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名句を味わう 夏目漱石

2024.07.03 06:24

https://haiku-textbook.com/natsume-souseki/ 【【夏目漱石の有名俳句 35選】春夏秋冬!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!】より

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』など数々の文学作品で知られる、明治の大文豪「夏目漱石」。

実は、彼は文学者としてのスタートは俳句だったのです。小説家として活躍する傍ら生涯に2600余りの句を詠み、その斬新にして洒脱な句風は今も多くの人々に愛され続けています。

今回は、漱石が詠んだ名句を季節(春夏秋冬)ごとに紹介していきます。

俳句仙人 ぜひ参考にしてみてください。

夏目漱石の人物像や作風

ファイル:Natsume Soseki photo.jpg

(夏目漱石 出典:Wikipedia)

夏目漱石(1867~1916年)は明治時代を代表する文豪で、作家だけでなく、評論家や大学教授、英文学者など多分野で活躍していました。

漱石が俳句の世界に足を踏み入れるきっかけは、俳人・正岡子規との出会いにありました。

大学の予備門で同窓生だった二人は、子規が書いた漢詩文集『七草集』を漱石が読み批判したことから交流を深めていきました。「変わり者」を現代語訳する「漱石」の俳号も子規から譲り受けたもので、このことからも彼の影響を大きく受けていることがうかがい知れます。互いの才能を認め合い、多大な文学的・人間的影響を与え続けた二人の交流は、子規が亡くなるまで長きにわたり続きました。

(1906年 千駄木邸書斎の漱石 出典:Wikipedia)

また、漱石は子規の指導のもと俳句を自分のものにしていき、小説同様、洒落をきかせた句風が特徴的でした。これには趣味であった落語鑑賞が影響しているといわれています。

そんな彼の人物像は、繊細な性格でかんしゃくもちだったといわれています。イギリス留学中にはノイローゼを発症し、躁鬱状態にまで陥っていることから真面目な性格だったとわかります。

しかし、漱石の門下であった芥川龍之介が「誰よりも江戸っ子でした」と語ったように、義理人情に厚く、世話好きの一面も持ち合わせていました。

次に、夏目漱石の代表的な俳句を季節(春夏秋冬)別に紹介していきます。

夏目漱石の有名俳句・代表作【35選】

(「漱石山房」書斎の漱石 出典:Wikipedia)

春の俳句【9選】

【NO.1】『 菫ほどな 小さき人に 生まれたし 』季語:菫(春)

現代語訳:道端にひっそりと菫が咲いている。目立たずともたくましく咲く、この花のような人に生まれたいものです。.

この句を詠んだ当時、漱石は悩み事も多く、人間社会をわずらわしく感じていました。そんな中でふと道端で見つけた可憐な菫が、周りの環境を気にせず健気に咲く姿に心打たれたのでしょう。「大きな人物」ではなく、あえて「小さな人物」に生まれたいと願う姿に、漱石の心情を滲ませています。社会のしがらみにとらわれることなく、自分の力を尽くす人生でありたいという切実な祈りが伝わってくるようです。

【NO.2】『 鴬や 障子あくれば 東山 』季語:鶯(春)

現代語訳:どこからか鶯の鳴き声が聞こえたので障子を開けると、そこには思いがけない東山の風景がありました。

難しい知識を必要とせず、時系列にそって詠むことができるわかりやすい句です。初句の「鶯や」からは、思わず鶯に呼ばれたような趣が感じられます。気になって障子を開けてみると、ハッと目を見張るほどの春の情景に心動かされた感動が伝わってきます。

【NO.3】『 菜の花の 中へ大きな 入日かな 』 季語:菜の花(春)

現代語訳:夕暮れ時、菜の花畑に赤く大きな太陽が、今ゆっくりと沈んでいくことだ。

あたり一面に広がる菜の花畑に、ゆっくりと太陽が沈んでいく様を、まるで海に沈んでいくように表現しています。日中に見る鮮やかな黄色とは違い、夕日に照り染まりほの暗く輝く菜の花からは幽玄すら感じさせますね。「な」音を多く用いることで、句全体に柔らかな響きを与えています。

【NO.4】『 ぶつぶつと 大なるたにしの 不平かな 』季語:たにし(春)

現代語訳:大きなたにしがぶつぶつと泡を吹いている。まるで不平がとまらないようだなあ。

大きな貝殻を背負うたにしは、その大きく立派な姿からは似合わず、水の中では小さな泡を吹き続けています。その様子を、まるで何か不平をこぼしているように捉えたユーモラスな一句です。初句の「ぶつぶつと」には、たにしが泡を吹いている様子と、不平・不満をもらす擬音語にかけて表しています。

【NO.5】『 濃やかに 弥生の雲の 流れけり 』季語:弥生(春)

現代語訳:色が濃く見える弥生の雲が空を流れていく

「濃やか(こまやか)」とは色の濃い様子を表す表現です。春も深まり花や緑だけでなく雲の色まで色濃く見える気候を眺めて喜んでいます。

【NO.6】『 永き日や 欠伸うつして 別れ行く 』季語:永き日(春)

現代語訳:のどかな春の日だなぁ。君がした欠伸がうつったようにお互いに欠伸をしながら別れて行くことだ。

この句は、作者が教員として働いていた松山の高校から熊本の高校へと転任する際に詠まれました。転任することで離れ離れになる悲しさを、春ののどかさと欠伸で隠している様子が伺えます。

【NO.7】『 雀来て 障子にうごく 花の影 』季語:花(春)

現代語訳:雀が来たようで、障子にうつっている花の影が少し動いている。

障子にうつっていた花の影がちょこちょこと揺れて、鳥が止まって動いている様子を想像している句です。影が揺れるものは他に風がありますが、雀の影も一緒に見えていたのかもしれません。

【NO.8】『 東風や吹く 待つとし聞かば 今帰り来ん 』季語:東風(春)

現代語訳:東風が吹いてきた。私の帰りを待つと聞いたなら今すぐ帰りましょう。

この句は百人一首にも収録されている、在原業平の「たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」を引用しています。離別の歌として有名な和歌で、東風という風の便りを待っているようにも感じる風流な一句です。

【NO.9】『 菜の花の 遥かに黄なり 筑後川 』季語:菜の花(春)

現代語訳:菜の花が一面に黄色い花を咲かせている筑後川だ。

作者は愛媛の松山から熊本に転任となった後に、何度か筑後川を訪れています。河原一面に咲く菜の花を見て、「遥かに」と川の流れとともに雄大な自然を詠んだ句です。

夏の俳句【8選】

【NO.1】『 叩かれて 昼の蚊を吐く 木魚かな 』季語:蚊(夏)

現代語訳:お坊さんが読経のため木魚を叩くと、木魚に潜んでいた蚊が口から飛び出し逃げていったことだ。

昼間でも薄暗く静まりかえる本堂での一場面を洒落を込めて詠んだ句です。お坊さんがおもむろに木魚を叩きはじめると、その拍子に木魚の大きく開きっぱなしになっている口から、ひょろひょろと一匹の蚊が飛んでいきます。まるで木魚がと吐き出したようだと面白みを込めて詠んでいます。厳かな空間にもかかわらず、なんとも間のぬけた情景が思い浮かんできますね。

【NO.2】『 かたまるや 散るや蛍の 川の上 』季語:蛍(夏)

現代語訳:川の上でかたまりになっていたかと思うと、いつの間にか離れて自由に飛びかう蛍たち。

川の上で密集して明滅する蛍という、初夏の幻想的な風景を詠んだ句です。群れては散らばる蛍の不思議な動きを楽しそうに見つめる漱石の姿が目に浮かびます。

【NO.3】『 雲の峰 雷を封じて 聳えけり 』 季語:雲の峰(夏)

現代語訳:暑さ厳しい日、空には雷さえも封じ込めるようにそびえ立つ巨大な入道雲が見える。

青空を背景に、真っ白に連なる雲。そびえ立つ山のようにわき立つ姿からは、圧倒的な存在感や重量感までもが伝わります。入道雲を現代語訳する「雲の峰」の中では、雷が発生し、時折鋭い閃光が走るのが見えます。

雷も夏の季語ではありますが、一句に二つ以上の季語がある場合を「季重なり」といい、一般的には避けるべきとされています。この句では感動の重点が置かれている「雲の峰」を季語ととります。

【NO.4】『 あつきもの むかし大坂 夏御陣 』季語:あつき/暑し(夏)

現代語訳:暑かっただろうなぁ。昔ここであったという大阪夏の陣は。

「夏の陣」というフレーズから暑さを連想しています。実際の大坂夏の陣は旧暦の5月7日、現在の暦では6月の上旬に行われていて、私たちがイメージする夏の猛暑の中の戦いではないと考えられています。

【NO.5】『 鳴きもせで ぐさと刺す蚊や 田原坂 』季語:蚊(夏)

現代語訳:鳴きもしないでぐさっと刺してくる蚊がいるなぁ、この西南戦争が起きた田原坂は。

田原坂(たばるざか)は1877年に起きた西南戦争で一番の激戦区だった地域です。作者が熊本に転任したのは1897年のことで、西南戦争からまだ20年ほどしか経っていませんでした。歴史というには身近すぎる戦乱の地で、今は蚊だけがぐさりと刺してくると詠んでいます。

【NO.6】『 若葉して 手のひらほどの 山の寺 』季語:若葉(夏)

現代語訳:若葉をかき分けていくと、手のひらほどの大きさの山寺が見えてきた。

この句は熊本市にある成道寺で詠まれた句です。近くの若葉をかき分けていくと手のひらほどに小さいお寺が遠くに見えてくるという、遠近法を駆使した一句になっています。

【NO.7】『 灯を消せば 涼しき星や 窓に入る 』季語:涼しき星/星涼し(夏)

現代語訳:明かりを消せば、輝きが涼しく感じる星が見えてくるなぁ。窓から入ってくるように見える。

この句を詠んだときの作者は胃を病んで入院中でした。前年に吐血して生死の境をさまよったこともあって絶対安静を言い渡されていた作者は、昼夜問わず窓の外の世界をひたすら見ていたことでしょう。

【NO.8】『 鳴くならば 満月になけ ほととぎす 』季語:ほととぎす(夏)

現代語訳:鳴くのなれば満月の時に鳴きなさい、ホトトギスよ。

「鳴かぬなら」という戦国武将を評したホトトギスの歌を彷彿とさせる一句ですが、この句は親友である正岡子規に贈られました。勉学で行き詰まった正岡子規に対して、「子規」と同じ意味のホトトギスを詠みこんで「嬉しい時に鳴いて喜びを表しなさい」と励ましています。

秋の俳句【9選】

【NO.1】『 別るるや 夢一筋の 天の川 』季語:天の川(秋)

現代語訳:織姫と彦星のように、私も愛する人と別れた辛さを味わいながら、夢の中に一筋の天の川を描いたことだ。

意識が混濁している時に詠んだもので、自身で作ったことすら覚えていないといわれている一句。これは漱石が療養中に吐血した際、たびたび見舞いに訪れた門下生・松根東洋城にあてたものだとされています。病床にあって夢うつつの中、友人との別れに際し心細さを抱いたのでしょう。まるで自分を彦星であるかのように詠っています。

【NO.2】『 秋の空 浅黄に澄めり 杉に斧 』季語:秋の空(秋)

現代語訳:秋の空は雲ひとつなく青緑色に澄み渡っている。どこからか杉の木を切る斧の音が聞こえてくる。

「浅黄」とは、わずかに緑色を帯びた薄い水色のことで、転じて雲ひとつない晴れ晴れとした気持ちの良い朝を表しています。漱石が療養中に詠まれたもので、この句の前には「秋晴 寐ながら空を見る。ひげをそる」と書かれています。健康なときには気がつかなかった斧の音も、病に臥しているとことさら大きく響いてくるように感じたのかもしれません。

【NO.3】『 肩に来て 人懐かしや 赤蜻蛉 』季語:赤蜻蛉(秋)

現代語訳:肩に赤とんぼが止まった。横目で見ると、なんだか懐かしい人に会った感じがするなあ。

赤とんぼが肩にとまっている様子を、愛おしそうに眺める漱石の姿が目に浮かびます。人間の肩にふわりと舞い降りて、羽を休めている赤とんぼを、「人懐かしや」と表現したところにおもしろさがあります。そこはかとなく秋の情緒が漂う一句です。

【NO.4】

『 朝貌や 惚れた女も 二三日 』 季語:朝貌(朝顔)(秋)

現代語訳:朝の寝起きの顔を見てごらんなさい。いくら惚れた女性でも二、三日すれば飽きるでしょう。

恋愛に苦悩する友人に向けて詠んだとされる句。夜明けに咲いて昼にはしぼんでしまう^「朝顔」と、夜を共にした女性の「朝貌」とをかけて表現しています。ユーモアだけでなく、友人を思いやる優しさも滲ませています。わずかな時間にしか咲かない朝顔の儚さよりも、人間心理の俗悪さに着目している点がなんとも漱石らしい作品です。

【NO.5】『 うかうかと 我門過る 月夜かな 』季語:月夜(秋)

現代語訳:美しい月を眺めながら歩いていると、うっかり我が家の門を通り過ぎてしまった。

「うかうかと」という擬態語が、この句に明るさとユーモラスな印象を与えています。秋の月夜に心奪われ、ついうっかりと自宅の門まで通り過ぎてしまったという、気恥ずかしげな漱石の姿が目に浮かんでくるようです。

【NO.6】『 あるほどの 菊投げ入れよ 棺の中 』季語:菊(秋)

現代語訳:そこにあるほどの菊の花を投げ入れなさい、その棺の中に。

この句は作者が婿養子候補だった女性の葬儀で詠まれた句です。結婚はしませんでしたが、婿候補としていくらかの交流のあった女性の死に対して、せめて棺を花で飾りたいという作者の悲しみが伝わってきます。

【NO.7】『 月に行く 漱石妻を 忘れたり 』季語:月(秋)

現代語訳:あまりにも見事な月に意識を向けてしまって、漱石は妻のことをうっかり忘れてしまった。

月の見事さをユーモアあふれる表現で表した句です。ただこの句が詠まれた年は作者が熊本へ単身赴任している年で、夫婦が離れ離れになる寂しさを押し殺した一句とも言われています。

【NO.8】『 名月や 故郷遠き 影法師 』  季語:名月(秋)

現代語訳:名月が出ているなぁ。故郷が遠く影法師のように見えるようだ。

この句は作者が松山に赴任している頃に詠まれた句です。作者の故郷は東京のため、ここでは遠く離れた松山から故郷の東京の方角を見て詠んでいると考えられます。

【NO.9】『 化学とは 花火を造る 術ならん 』 季語:花火(秋)

現代語訳:化学とは花火の色とりどりの光を造る技術なのだ。

花火の様々な色の光は、燃焼反応の違いによって表現されています。どの物質をどう燃やせばこの色が出るのか実験していると、まるで花火を造るための技術こそが化学に思えるという面白い一句です。

冬の俳句【9選】

【NO.1】『 凩(こがらし)や 海に夕日を 吹き落とす 』 季語:凩(冬)

現代語訳:木枯らしが吹きすさび、夕日さえも海に突き落としてしまった。

吹きすさぶ風の強さや、瞬く間に沈む夕日を雄大な景色に中に詠んだ一句。木枯らしを擬人化し「吹き落とす」と表現することで、夕日の暮れる早い様子が伝わってきます。この句は英語教師時代、修学旅行で天草・島原へ赴いた際に作ったものでで、キリシタン迫害の厳しい歴史を踏まえ詠んだのではないかといわれています。

【NO.2】『 東西 南北より 吹雪かな 』 季語:吹雪(冬)

現代語訳:東や西、南や来たからも容赦なく吹き付ける激しい吹雪だなあ。

俳句仙人

前後左右さえもわからなくなるほどの吹雪の激しさを、ストレートな驚嘆を交えユーモアたっぷりに詠っています。自然の猛威を前になす術がなく困り果てるも、「仕方がない」と受け入れているようにも感じられます。「東西 南北より」を「とうざい なんぼくより」と読んでしまうと字足らずになるため、ここでは「ひがしにし みなみきたより」と読みます。

【NO.3】

『 わが影の 吹かれて長き 枯野かな 』

季語:枯野(冬)

現代語訳:草木の枯れた冬の野原を歩いていると、木枯らしが背後から吹いてきた。道に映る私の影をいっそう長く伸ばしているように思える。

俳句仙人

冬は太陽高度が低いことから、影が長く感じられる季節です。背中より吹きすさぶ木枯らしの強さで、どんどんと影が伸びていくようだと表現しています。漱石も自身の影の長さを見てこの句を詠んだのではないでしょうか。寂寥感を漂わせる「枯野」を詠みながら、漱石らしいおもしろみを感じさせます。

【NO.4】『 空狭き 都に住むや 神無月 』 季語:神無月(冬)

現代語訳:空の狭い都会に住んでいるなぁ。今は神無月だ。

東京は空が狭いとは良く言われるフレーズで、高い建物にさえぎられて空がよく見えない様子を表しています。「神無月」という年の瀬が迫ったどこか寂しく狭い空を眺めている様子を詠んだ句です。

【NO.5】『 行く年や 猫うづくまる 膝の上 』 季語:行く年(冬)

現代語訳:今年も終わりに近づいているが、猫はいつも通り膝の上でうずくまって眠っている。

人間は年の瀬で色々と行事や慣習で動き回りますが、猫にとってはいつもの日常に過ぎないのだと詠んでいます。作者は『吾輩は猫である』で有名であり、この「猫」もあくせく動く人間たちに何か考えていたのかもしれません。

【NO.6】『 谷深み 杉を流すや 冬の川 』  季語:冬の川(冬)

現代語訳:とても深い谷に杉を流して運んでいく冬の川だ。

俳句仙人かつては木材は筏を組んで川の流れにのって上流から下流へと運ばれていました。「谷深み」という表現から、作者は高い場所から木材を運んでいく人たちを見ていたと考えられます。

【NO.7】『 はじめての 鮒屋泊りを しぐれけり 』季語:しぐれ(冬)

現代語訳:初めて訪れた鮒屋旅館に泊まった日に時雨が降ってきた。

俳句仙人「鮒屋(ふなや)」とは道後温泉にある老舗旅館の「鮒屋」のことで、この句を詠んだときは高浜虚子とともに宿泊しています。その時の2人の様子は虚子の随筆に残されており、初めてビフテキを食べたという初めて尽くしの経験であったことが伺えます。

【NO.8】『 一人居や 思ふ事なき 三ヶ日 』季語:三ヶ日(新年)

現代語訳:一人で居ることだなぁ。特に思うことのない三が日だ。

新年から三が日にかけては様々な行事やイベントが目白押しの騒がしい時期です。しかし作者は一人でいるため、特に何も思うことはないなあといつものように過ごしています。

【NO.9】『 松立てて 空ほのぼのと 明る門 』季語:松立てて/門松立つ(新年)

現代語訳:門松を立てていると、空がほのぼのの明るくなって門がはっきりと見えてくる。

朝方に門松を立てていたところに夜明けに遭遇したという、映像のような一句です。薄暗い中から門がはっきりと見えて一日が始まる様子を詠んでいます。

さいごに

(晩年の漱石 出典:Wikipedia)

今回は日本近代文学の巨匠・夏目漱石が残した俳句の中から、特に有名な句を厳選して紹介しました。

漱石の俳句は正岡子規が「奇想天外の句多し」と評したといわれるように、独特のユーモアに溢れており思わずクスっと笑ってしまうような句が多くあります。

滑稽さや言葉遊びに溢れる俳句に触れることで、文豪としての漱石に対する見方も違ってくるのではないでしょうか。みなさんもぜひお気に入りの句を見つけてみてください。