トンボの眼鏡
https://www.youtube.com/watch?v=m8AMRruBc0M
https://www.youtube.com/watch?v=QcRi4lsgO5w
http://blog.livedoor.jp/isotyuu_0420/archives/2363351.html 【野口雨情記念賞童謡作詩・俳句コンクールの表彰式に参加して】より
昨日は11時から市ふれあいセンターで行われた雨情関係の表彰式に参加してきました。本校からは俳句の中学生部で,3年青砥美空さんが栄えある大賞を取りました。作品は「うさぎも踊る すすきも踊る 月見の日」です。
おめでとうございます。
また,審査講評では本校学校評議員で,雨情の孫に当たる県北生涯学習センターの野口不二子氏からお話しをいただきました。そのお話の中で,「『童謡』という言葉が生まれて,来年で100年です。」といっていました。私は「童謡」という言葉は昔からある言葉だと思っていたので,びっくりでした。早速辞書で調べてみると,「古代には『わざうた』と呼ばれ,純真な児童をもって神が歌わせたもの。所謂わらべ歌。』と書いてありました。大正時代の1918年に鈴木三重吉によって児童雑誌『赤い鳥』が刊行されてから盛んになったようです。その作詞家の中心だったのが西条八十や北原白秋,野口雨情でした。
子供の素直な気持ちを言葉で表現した素晴らしい作品を,今後も顕彰してもらいたいと願っております。
https://sybrma.sakura.ne.jp/601nijuurokujishi.html 【資料601 野口雨情「二十六字詩」】より
二十六字詩
野口 雨情
漢詩よりも新体詩よりも和歌よりも俳句よりも其他総ての謡曲よりも最も広く民間に行はるるものは二十六字詩形の俗謡なり。
その系統は平安時代の催馬楽より出て足利時代の小歌となり徳川時代に至り小歌と分離してこの二十六字詩形は成る。今、年代は詳(つまびらか)ならずと雖(いへども)按ずるに貞享元禄年間なるべし。
投節、臼引歌、田植歌、潮来節、其他都々一及童謡等の類は所謂平民詩として多くこの詩形に属す。
二十六字詩形を詩としての詩的価値に至りては濃厚なるあり艶麗なるあり優雅なるあり純僕素野(そや)なるあり詩趣津々として情緒纏綿として漢詩、新体詩、和歌、俳句、其他謡曲等の遠く及ばざるものあり。
今ここには単に詩的価値として声調の美なるもの二三を摘記し以て説明に代ゆ。
○烏鳴きても知れそなものよ明けくれお前のことばかり。
○逢はれないから来るなと言ふに来ては泣いたり泣かせたり。
○染めて口惜しや藍紫にもとの白地がましぢやもの。
○飛んで行きたいあの山越えてお前いまかと言はれたい。
○心細さに出て山見れば雲のかからぬ山はない。
○朝の出舟に東を見れば黄金まぢりの霧が降る。
○心残して常若の国へかへる燕をふたごころ。
○親は他国へ子は島原へ桜花かよちりぢりに。
○君と寝ようか五千石とろかなんの五千石君と寝る。
○船底に枕はづして鳴く浜千鳥さむくはないかと目に涙。
○山で切る木はかづあるけれど思ひ切る気は更にない。
○お名はささねどあの町に一人命ささげた人がある。
○鐘が鳴るかよ橦木が鳴るか鐘と橦木のあひがなる。
○しばし逢はねば姿も顔もかはるものだよ心まで。
○潮来出島の真菰の中にあやめ咲くとはしほらしい。
○吉田通れば二階で招くしかも鹿の子の振り袖で。
○会津磐梯山は宝の山よ笹に黄金がなりさがる。
○おととひ別れてまだ間もないに昼はまぼろし夜は夢。
○忘れ草とて植ゑたるものを思ひ出すよな花が咲く。
○船頭可愛や穏戸の瀬戸で一丈五尺の櫓がしわる。
○木挽さんかよ懐かしござるわしの殿御も木挽さん。
○君と別れて松原ゆけば松の露やら涙やら。
○坂はてるてる鈴鹿はくもるあひの土山雨が降る。
○嘸(さぞ)や今頃さぞ今頃はさぞやひとりでさむしかろ。
○様よあれ見よあの雲行を様とわかれもあのごとく。
○親が程へりや不具な子なりや人でなしなりや尚更に。
その想や悲哀人を傷ましめ、その調や崇高襟を正さしむ。情趣花の如く純樸枯木の如し。熱するに似て熱するに非ず。酔ふるに似て酔ふるに非ず、自然を歌ひて遺憾なく恋を歌ひて俗に落ちず他の純文学に譲らざるのみならず却つてそれ以上の特点を有す二十六字詩形の詩としての価値何ぞ大なるにあらずや。
(注) 1. 上記の野口雨情「二十六字詩」は、『定本 野口雨情』第六巻(未来社、1986年9月25日第1版第1刷発行)によりました。
2. 「○鐘が鳴るかよ橦木が鳴るか鐘と橦木のあひがなる」の「橦木」は、「撞木」とあるべきでしょうが、定本の通りにしてあります。発表時の文字の通りにしてあるものと思われます。
3. 「二十六字詩」の初出は、『志らぎく』第2巻第1号(白菊発行所、明治39年1月9日発行)です。
『志らぎく』第2巻第1号については、「資料238 雑誌『志らぎく』第2巻第1号について」をご覧ください。
→ 資料238 雑誌『志らぎく』第2巻第1号について
[お願い]『志らぎく』第2巻第1号は、現在その所在が確認されていません。もしご存じの方がおられましたら、ぜひお知らせくださるようお願いいたします。
https://weekly-haiku.blogspot.com/2019/11/5.html 【【七七七五の話】第5回 涙香と白秋】より
小池純代
「七七七五の話」ということで進めてきたけれども、二十六音詩の典型である都々逸について何も説明してこなかった。調べればわかることしか知らないからだが、「都々逸とは」と問われて即座に一言で答えられないのはどうなのだろう。二言三言記しておきたい。
「都々逸」の名称は都々一坊扇歌という人名から。扇歌は江戸時代の寄席で勇名を馳せた音曲師。川柳が柄井川柳から来ているのと似ている。すでにある詩型に人名がジャンル名として定着するのはどういった消息なのだろう。
情歌、俚謡、街歌など、モードによって呼び方は変わるが、大きな見出しとしては「都々逸」でほぼ包括できるようだ。
ご案内をもう少し加える。この詩型の来歴、属性、作例を知るには中道風迅洞『二十六音詩 どどいつ入門』(徳間書店)がありがたい。鶴見俊輔「黒岩涙香」(『限界芸術論』講談社学術文庫)ではマスメディアと投稿詩歌の関係が窺えて微笑ましい。涙香は自身の
都々逸観を自作都々逸「俚謡手引」の十首で示していてちょっと洒落ている。こんな感じだ。
歌はどう詠む心の糸を声と言葉で綾に織る 涙香
和歌はみやびよ俳句は味よわけて俚謡は心意気
欲を云ふなら情けの艶に時の匂ひを持たせたい
「都々逸」について一言で即座に答えるとしたら、古い時代からの「うた」が、和歌の根っこに、土地の民謡に、宴席の俗謡に、子どもの口遊びに、ときと場を変えて現れたもの。火が器や燃料を変えて燃え継ぎ燃え続くように生き延びてきたもののうちのひとつに七七七五がある、という答え方をいまのところ考えている。
涙香より20年ほど遅れて生まれたのが北原白秋。二人とも57歳で亡くなっているのが不思議といえば不思議。
白秋は『芸術の円光』で「二十六字の俚謡体でどれだけ短歌乃至俳句の境地を歌ひこなせるかを試験して見た」と自作を示す。
遠い山脈、 とほ い やま なみ(2122)
早や雪つけた、 はや ゆき つけ た(2221)
霜の枯桑、 しも の かれ くは(2122)
陽も落ちた。 ひ も おち た (1121)
私の溜息はかういふ風の細かなリズムを含んでゐます、一息の溜息にも四つづつの撓(しを)りがあります。
三四・四三・三四・五をここまで分節化したことにも、「溜息」と呼んでいることにも驚く。リズムだけでなく、「主客融合」について、「言葉のにほひ」として音韻について、一音一音の語感について、事を分けて切々と説明は続き、読むほどに胸が詰まる。