大鰐温泉郷
大鰐温泉の歴史1(大鰐旅館組合HPより引用)
平安末~鎌倉初期
東国行脚中の円智上人が本尊の大日如来(実は阿弥陀如来)を移奉すべ蔵館に高伯寺を建立中、病に倒れました。その時、夢に「この地に温泉あり。土用・丑の日に沐浴すべし。」とのお告げがあり(現在の霊湯大湯)、それに従い病が治ったとの伝説があります(円智上人説)。
文禄2(1593)年
津軽藩を開いた津軽為信が、難治の眼病にかかり、大鰐に涌く温泉で目を洗えば治るという、薬師如来のお告げを夢にみて、大石の下(現在の湯魂石堂)から涌き出る熱湯を発見したとも伝えられます(為信説)。
とのことで、800年の歴史を持つ、とてつもなく有名な温泉地です。
大鰐温泉の歴史2
私が調べた一番古い文献は、大正9年の「青森県鉱泉誌」という著者:青森県警察部衛生課 編、出版者:青森県警察部衛生課 というもので、その中身は、大鰐温泉と蔵舘温泉にわかれており、大鰐温泉には旅館客舎が約30・共同浴場が4。蔵舘温泉には旅館客舎が4・共同浴場が4。と記載されています。
1954年(昭和29年)7月1日に南津軽郡大鰐町と蔵舘町が合併しています。平川の北側が蔵舘町でしたので、川を挟んで大鰐温泉と蔵舘温泉とに分かれて記載されていたのではないでしょうか、
その本には、源泉名が記載されていました。
大鰐温泉が「青柳湯」「若松湯」「梅香湯」「山吹湯」「大鰐ホテル」「二川原客舎」「後藤旅館」「澤田客舎」の8つ。
蔵舘温泉の源泉は、「上の湯」「下の湯」「山二旅館」の3つとなっていました。
大鰐温泉の歴史3
どこの温泉地もそうであるが、だんだんと湧く量が減っているのが大きな問題です。大鰐温泉も温泉の濫掘によるものと思われますが、湧出量が減少してしまいました。
1964年(昭和39年)、大鰐町はとうとう温泉を集中管理することにしました。宿泊施設・共同浴場は同じお湯が配湯されるようになりました。分析表で今後確認していきますが、若干の配分は違うにせよ、混合湯として配湯されているのではないでしょうか。
地図上の♨マークについて
現在の地図においては、大鰐温泉に該当するのは7つのようです。
街の中心街に5つ
街から外れたところに2つの合計7つを発見しました。
№1→どうやら「大鰐温泉 不二やホテル」のようです。昔は平川の南が大鰐町、北が蔵舘町でして、不二やホテルの温泉は「蔵舘温泉」に該当すると思われます。
№2→「青柳湯」という名前がつけられていたようです。現在はポンプ室になっています。↓
№3→「椿の湯 玉川客舎」かなと思われます。この建物の後ろ側にはポンプ室らしきものがありました。これはもしかしたら昔の「佐藤宿舎」のものだったりして。↓
№4→「紅葉館」だと思われます。が、もしかしたら違うかも・・・。「梅香湯」というのが昔あった情報もありまして調査中です。
写真を撮ってはきましたが、車の奥にポンプ室らしきものがありましたので、ここかなと。↓
№5→こちらにはタンクがありそうですがまだ確認に至っておりません。調査中です。
№6→こちらもポンプ室のみの場所に♨マーク。星野リゾートはこの温泉かな。
№7→こちらは道路からは進入禁止の柵が設置されています。もしかしたら旅館とかがあったのかもしれません。
大鰐温泉の施設
(1)若松会館 大鰐町大字大鰐字大鰐59-1 入湯済み
(2)青柳会館 大鰐町大字大鰐字湯野川原27-2
(3)大湯会館 大鰐町大字蔵館字村岡53 入湯済み
(4)鰐come 大鰐町大字大鰐字川辺11-11 入湯済み
(5)昇泉閣紅葉館 大鰐町大字大鰐字大鰐171-1
(6)昭和温泉旅館すみれ 大鰐町大字大鰐字湯野川原64-2
(7)ヤマニ仙遊館 大鰐町大字蔵館字村岡47-1
(8)不二やホテル 大鰐町大字蔵館字川原田63
(9)旅館きしもと 大鰐町大字大鰐字大鰐86-1
(10)界津軽 大鰐町大字大鰐字上牡丹森36-1
(11)赤湯 大鰐町大字大鰐字大鰐131-1 入浴済み
(12)青森ワイナリーホテル 大鰐町大字島田字滝ノ沢100-9
(13)正観湯温泉旅館 大鰐町大字長峰字九十九森135-1
(14)料理旅館 福士舘 大鰐町大字大鰐字大鰐168
(15)畑山温泉民宿 大鰐町大字大鰐字大鰐132-1
(16)民宿河鹿荘 大鰐町大字大鰐字大鰐88-4
(閉)大鰐ホテル 現在の若松会館の向かい側にある成田歯科医院の建物がこれでしょう。
(閉)一二三館 現在の(株)さかもとがその建物かなと。
(閉)羽黒湯 スナックあゆの隣の敷地がそうなのかもしれません。
(閉)佐藤宿舎 老人ホームあざりあでなかろうかと。
(閉)久七温泉客舎 建物は残っていますが閉館したようです。
(閉)梅香湯 うえだ住宅設備機器の場所かな
(閉)加賀助 足湯になって残っています。