、食卓などで、私が自分のことを話しだすと、意識的ではないにせよ、母親は話をさえぎって自分の言いたいことを優先させた。または、その時の食事に関する用事で席を立ったり、家族に呼びかけたりした。それまでの私の発言はまるで聞こえない、なかったことのように。
そうしたことが起きるたびに、「私の言っていることは大したことがない、意味がないから遮られるのだ、どうってことはない」と思っていた。
少し蒸し暑い日に、母親に近づこうものなら「ベタベタするから近くに寄らないで」と言われた。たしかに汗がべたつくようなときはもっともな言及だ。このときも「わたしがばかだったんだ」と考えた。
おそらくそれらの経験が影響して「自分の存在はどちらかというと大したことはない」という前提で生きている私の目の前に現れたのが、元パートナーだった。
今ならわかる。彼は「おれさま」「DV傾向のあるマンスプ野郎」だ。
だが、付き合い始めた当時は私をお姫様のように優先してくれる彼を新鮮に感じ、瞳を⭐︎にした。
彼は、私の家族との会食の場で私が発言すると、最後まで聞いてくれようとした。
たとえ、母親が、私の発言をさえぎるような行動や発言をしても、「それで?」と私の話を促してくれた。
そのことに感激し、彼はわたしのことを大事に思ってくれる!とますます惹かれるのだった。
⭐︎スパイラル
DV案件あるあるなパターンだ。
シンプルに言い表せば親に虐待された人間が、新たな虐待者をまるで救済者のように感じ自ら、知らず知らずに崇拝してしまう。
闇、ブラック、負のスパイラルだ。
心理分野の専門家が「虐待者」との関係性を、非虐待者が修復してやり直したいという心理のあらわれなのだ、コメントした文章を読んだ記憶がある。
私の場合は、酷い虐待によって精神を病んだり、物理的に困窮したり、DV地獄に陥り抜け出せなくなったわけではない。
パートナー(事実婚の夫)との生活は、「自分の人生を生きていない」と突如として感じて解消した。
母親とは、いまは適度な距離を保ちつつ、表面的には平穏な関係性を維持している。
ただ、母に関しては、認知機能の低下した母親に時折いらりとくる感情を取り出してみると、それは、単なるボケ老人に対するイラダチだけではないように感じることはある。
LINEで頻繁にくるメッセージをことごとく無視したり、認知機能低下にともなう物忘れを、他の親戚とのグループラインであえて公開投稿したりする行為。
これらは無意識のうちに、「あのころ」の仕返しをしているのかもしれないとも思うのだ。
参考記事:2024年7月の朝日新聞朝刊掲載「さらば毒親」(連載)