仏典童話
https://www.otaniha-saikouji.com/jjataka.html 【仏典童話】より
今月の言葉
極楽は 西にもあらで 東にも 北(来た)道さがせ 南(みな身)にあり 一休禅師 詠
今の自分は 本当の自分ではなく本当の 本当の自分は別にいると思っておられる方も
あると思いますが今の自分こそが本当の自分です 竹中智秀
ジャータカ物語
仏典童話
お釈迦様の前世物語。本生譚(ほんじょうたん)と漢訳されるお釈迦さま前世において菩薩であった時代に衆生を救った善行を集めた物語です。パーリ語聖典には五七四のジャータカ物語があり、散文と韻文とからなり紀元前三世紀ごろ成立といわれている。その後仏教の伝播に伴って世界各地に伝えられ、『イソップ』や『アラビアン・ナイト』などのペルシャ・アラビア寓話文学に深い影響を与え、日本でも『今昔物語』『宇治拾遺物語』などの中に散見される。
この物語について大谷大学の一楽先生はその著作に「釈尊が生まれる前のことは、「ジャータカ」という物語に膨大なものが残されています。前生譚(ぜんしょうたん)とも言われますが、いろんな物語があります。釈尊はあるときには鹿の王様だったり、兎であったりなど、いろいろ出てきます。しかし、それが実際にはどうであったかという詮索よりも、何を伝えようとしているかが大事だと思います。釈尊は人間界だけではなく、ありとあらゆる世界の苦しみ、問題を見尽くしたお方であると表しているのですね。ありとあらゆる世界の苦しみを見通した上で、敢えて人間の世界においてその問題をどう超えていくのかということを課題として担われたのが釈尊であると表現しているのです。
(『大無量寿経講義-尊者阿難、座より起ち-』文栄堂から)
これは、30年ほど前、住職が本山で「ラジオ放送『東本願寺の時間』」を担当していたときに放送されたものです。
仏典童話 タイトル ムニカ豚の報い 象と猿と雉のはなし 鳥さしとウズラ
山犬のたくらみ ビサーラの恩返し 吊り橋になった母猿 象を倒した鶉
池の柳 金の羽を与えた白鳥 香り盗人 狼の断食 猿をほしがったワニ
亀と狐の友情 揉め事を探す山犬 くしゃみの因縁 悪逆の王子 鸚鵡の味方
黒い牡牛の菩薩 五武器太子 何果樹の木の実 空飛ぶ白象 砂漠の少年
金色の鹿
ムニカ豚の報い
昔々、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていた頃のことである。ひとりの菩薩がある村の長者の家に一匹の牛として生まれ変わった。
その名をマハーローヒタといい、その牛にはまたチュルラローヒタという弟があった。この二匹の牛の仕事といえば朝から晩まで車を引く重労働だったのです。ところでこの長者には年頃の娘があり、結婚も決まり、その準備に明け暮れていた。
長者は式の日のご馳走のためにムニカという豚を飼っていて、餌には上等の乳粥を与え、豚は丸々と肥っていた。これを見た弟牛のチュルラローヒタは 「兄さん、この家の辛い仕事はみんな僕たち二人の力でうまくいってる。それなのに僕たちがもらう食べ物といったら草と藁だけじゃないか。豚のムニカをご覧よ、仕事は何にもしないで食べ物だけはあんなご馳走をもらっている、不公平だと思わないかい。」
兄のマハーローヒタは静かに答えた。「あの食べ物をうらやんではいけない。アレは死の食事なのだ。もうすぐこの家の婚礼の日がくるだろう、そのときムニカは小屋から引き出され殺されてお客のご馳走になってしまうのだ。死ぬために肥っていくムニカをこれでもうらやましいと思うかね?」そしてつぎのような詩を唱えた。
豪華な食事をうらやむな。死のご馳走なのだから。
欲を離れてモミを食べ、いのちの味をかみ締めようやがて婚礼の日が来て豚のムニカは殺されお客をもてなす料理になってしまった。
牛の姿をした菩薩は弟に向かって「どうだ、ムニカの最期を見たかね、」と振り返り、チュルラローヒタは「兄さん、ご馳走ばかり食べていた者の報いを見たよ」と応えた。
祇園精舎 釈迦香室跡
お釈迦様は祇園精舎で弟子たちに向かってこのように語り終えられ、そのときの兄牛マハーローヒタは前(さき)の世の私であった、と言葉を結ばれた。
象と猿と雉のはなし
昔々、ヒマラヤ山の中腹に大きなニグローダという木があった。そしてその木の周りにキジとサルとゾウの三匹が勝手気ままな生活を送っていた。ある日のこと、こんなバラバラな生活はよいことではない、三人の仲間内で誰が一番年上かを調べて、年上の者を敬い、きちんとした暮らしをしようということになった。
そこで三匹はニグローダの木の下に集まり、まずキジとサルがゾウに向かってたずねた。「ゾウ君。君はこのニグローダの大木をいつごろから知っているのだ?」ゾウはゆっくりと長い鼻を振り上げながら「うーん、ボクの子どものころはこのニグローダの木はひざにまで届かない若木だった。だからボクはその上をまたいで通ったものさ。それからおとなになってからもこの木の先はボクのへその辺りまでしかなかったなあ、いずれにしてもそんな小さいときから知っているよ。で、サルくん、君はどう」
「ボクかい。ボクが子ザルのころはそれよりもっと小さかったような気がするな。だって子どものボクがすわったまま手を伸ばしても、一番上の柔らかい新芽を取ることができたからね。」二匹はキジに向かって同じように聞いた。
「そうだな…。昔ここからずーっと離れた場所にやはり一本のニグローダの木があって、私はいつもその実を食べていた。その私がここへ来て糞をしたもので、その中に混じっていた種が芽を出してこんな大木に育ったというわけ。だからこの木の生える前から知ってるということになるね」
「そうか、だったらキジさん、あなたが一番年上ということになるね。これからボクたちはあなたを先輩として敬い、いろいろ教えてもらうことにしよう。よろしくね」
それからというもの、キジは規律正しい生活を二人に授け、自分もまたその規律を守って暮らした。そして三匹の自然で安らぎのある生活が続いていった。
舎衛城跡
お釈迦様は舎衛城において弟子たちにこんな話をされ、次のような歌をとなえられた
“真理を求めるものはまず先輩を敬うべし
それが未来を開く第一歩となる”
さらに続けてさっきの話のゾウは目連、サルは舎利弗、キジこそは前(さき)の世の私であった、と言葉を結ばれた。
鳥さしとウズラ
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころのことである。一人の菩薩(ぼさつ)が鶉に生まれ変わって多くの仲間とともに森の中に住み着いていた。その近くに一人の鳥射しがいて鶉を捕らえて暮らしをたてていた。囮(おとり)の口笛が抜群なので鶉はどんどんおびき寄せられていく。ある日菩薩は仲間たちに向かって訊ねた。
「このままいけば我々は全滅してしまう。みんなはそれでもいいのか?」重苦しい沈黙が流れる中で一羽が力なく「だけど、どうしようというのです。あの鳥射しの口笛の誘惑、それにあっという間に襲い掛かってくる網の目から逃れる方法があるとでもいうのですか?」
「ある。」菩薩はこたえた。
「あるとも、力を合わせることだ。いいか、網が投げられたらみんな網の目に頭を入れて、力いっぱい羽ばたくのだ。みんなが力を合わせればきっと飛び立つことができる。そして茨の藪に網を捨てよう。そうすれば鳥射しが網を探すのに丸一日はかかるだろう。」
わあっと群れの中に明るいざわめきが起こった。そしてあくる日、鳥射しが網を投げると鶉たちは力いっぱいそれを持ち上げ、茨の藪にむかって飛んだ。慌てふためいて鳥射しは網を追いかけた。そして茨の藪から網を離すのにたっぷり日暮れまでかかった。
次の日も、また次の日も鳥射しは鶉の群れに振り回された。ぷりぷりして家に帰ると、 「お前さん、今日もまた手ぶらじゃないか。他に持っていくところでもできたんじゃないの!」妻までが嫌味たっぷりに言う。
「馬鹿いうな!嘘だと思うなら森までついてくればいいだろう。フン、こんなことが長続きするもんか。」
幾日かが過ぎた。餌場に舞い降りた鶉の群れにとうとう喧嘩騒ぎが起こった。
「いばるな!自分ひとりで網を持ち上げているわけじゃないぞ」
「なにをー、もういっぺん言ってみろ!」
この様子を見て菩薩はこれでは一族のすべてが滅びると考え、周りの弟子たちを連れて新しい森へ飛び去っていった。
一方森に現れた鳥射しはまだ喧嘩に夢中になっている群れをめがけて網を投げ、一羽残らず捕らえて籠につめた。妻の喜ぶ顔が浮かんで鳥射しは自分もニヤリとほくそ笑んだ。
お釈迦様はこう語り終えられ、“争いはすべて滅亡の元である。一族の間で争ってはいけない。そのときの智恵ある鶉こそ前の世の私であった”と、言葉を結ばれた。
山犬のたくらみ
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころのことである。一人の菩薩が大ねずみに生まれ変わって、数百匹の手下を連れ、林の中に住んでいた。
ある日、一匹の悪賢い山犬がこのねずみの群れに出くわした。
「ウホッオー、こりゃすごいご馳走だ。あの丸々肥った奴を頭ごと喰ってみたい。二三日は寝て暮らせるに違いない。いや、待てよ。今あの大ねずみに飛び掛れば他の奴らは全部逃げてしまう。なんとか一匹ずつ喰う方法はないものか。あーん。」
そこでいつもネズミたちが通る丘の上にまっすぐ太陽に向かい、風をいっぱいに吸い込んで片足で立った。
「へっへー、誰が見ても立派な修行者に見えるだろう。」
山犬はひとり得意げである。一方ねずみになった菩薩はいつものように一族を連れてえさを探しに出かけ、この丘を通りかかった。
「ここで何をなさっているのですか?」ねずみの菩薩は進み出て尋ねた。
「ウン、ウーン。何に見えるか?」
「修行中のお方だと思います。名前をお聞かせください」
「あ、ウーン、宇宙の根源という名じゃ。」
「一本足で立つ修行なのですか?」「
いやーそうではない、四本足で立つと大地がわしの重さを支えきれないのじゃ」「口をあけておられるのは?」
「か、か風を喰っておる。遠い海の香りを運ぶ風。谷から吹き上げる冷たい風、みんな味がちがってなかなかうまいもんじゃよ」
「太陽に向かっておられるのは?」
「礼拝しておる。太陽もまたわしだけを照らしておる。」
「ほぉー、偉い方なのですね。これから毎日私どもはあなたのお姿を拝みにまいります。」 山犬は内心シメタと思った。
それからネズミたちは朝晩この丘にやってきて、山犬に一礼してから帰る習慣がついた。ところがネズミたちが列を作って帰るときになると、列の一番後ろの一匹をパクリと一飲みにしてしまうのである。ねずみの数はだんだん減っていった。
そこで次の日菩薩は自分が列の最後になり、用心しながら帰ろうとしたそのとき突然背中に殺気を感じた。ねずみの菩薩は振り向きざまにさっと飛び上がり、山犬ののど笛を噛み切った。そして息絶えたのを見届けて次の詩をとなえた。
“人の信頼を利用して悪事をなすもの。悪事のために人の信頼を得ようとするもの この卑劣さを許してはいけない”
お釈迦様はこう語り終えられ、そのときのねずみの菩薩こそ前の世の私であった、と言葉を結ばれた。
ビサーラの恩返し
昔、ガンダーラーの国タッカシーラの都で、ケンダラ王が国を治めていた頃のことである。
一人の菩薩が仔牛になってこの世に生まれた。まもなく若く貧しい農夫がこの仔牛を手にいれ、ビサーラ「喜び」と名づけた。ビサーラは野山を自由に駆け回り、力強くたくましい牛に成長した。そして若者だった農夫は貧しいまま年老いていった。
ある日、ビサーラは主人に恩返しがしたくてこういった。
「私をこんな立派に育ててくださったので、なにかお礼がしたいのですが、今一番ほしいものはなんですか?」農夫はしばらく考えていたが、
「そうだなあ。一生懸命働いてやっと貯めたお金が1000キン、できたらあと1000キンはほしいのだが」
「よろしい、村の長者の家に行き力比べの賭けをなさい。荷物を満載した百台の車を一列につないで私が引きます、これが動けば1000キン。きっと勝たせて差し上げます。」
農夫はさっそくビサーラを連れて長者の家に行き、うまく長者を煽って賭けを挑ませた。たちまち下男たちが呼ばれて材木や石を満載した百台の車が門前にずらり。
「さぁー、はじめよう。動かなんだら1000キン間違いなく申し受けるぞ!」農夫は荷台の先につないだビサーラにピシリと鞭を一当て
「そら引け、畜生め!」と叫んだ。ビサーラは動かなかった。
「コンチクショウ、どうした、鞭がいくつも飛んだ。ビサーラはそれでも動かず農夫はかけに負けて全財産1000キンを取られてしまった。
とぼとぼと家路に着きながら「ビサーラ。どうして私を騙したりするのだ?」
「あなたは私を畜生と呼ばれた。そんな蔑んだ呼び方で私が動く気になれますか?」農夫はうなだれた。
一度長者のところへおいでなさい。そして今度は200台の車を引かせ、2000キンの賭けをなさい。
2000キンを賭けた200台の荷車の先にビサーラはいた。農夫はビサーラの首をやさしく撫でて
「ご苦労だな、力を出しておくれ。頼んだよ」ビサーラは息を止め、満身の力を込め、舵棒を引いた。ギシっという音と共に200台の車は動き始めた。農夫は賭けに勝って2000キンを手にした。
お釈迦様はこう語り終えてから、“言葉は愛を伝えるためにある”と一言付け加え、このビサーラこそ前の世の私であったと、言葉を結ばれた。
吊り橋になった母猿
昔、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていた頃のことである。
ガンジス川を遡って都から何百キロも離れたところに大きな森があった。そこに一人の菩薩が森に住む500匹の小猿の母として生まれた。母猿は小猿たちを満遍なく可愛がって一家はとても幸せに暮らしていた。夏が過ぎるとガンジス川の岸に生い茂ったマンゴーの実が熟して甘い香りが森中に漂い、小猿の頭ほどもある実の中からおいしいジュースが滴り落ちてくる。風がやんで空の澄み切った日の朝、母猿は子どもたちを集めて言った。 「さぁみんな、今日はお母さんといっしょにマンゴーの実を採りに行こうね。上のお兄ちゃんが一番後ろ、小さい子から一列に並んでお母さんの後についてらっしゃい。」
「はぁーい。うれしいな。今日はおなかいっぱい食べられるぞ。早く行こうよ、おかあさん」はしゃぎまわって木の枝はもう折れそうである。
「だけど今日は一つ大事なことを言っておきますよ、おまえたちはどんなことがあってももぎ取ったマンゴーの実を川の中に落としてはだめよ。もし一つでも落としたら実は丸一日かかって川を流れ、川下に住む人間に拾われます。人間はこんなおいしい果物を知らないから、きっと大勢でこの実を探しに来るに決まってる。そしたら私もおまえたちもここから追っ払われるのよ。いいね!」
マンゴーの木はガンジスの流れに覆いかぶさるように枝を伸ばし、先に行くほど良く熟れた実がなっていた。歓声をあげた小猿たちは枝から枝へ飛び移って甘いマンゴーの実をおなかいっぱい食べ、陽が西にかたむくまで楽しいときを過ごした。
「さぁ、そろそろ帰りますよ。」
母猿が皆にそう言った時一番小さい小猿の手が滑ってマンゴーの実がひとつ川の中へ落ちていった。
「おかあさんはあんなこと言ったけど一つくらいいいや、どこかへ沈んでしまうだろう」
小猿はそう考え黙っていた。川の流れは早くなったり遅くなったりしてその実を都へ運んでいった。
「なんだろ、これは」都に近い岸で魚を獲っていた漁師が拾い上げ、「いい香りがする。見たこともない果物だ、こんな珍しいものは王様に差し上げたらどうだろう。きっと何か褒美がもらえるぞ」そういってお城に持っていった。
「ホォーッ」マンゴーの実を食べた王様はいたくご満悦である。そしてそのおいしさが忘れられず、とうとうこれを探しに出かけることになった。
「すぐ兵を用意せよ!五隻の船に兵隊を乗せガンジスを何処までもさかのぼるのじゃ。この実がなっている木が必ずある、急げ!」
すぐ軍隊が出動し、王様の船を先頭に上流にむかって漕ぎ出した。船は営々と丸一日漕ぎ続けられマンゴーの木に近づいた。
「あっ、あれだ!あの木だっ。鈴なりだあ。みごとな実をつけているではないか。あん、木の上で動いているのは何じゃ。ん、な、なに猿だと!けしからん!弓だ、弓をもてーっ。」
王様とその兵隊たちは船の上から猿の群れ目がけて次々と矢を射かけた。
「さあ、みんな逃げるんだよ、あわてないで。この枝を伝って向うのニグローダの太い枝に飛び移ってお行き、わかったね」
大きい子どもたちは次々と力いっぱい飛び移って、矢の届かないニグローダの茂みに隠れた。
「おかあさん、こわいよー。ボクたち飛べないよ」マンゴーの木には100匹の赤ちゃん猿が残った。
「じゃ、お母さんがこの藤蔓を体に結び付けて先につかまるからね、みんなはそれを伝って向こう側へお逃げ、順番に落ち着いて渡るのよ。さあ、早く!」小さい猿たちは震えながら藤蔓と母猿の背中を伝って渡っていく。「お母さん、痛くない?」「お母さん、手がしびれてるでしょう」「お母さん、離さないで」母猿は数えた「95、96、97」あと三匹。手が千切れそうに痛み、藤蔓を巻いた胴は締め付けられて息が止まりそうになる。98、99そして最後の小猿が頭を踏んで渡りおわったとき、母猿の手は枝から離れ、ガンジス川の深みに飲まれるように落ちていった。「おかあさーん!」
小猿はいっせいに叫んだ。夕日を映したガンジスの川面は小猿たちの涙のように赤くきらめき、とうとうとした水音が辺りにこだまするばかりであった。これを見ていた王様は弓矢を捨て、次のような詩を称えた。
“我が身を吊り橋にして子どもを助けた母猿哀れ、あの猿を救え、マンゴーの実は二度と採るまい”お釈迦様はこう語り終えて、そのときの母猿こそ前の世の私であった、と言葉を結ばれた。
象を倒した鶉
昔、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていた頃のことである。
ひとりの菩薩が象の群れに生まれて、その王者となった。体はどの象よりも大きいが心は優しく、八万頭の仲間を引き連れヒマラヤの高原を駆け巡っていた。
そこに一羽の鶉がいて、象の群れが通る道端に卵を産んでしまった。卵は孵ってかわいい雛が生まれたがまだ飛べない。そこへ王者を先頭に象の群れがやってきた。親鳥は驚いて飛び立った。
「象の王様、王様。そのように急がないでくださいまし。この先に私どもの巣がございます、そこにはまだ飛ぶことのできない私の雛がおります。どうぞ気をつけてやってください。」
「オウそうか。それは良く知らせてくれた。ワシの一族が通り過ぎるまで巣の前に立って守ってあげよう」
八万頭の像は列を作って鶉の巣の前を通った。
「ところで鶉さん、この後からもう一頭『はぐれ野郎』と呼んでいる象がくる。そのものにも良く頼んで子どもを守ってやりなさい。」鶉は両の羽で合掌した。
やがてはぐれ野郎が現れた。
「象さん、はぐれの象さん。この先に私の子どもがいます、どうか踏みつけないようにお願いします。」
「なーにぃ。子どもに気をつけろだと!へっ、弱いものはなにをされても黙っているもんだ。それが自然の習いってもんさ」
はぐれ野郎はそううそぶいて鶉の雛を踏み潰して去った。鶉は泣いた。体が融けていくほど泣いた。そこへ友達の烏とハエとヒキガエルがやってきた。仲間の慰めと励ましの言葉に鶉は涙を払って
「アイツを生かしておいてはこの先次々と私たち弱いものを踏み潰していくでしょう。今ここで力を合わせて戦いを挑まないこと?どうカラスさん。あなたはあいつの目をそのくちばしで潰してよ」「いいとも、ちょっとおそろしいけどみんなの為だ。」
「ハエさんはあいつのつぶれた目に卵を産みつけてちょうだい、早くウジがわくようにね」
「それでボクは?」 「カエルさんはあの崖っぷちで鳴いてほしいの。目の見えなくなったあいつはきっと水をほしがって崖が湖かと思ってやってくるじゃない?」
「わかった、奴が崖っぷちに来たら今度は谷底で鳴くんだね」
すべては計画通り運んだ。目の痛みに耐えかねたはぐれ象は水を求めてカエルの声を頼りに崖っぷちに誘われ、谷底に転がり落ちて息絶えた。
お釈迦様はそう語り終えられ、そのときのはぐれ象はダイヴァダッタであり、象の王者こそ前の世の私であった、と言葉を結ばれた。
池の柳
昔、ひとりの菩薩が森の中の蓮池の畔に一本の柳の木となって生まれた。
この蓮池は夏になると決まって水が枯れ、そこに住む魚たちが何百匹も死ぬのであった。それを知った一羽の青鷺が、どうせ夏になって水が干上がり、魚たちが死んでしまうのなら今のうちに俺が食ってやろうと考えた。
「かまうもんか、どうせ早いか遅いかだ」そこで池の畔の柳の木の根元に、さも心配そうな様子で佇んだ。
「青鷺さん、憂鬱そうなお顔ですね、どうかしましたか?」
水の中から一匹の魚が聞いた。青鷺はますます心配そうな表情で大げさに嘆いて見せた。
「ハーッ、君たちはなんにも知らないんだね、私が心配しているのは実は君たちの事なんだ。」「僕たちのこと?」
「そうとも!魚だけじゃない蟹やタニシ小エビや蛙君ら水の中に住んでいるみんなのことだよ。いいかい、この池は夏になると水が無くなって、底はひび割れ、君たちは一塊になってのた打ち回るようになる。それを思うと夜も眠れないほど苦しくてネ」
「なーんだそんなこと!水が無くなったら僕たちは生きていられない。それは僕たちみんなが背負った運命と言うものさ」魚は明るい声で答えた。
「水が枯れて死んでしまうんだよ、知ってるかい?」「それは僕たちが背負った運命というものです」魚は明るい声で答えた。
(生意気いいやがって、チビ魚めが、今に見てろ)「そこなんだよ、なんとか助けてあげたいなぁ。あー、実はこの森を二つ越えた山の向うに五色の蓮華の咲く湖があるんだ。そこはどんなに日照りが続いても水が枯れない。どうだ、君たちさえ承知するなら私が順番に咥えていってその湖に入れてあげよう。といっても今まで君たちを獲って食ったことのある私だ、そうすんなりと信用はできまい。だから私はまず君たちの代表を一匹湖に連れて行こう。代表が湖を十分に偵察したら、私はまたここに連れて帰ってくる。君たちはその代表の報告を聞いて身の振り方を決めるがいい、どうかね。」
魚たちは額を寄せて相談し、代表として一匹のヤモメの魚を選んだ。青鷺はそのヤモメの魚を咥え、森を二つ飛び越し山の向うへ飛んだ。湖は透明な水をたたえ、浅瀬は五色の蓮の華で覆われ、取り囲む緑の森がふかみに美しい影を映していた。
湖から帰ってきたヤモメの魚はその素晴しさを仲間に語り、その上
「湖の景色もだがそれより俺たちの好きな藻や水草が食べつくせないくらい繁っているんだぜ」と付け加えたからたまらない。魚たちはわれもわれもと移住を申し出た。
「そうこなっくっちゃ!」青鷺は魚を一匹ずつ咥え、優しげに飛び立って行った。だが第一の森を跳び越したところで魚を木の枝に叩きつけ、骨と頭を残して全部食べてしまった。
「ウゥーン、ヒッ。たわいのない奴らだ。魚の肉ばかり食ったので何か一口硬いものがほしい。あそうだ、蟹の甲羅など歯ごたえがあっていいかもしれん」
青鷺は蓮池に舞い戻り、水の中の蟹を呼び出した。
「カニさん、君も湖に移りたくないかね。魚たちはみんな喜んで泳ぎまわっているよ」カニは感慨深そうに言った。
「いままで魚を獲っては食べていたあなたが急に魚の身の上を心配するなんて、ボクには納得できないな。」
「それそれ、君の考え深いのはいいよぉ。でも過ぎたるはなんとかっていうじゃないか、私はもう二度とここへは来ない、最後のチャンスだと思ってわざわざ君に声をかけたんだ、あとで後悔しても私はもういないよ」
「うーん、そうだね。そんなにまで言ってくれるなら。じゃあ、僕も連れて行ってもらおうか。だけど行くときはボクのはさみで君の首に捕まらせてくれないか?」
「いいとも、そのほうが私もくちばしが疲れなくてけっこうだね」
青鷺とカニは宙に飛んだ。第一の森が近づいた。青鷺はカニを叩きつけるのにふさわしい枝を捜し探し飛んでいく。そのとき夥しい魚の骨と頭が蟹の目に映った。蟹は青鷺の首を挟んだはさみに力をいれた。「だましたね!やっぱり。」口調は静かだったが怒りがこもっていた。
「親切ごかしをしてみんなをだましたね」
はさみにいっそう力が入った。青鷺は息も絶え絶えになり、一言もしゃべれない。地面に降りたったときには息は止まっていた。
一部始終を眺めていた柳の木はこんな詩をとなえた。
“手の込んだ悪知恵は身の破滅。だますものもだまされるものも自分のことだけを考えるから”
お釈迦様はこう語り終えられ、この柳の木の精こそ前の世の私であった、と言葉を結ばれた。
金の羽を与えた白鳥
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころの事でる。
ひとりの菩薩があるバラモンの家に生まれた。やがて妻をむかえ三人の娘が産まれ一家は幸せであった。しかし、一番下のスンダリナンダがやっと歩けるようになる頃、彼は妻子を残してあの世へ行ってしまったのである。残された親子は親戚の家政婦として細々と暮らしていくよりなかった。
亡くなったバラモンはある日、一羽の金の白鳥となってこの世に生まれてた。「いっしょに暮らしていた妻子はいまどうしているだろう」
そのことだけが心配だったのである。彼は金色に輝く羽を広げてこの世を飛び回り、やっと親子四人の居場所を探し当てた。
「なんというやつれようだ。」
金のことで言い争う以外はあまり口もきかない暮らしぶりを見て彼の心は刺すように痛んだ。
「そうだ、私の金の羽は叩き伸ばせばどんな細工にも使える。これで指輪や首飾りをつくればいい値に売れるだろう。」
彼は月明かりの窓にふわりと降り立ち、妻と娘たちを呼んだ。誰もが目を丸くするばかりである。
「信じられないだろうね、私はお前たちの父親なんだよ。お前たちを助けたくてきたのだ」
「あなたが死んだおとうさんなの?」
二番目のナンダバティが近寄ってたずねた。「そうだよ。さあ、私の金の羽を一枚ずつあげよう、これで何かを作ってお金に換えなさい。できあがったころにまた来るからね」
白鳥は四枚の金の羽を与えて去った。娘たちはそれで指輪やスプーンなどを作り始めた。ただ、母親は羽をそのまま売ってしまった。父の白鳥は月に一度窓辺に降りて金の羽をおいていき、親子の暮らしはどんどん良くなっていった。そんなある日、母親は娘たちに言った。
「ねえ、どうだろう、一枚ずつもらっていたんじゃじれったくてしょうがない。第一男なんていつ気が変わるか知れやしない。この次にきたときにはみんで押さえつけて金の羽を全部むしってしまおう。私たちはいっぺんに大金持ちになれるよ」
「だめよお母さん、おとうさんがかわいそうじゃないの。」
長女のナンダが反対した。「おだまり!あれはよそに行っても同じように羽をやっているかもしれないんだよ、そうなれば私たちの取り分が少なくなるじゃないか。」
母親は窓に仕掛けをした。白鳥はその罠にかかり、昔の妻によって丸裸にされていった。と、そのとき、むしりとった金の羽はすべて灰色のガチョウの羽に変わった。一文の金になる代物ではなかった。
「チクショー」という金切り声が何度も聞かれ、娘たちは目にいっぱい涙をためていた。
お釈迦様はそう語り終えられ、この金の白鳥こそ前の世の私であったと言葉を結ばれた。
香り盗人
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころの事である。
ひとりの菩薩がバラモンの家に生まれた。彼は成長するとタッカシーラの街へ出て学問を修め、仙人の弟子となって修行者の生活に入った。
ある日、近くの蓮池を巡り、満開の花を眺めて楽しんでいた。水面からはかぐわしい花の香りが漂い、風がさざ波を起こすとその香りは一枚の花びらといっしょに彼の体を包み込むように流れてくるのだった。
「ああ!いい香りだ。つらい修行が吹っ飛ぶようだ。私の体をこの香りで染めてしまいたい。」
そして修行者が蓮池に足を浸したとき、どこからともなく鈴のような声がした。「泥棒はおやめ、香り盗人」
彼は驚いてあたりを見回した。誰もいない、人影は池の向う岸で華を蹴散らして蓮根を掘っている爺さんだけだった。
「おーい、おじいさん、何か言ったかい?」
爺さんは振り向いて首を振った。
「風かァ、花びらの落ちる音か、それとも波立つ水のささやきだったか」
修行者はいぶかりながら花の香りを深く吸い込んだ。
「泥棒はおやめ、香り盗人」
声はまた聞こえた。さっきよりもはっきりと、強い調子である。
「誰です、姿を見せてください。香り盗人とは私のことですか?」
修行者は四方に向かって問いかけてみた。声はまた違う方向から聞こえてくる。
「一本の華でも与えられないものをとるのは盗人です」
「そんなことはしない、私はただ、香りをかいだだけです。それを盗人というならあの向こう岸の爺さんはどうです?蓮根泥棒じゃないですか!」
「盗むことに慣れてしまった人に何を言っても聞く耳をもたないでしょう。あなただから言うのです。清らかに生きようとつとめているあなただから、塵ほどの罪も犯してほしくないのです。小さな罪を犯すことに慣れてしまうと、後は大きく生き方まで変わるものです。自分に厳しく、これは修行者の誓いではありませんか?」
修行者はこれを聞いて、これくらいなら罪にならないと勝手に決めていた自分を思い知った。「そうでした。私はいつの間にか心が驕りたかぶっていたのです。どうか姿を見せてください、この情けない私をこれからもしかってほしいのです。彼は虚空にむかって祈るように訴えた。声はまた別の方向から響いてきた。
「それが甘えというものです。自分で努力して鍛えていってください。」
声のする方向に紫の大きな蝶が舞った。
あっ、この池の精だと修行者はとっさに思った。
お釈迦様はそう語り終えられ、この修行者こそ前の世の私であったと言葉を結ばれた。
狼の断食
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころ事である。
ひとりの菩薩が帝釈天という神様になって修行を続けていた。ガンジス川は豊かな水をたたえ、両岸に広がる森や野原は濃い緑に覆われて、そこには数え切れないほどの鳥や獣が住んでいた。そのガンジスも年に一度荒れ狂う洪水のときがある。春から夏に向かって長い雨の季節が来ると、降り続く雨と遠いヒマラヤの雪解け水とがひとつになって川はたちまち大波を打って両岸の土地を浸すのだった。
そんな時期ガンジスの岸に近い岩場に、一匹の狼がいた。岩山の裾を水が取り巻き、ひたひたと頂上に向かって増え続けた。餌がない、これで三日狼は何も食べていなかった。
「こりやだめだ、当分腹のたしになるようなものにはありつけそうにないや。まあ、あと十日もして水が引くまで、ひとつ断食の行でもしてみるか」
狼は独り言を言って断食の行を思いついた自分に忌々しさと同時にホッとした気分を味わっていた。
狼の断食がいつまで続いたか、30分もすると彼の頭には丸々肥った野うさぎが思い浮かんだ。
「いけねえ、いけねえ、断食の行だ」
彼は頭を振ってこの妄想を追い払った。そして20分もすると鹿の肉の柔らかい歯ざわりが甦ってくる。
「断食というやつは余計腹の減るもんだ」
そういって彼は生唾を飲み込み飲み込み、まだ10分も経たないうちに、今度はどうだろう、目の前に一匹の若い羊がいるではないか。彼はすぐさま決心した。「やめたぁ。断食の行なんてものはまたいつでもやれる。」彼は力いっぱい後足で岩を蹴り、羊に向かって飛び掛った。と、羊はこれまた優雅な跳躍を見せて、そのまま天空の彼方へ消えていくのである。
「チキショー、まっいい。なんにしても一度決心した断食の行を破らなかったのが幸いというもんだ。さっやるぞ、十日間の断食」
狼はまた心を取り直した。そのとき虚空に鈴のような声が響いた。
「われは帝釈天である、いま羊の身となって汝の心をためした。その場の成り行きで決心したものはまた成り行きによって破られる。決心とは思い付きではない。暮らしの積み重ねである。汝にどのような暮らしがあったか?」
それは音楽のように余韻を残し、羊の消え去った天空に帝釈天の姿があらわれた。
お釈迦様はそう説き終えられ、このときの帝釈天こそ前の世の私であったと言葉を結ばれた。
猿をほしがったワニ
昔、ブラフマダッタ王がバーラーナシーの都で国を治めていたころ事である。
ひとりの菩薩が美しい猿の若者としてこの世に生を受けた。
若猿はヒマラヤの山麓を群れと共に駆け巡り、ますます美しくたくましく成長していった。彼の住処はガンジスの川が大きく湾曲した入り江のそばの木の上にある。川の中にはワニの夫婦が住み、彼が水を飲みに来るたびにワニの妻は若猿のたくましい体を水の中から眺めるのである。ある日、夫のワニにこういった
「おまえさん、あの猿、見れば見るほどいい体じゃないか。食べてみたいねえ。殊に心臓の肉は一度食べれば100年長生きするというじゃないの。捕まえておくれよ」
「身の程を知れよ、俺たちは水の中だし、あいつは木の上だよ」
やる気なさそうなオスワニの返事に、ワニの妻はたちまち機嫌を損じて
「フン、できないっていうの!あーあ、こんな甲斐性なしといっしょになるんじゃなかった。」
「ままま、それはだな…。い、いーとも、なんとか打つ手を考えてみよう。」
晴れた日の朝、猿は川面にきらきらする太陽の光を眺めていた。そのとき水がゆっくりと二つに割れて、ワニの夫が姿を現した。
「森の王様、向こう岸は朝日が当たる、果物の熟れるのも早い。どうして向こう岸へ渡ろうとしないんです?」
「あんな遠い向こう岸へボクの力で渡れるわけがないよ。」
「どうです、私の背中に乗って新しい土地を見にいきませんか?さぁさぁさぁ、どうぞ」
猿はその親切を無にしてはと思ってワニの背中に乗った。尻尾をひとなぎ、ワニは水を切ってガンジス川の深みへ泳いでいく。
(ここらでよかろう)ワニは計画通りグイっと体を沈めた。
「おい、ワニさん、これは何の真似だ!まさかボクを」
「そうよ、川のど真ん中じゃどうしようもないだろー。うちの家内がなあ、おまえの心臓とやらをほしがってるのさ」
「ボクの心臓をだって、そ、そ、そいつは、ここに、も持ってきてないよ。」
「なにー? 心臓を忘れた? じゃどこにあるんだ」
「ほら、いまボクがいた木の枝につるしてあるんだ。戻ってくれ、岸に着いたら心臓を渡すから。」しまったと思いながらもワニは全速力で元の岸に向かった。猿は岸に飛び移ると木の枝に駆け上り
「ワニさん、生き物の心臓が木の上にあると思ったのかい、騙そうとするときはいつもあわてているもんだよ」
そういって森の奥へ姿を消した。
お釈迦様はそう説き終わってから弟子たちに向かい“必要なものを求めよ、欲望のものを求めてはならぬ”と謳うように言われ、そのときの猿は前の世の私であったと言葉を結ばれた。
亀と狐の友情
昔、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
ひとりの菩薩がカモシカに生まれ変わって森の湖の畔に住んでいた。椎の大木には一羽の啄木鳥が巣をつくり、湖には亀がいてこの三匹は仲のいい友達であった。ある日猟師が森にやってきて湖の岸でカモシカの足跡を見つけた。
「そうか、ここへ水を飲みに来るカモシカかがいるんだ、こいつを生け捕りにしたらきっと大もうけができるぞ」
猟師は念入りに罠をしかけ、自分の足跡を消して帰った。朝日が木々の頂に届き、湖に風が渡るとゆっくりと朝もやが融けていく。ねぐらを出たカモシカがいつものように砂浜を駆けていると、後足の砂がじりじりとめり込み始めた。おやっと思った瞬間、バチンというバネの音とともに足首が千切れるほど痛んだ。カモシカは悲鳴を上げた。それを聞いて椎の木から啄木鳥が飛んできた。湖の中から亀が浮き上がってきた。
「おーい、どうしたんだカモシカ君!あー、罠だ。足をやられたんだ。亀君、君の歯で食い込んでいる皮ひもを千切れないかい」啄木鳥(キツツキ)が言った。
「よーし、やってみよう。」
「君たち気持ちはうれしいけど、もうすぐ猟師が来るに違いない。そしたら君たちまで捕まってしまうぞ!ボクのことは構わず逃げてくれ」
「なにを言うんだカモシカ君。こんなときこそ力をあわせなきゃ。ウン、ボクは猟師の家に行って奴が来るのを少しでも遅らせるからね」
言い終わるや啄木鳥は飛び立った。猟師の家の窓を破り、屋根の周りをうるさく飛び回る。猟師は
「いやな鳥だなあ。なにか不吉なことが起こりそうだ。出かけるのは昼からにしよう」
また、寝床にもぐりこんだ。
一方亀は懸命に皮ひもを噛み、歯はもうぼろぼろに欠け、口は血だらけであった。陽はすでに昇り、正午を過ぎた。
「おーい、猟師が来るぞ」
啄木鳥の叫びが聞こえ、矢のような速さで頭上を飛び去っていく。
「亀君有難う、こんなに細くなったんだから力いっぱい引っ張ってみるよ」
皮ひもがプツンと音を立てて切れたとき、猟師が砂浜に姿を現した。カモシカは森へ逃げた。 「チェッ。せっかく罠にかけたのに。まっ、この亀一匹でも手ぶらよりはましだ。猟師は疲れきってうずくまっている亀の体を縄でつるした。啄木鳥はすぐにカモシカに知らせた。
「せっかくボクを助けてくれたのに、さあ、今度はボクの出番だ。」
カモシカは猟師に目の前にいかにも傷ついて倒れそうな姿で現れた。猟師はやにわに亀を放り出し、投げ縄をもってカモシカを追った。亀は湖に滑り込み、カモシカは森の奥深く姿を消した。
お釈迦様はそう語り終えられこのときのカモシカは前の世の私であったと言葉を結ばれた。
揉め事を探す山犬
昔、バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
ひとりの菩薩が川岸に生えた一本の柳の木に生まれ変わっていた。
ある日、近くに住む山犬の夫婦が
「おまえさん、川の中ほどでびしゃっと言う音がしたでしょう、あれなんだと思う。赤い大きな魚、おいしそうよ。ねえ、捕まえてきてよ」
「そうだな、だけど相手は水の中だぜ」
「ばっかだねえ、誰か水に潜れるやつに捕まえさせればいいじゃないか」
「よーし、まってな」山犬の亭主が腰を上げて川岸の柳のそばを通りかかったとき、また大きな水音がする。すると水辺の葦がカサカサと鳴って一匹のかわうそが一直線に泳ぎだした。かわうそは水音の近くで水面から消えた。と思うまもなく激しい水しぶき上げて赤い魚が躍りあがった。そしてその背中にかわうそが爪を立てている。
「兄さーん」かわうそは岸に向かって呼んだ。
「手伝ってくれー、ボクだけじゃムリだよー」
兄のかわうそは水を切って助けに行き、三匹の戦いが続いた。やがて腹を見せた魚をかわうその兄弟が岸に運んできた。
「あーあ、疲れた。恐ろしく力の強い奴だった。あ、兄さん、ボクが見つけたんだから先に食べるよ。」
「ちょっと待った。俺が助けに行ったから捕まえられたんだ、だから俺が先に食べて残った分がお前のものさ。」「そんなのずるいよ」
そこへ山犬が現れた。
「おふたりさん、アン、もめてますね。そういうことはまず私に相談したまえよ。いいかい、赤い魚は頭と胴と尻尾でできている、まず、三つに切る。」
そういって山犬は自分の鋭い牙で魚を三等分した。
「さあ、兄さんは頭から、弟の君は尻尾の方から食べ始めるがいい。どっちが先なんてことはないよ。」かわうその兄弟がそれぞれ魚に食いついたのを見て、「こういう風に裁きをつけた私が真ん中の胴をいただくことにしよう。」
こういって一番おいしいところを持っていってしまった。
お釈迦様はそう説き終わってからこのような詩を読まれた。
“まさにかくのごとく、合い争う者は富を失い、争いを種として邪まなる者が富を得る。実に争いは二重の悪である”
そして弟子たちに向かい、そのときの一部始終を見定めた柳の木の精は前の世の私であったと言葉を結ばれた。
くしゃみの因縁
これはお釈迦さま祇園精舎においでになるときにあるバラモンについて説かれたものである。昔バーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていたころのことである。
王の近くに使えるひとりのバラモンがいた。
「大王様、剣にも剣相というものがございます、ただ切れさえすればよいというものではございません。持てば武勲、品位ともに備わって名刀と呼ばれる剣もあれば、持つだけでひとを切りたくなる妖刀ともうす剣もございます。私はそれを、鼻でかぎ分けます、鞘を払って刀身に鼻をあてがい、うふん。かように致しますと剣の吉凶が伝わってまいります。ウウーン、これは名刀じゃ。」彼が名刀だといえば、それはすぐさま莫大な金額で王に買い取られるのであった。国中の刀鍛冶たちは競ってこのバラモンに賄賂を送った。彼は金額の多いものを名刀だといって王に推薦した。
賄賂を贈らない刀鍛冶がいた。彼は自分の鍛えた業物の鞘に胡椒の粉を入れて鑑定の日に臨んだ。
王をはじめ大臣の居並ぶ席でバラモンはこの刀を抜いた。一文の金を送ってよこさぬけちな奴と、彼はその刀鍛冶の顔を思い浮かべながらゆっくりと刀身に鼻をあてがった。「はっ、はっ、はっ、はっくしょ〜ん。あ、ああああいてて」くしゃみと同時に鼻先が切り落とされた。血のついた鼻は王の面前にまで転がった。
さて、このブラフマダッタ王には王子がなく、ひとりの王女と甥があった。二人は隣り合った宮殿で育てられ、やがて成長して恋しあうようになった。王はそのことを知って迷い悩んだ末、二人を引き離すことに決めた。
「予の血を引くものはこの二人だけ、二人を夫婦にするのも悪くはないが、それぞれに婿と嫁を持たせれば予の血統がさらに多くなる。血族の増えるのはよいことじゃ」
王はそう考えて甥を宮中から離れた場所に住まわせた。愛し合う若い二人には会いたくても合えない日々が続いた。
「どうしたものか」
ため息混じりに王子はバラモンに問うた。
「なんとかして王子を御殿から連れ出す方法はないものか、そなたは剣相を占うなどというまやかしのほかは何もできぬのか?」
バラモンはしばらく考えた。考えるとき鼻先を動かす癖があった。切り落とされた鼻は蝋で補修され、こしらえ物がついていた。鼻先は昔のようには動かなかった。
「月のない番を選びまする。」バラモンはまず答えた。
「月のない番を選んで姫様を必ず城外にお連れします。明朝、大王様にお目にかかり、このごろ王女様の気分優れぬのは悪運の神に取り付かれておいでのためと申しまする。」
「どこで待てばいいのだ?」
「墓地の後ろ、死体置き場の中がよろしゅうございましょう。厄払いの儀式は死人の中でいたしまする。」
「それもまやかしであろうが…」
「いけませぬか?」
「よい、ただ王女には一群の兵がついてこよう。」
「さればでございます、姫と共にわれらの一隊が近づいたときに胡椒をかいで三度くしゃみをなさいませ、武装の一群といえども生身の兵士でございます、死体の中からくしゃみが起こっては勇気もなえてしまいましょう。私が大声を上げて一番先に逃げ出します。そのとき迷わず姫を抱いて婚礼の誓いを申されませ」
「うん。」
「姫には内々に伝えておきますゆえ」
月のない夜が来た。王女の一隊は墓地に向かい、死体置き場で厄払いの式を行った。百八つの壺から香水がかけられ、王女の体に取り付いたという悪運の神を洗い流した。
そのとき死体の中からくしゃみが起こった。バラモンは大声を上げ、肝を潰して逃げ惑う兵士たちを尻目に鼻をおさえて逃げ帰った。
翌朝、バラモンはブラフマダッタ王の御前に出仕して、ありのままを申し述べた。王はすべてを了解し、大臣を集めると「我が甥を予の跡継ぎとする。」と宣言された。若い二人は相携えて宮殿に帰り、次の王、次の王妃として暮らした。
晴れた朝、東宮へ出仕したバラモンを見て王子は言った。
「太陽に顔を向けるではない。蝋細工の鼻が溶けようぞ。」
バラモンは鼻を押さえてかしこまった。
「くしゃみひとつでそなたは鼻をそぎ落とし、私はくしゃみのために王位につく、くしゃみは善でもなく悪でもないが善としてはたらくときと、悪としてはたらくときがある。これ因縁である。物事は末通って善もなく、末通る悪もない。」
陽は中天に上がりバラモンの鼻が少し融け始めた。
お釈迦様はそう語り終えられ、そのときの王子こそは前の世の私であったと言葉を結ばれた。