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銅線→とんぼ

2024.07.05 02:50

https://nenemu8921.exblog.jp/11961328/ 【銅線→とんぼ】より

おい 銅線をつかったな

とんぼのからだの銅線をつかひ出したな

    はんのき はんのき

    交錯光乱転

気圏日本では

たうとう電線に銅をつかひ出した

   (光るものは碍子

   過ぎて行くものは赤い萱の穂)

                     詩 「銅線」

ショウジョウトンボ(アカトンボ亜科ショウジョウトンボ属)猩々蜻蛉

一読しただけではイメージがつかめにくい作品。

詩人は汽車に乗っていて、車窓から移り行く風景をながめ、その印象を描いたもの。

大正11.9.17の日付がある。アカトンボの赤い色が車窓から見ると、線状に流れるように感じられるので「銅線」としたのである。

はんのき、はんのきと反復して、車窓から過ぎ行くスピード感を出している。

交錯光乱転はこうさくこうらんてんと読む。動く車窓からの嘱目であろう。

電柱の碍子も光りながら過ぎ、若い萱、ススキの紅い穂も後ろへ飛んでいく。

作品中のトンボは季節的にアカネ科のとんぼと思われるが、思いがけず美しい赤いトンボに出会ったので、この詩のイメージとしては少々強引だが、紹介したかった。

自然に深い関心を持っていた賢治だったが、トンボはあまり登場しない。

この作品も電柱、電線への強い関心が伺われる。

生物を鉱物的なイメージで捕らえるのは宮沢賢治の独自さだ。

「ぶりき細工のとんぼ」という詩句もあった。こちらをどうぞ。

だが、改めてトンボを見ると、なるほど金属的な所もある。

ショウジョウトンボとおなじ場所で出会ったトンボだが、名前は分かりません。

どなたかご存知の方はご教示下さい。

クロスジギンヤンマだそうです。こにタンさん、ありがとうございます。


https://nenemu8921.exblog.jp/11821475 【きんぽうげ 芹】より

そのきらびやかな空間の

上部にはきんぽうげが咲き

  (上等のbutter-cupですが

   牛酪(バター)よりは硫黄と蜜とです)

下にはつめくさや芹がある

ぶりき細工のとんぼが飛び

雨はぱちぱち鳴つてゐる

  (よしきりはなく なく

   それにぐみの木だってあるのだ)

(略)

青ぞらは巨きな網の目になつた

それが底びかりする鉱物版だ

  よしきりはひっきりなしにやり

  ひでりはパチパチ降つてくる

                   詩「休息」

きんぽうげ→ウマノアシガタ

とんぼ→ノシメトンボ

大正11.5.11の日付のある作品。

土手の草地に体を投げ出して休んでいるときの印象を綴った詩である。

ひでり雨がぱちぱち降り、オオヨシキリの鳴き声が響く。

眼にとまるのはキンボウゲ。

(エゾキンポウゲという植物はあるが、キンポウゲはない。キンポウゲ科のウマノシガタやタガラシ、キツネノボタン、ヒキノカサなどを総称して呼んだと思われる)。

賢治はきんぽうげという名がお気に入りだった。

きんぽげの英名がbutter-cupで、その連想から牛酪(バター)へ、蜜と硫黄へと展開する。

視線を下へ向ければ、つめくさと芹。つめくさは童話「ポラーノの広場」でシンボル的植物でもある。

芹は賢治の好きな「月光色の散形花」だが、語感がよくないからか、登場回数は多くない。

ぶりき細工のとんぼがノシメトンボだと限定できないが、とんぼの形体からのイメージと思われるのでこだわらなかった。

生物を鉱物や金属にたとえるのは賢治の独特の詩法である(亜鉛鍍金の雉子もあった)。

詩人の眼はひでり雨を降らす空へ向けられるが。空もまた鉱物板になってしまう。

きんぽうげ、つめくさ、よしきり、ぐみなどは以前にも紹介した。

よろしかったら、検索してみてください。


https://harutoshura.livedoor.blog/archives/28045340.html 【「銅線」】より

つぎは、「1922・9・17」の日付がある「銅線」という詩です。

   銅線

おい、銅線をつかつたな

とんぼのからだの銅線をつかひ出したな

   はんのき はんのき

   交錯光乱転〈くわうらんてん〉

気圏日本では

たうたう電線に銅をつかひ出した

  (光るものは碍子

   過ぎて行くものは赤い萱の穂)

銅線

銅は原子番号29の元素(Cu)。単結晶の銅は柔らかく、電気伝導度および展延性が高い金属。銅は、金属製品や貨幣の材料として多くの場面で使用され、鉄に次いで重要な金属材料。銅の用途のうち、電線が60%を占めている。

1918年(大正7年)には日立の銅線工場、1920年(大正9年)には河川横断に日本初の鋼心アルミ撚り線(ACSR)が採用されるなどしている。第1次世界大戦から太平洋戦争まで軍需景気にわき、工場動力の電化が進んだ。また電線が全国に引かれ、家庭に電灯が普及していく。この詩が生まれたのはちょうどののころだ。

秋、汽車の車窓から移り行く風景をながめていると、細長い「とんぼ」のからだが線状に流れるように思えたのを「銅線」としたのだろう。細長いからだも羽の模様も、とんぼには金属細工がよくはまるようにも思えてくる。

「はんのき」のリフレーンが、汽車の動きをよく表している。「交錯光乱転」(交錯して光、乱転す)は、古代インドの仏教僧、天親が、弥陀の浄土のさまを描いた中に出てくる句のようだ。

車窓からの景色の賢治らしい表現だ。電柱の碍子は光りを浴び、赤い萱の穂も後ろへ去っていく。「気圏日本」は、段階的に拡大する宇宙の部分としての日本。銅線も、賢治の宇宙観のなかにある。