ジャッジメント
私達の葛藤、苦痛は何故生じるのか?
思考や感情のプロセス、心理の動きの構造は、全ての人が同じ。
日々の人生ドラマは様々でも、一人ひとりがもつ心理的構造は同じ。
「二元的思考」であるということです。
この二元的思考の私達は「葛藤」が終わりません。それは、選択肢がある世界だから。何かを選ぼうとしたら、何か別のもの(対極性)と比べることが必要で。
違いが見えた上で、どちらが良いか(正しいか)を決めて選ぶ。
価値観、概念、俗にいう思い込みをみんなそれぞれもっていて、そのように世界を見ていますから、誰一人同じに見ている世界ではありません。
でも、この「違い」は見ているものそのものではなく、自分の「思考」の中だけのことで。
要するに自分の考えに沿った、ものの見方、解釈をしているだけです。
これが何を生み出すか?個人の世界観で物を見るからこそ生じるのが、
区別、比較、競争、攻撃心、保身、裁き、処罰、恐れ・・・
私達の苦しみは、こうしたものなのだと思います。
これは、実際にそうしたものがあるのではなく、何も意味づけのない世界を、自分の考えでそのように解釈しているだけなんです。
つまり、現実そのものに悩むのではなく、「自分の考え」思考に悩んでいるんです。
なので、思考を止めるワークとかもありますよね。
思考が動き続けるという事は、ずっと頭の中でストーリー展開されていて、記憶や情報を使って判断しながら、「これはこういうことだ」という意味づけ、結論づけをし続け、それをやっているから葛藤が生じます。
私達はジャッジすることがやめられません。
ジャッジとは、特定の何かにおいて良い悪いを見ることではなく、「違いを見て選ぶ」という全ての行為がジャッジであるということ。
思考が動く=ジャッジ(判断)している。
ということになります。
思考が静まると、葛藤は確実に減る。
その訓練をコツコツするだけ。