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Angler's lullaby

Jingle all the way

2018.12.22 15:00

50手前のオヤジが今さらカミングアウトするのもちょっとアレだけど、実は中1の冬までサンタクロースの存在をどこかで信じていた。


正確に言うと、それが両親だということを認めたくなかったのだろう。


しかし、いかんせん運悪くその冬は夫婦間戦争が長期化の様相を示していて、だいぶ家庭内の雰囲気が悪かった。


いつもだったらそろそろ「サンタさんへ手紙を書くからプレゼントは何がいい?」と聞かれるタイミングなのに、何の音沙汰もない。


クリクリ丸坊主、ニキビ面の中坊はその時近所の釣具点のショーウインドウの中で長い間鎮座していた銀色に光り輝くシマノのバンタム100が欲しかったのだ。

おずおずと、

「あの~、クリスマスプレゼント・・・。」と切り出すと、


「もうサンタさんとかはいいでしょ!!」と不機嫌の頂点をウロウロしている母親からイナズマのような一喝。少年の淡くほのかなファンタジーは唐突に消え失せた。


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話しは飛ぶが、今年の禁漁後からつい最近、12月の上旬まで、大学の先生と一緒にある魚の調査に出かけていた。もちろん、必要な行政上の手続きを全て済ませた上でのれっきとした学術調査だ。


大体隔週で、多いときは毎週末、片道200㎞を1台の車でひた走った。行きと帰りの時間は、ずっと先生の講義を受けることが出来た。それは、心の財産ともいうべき貴重な時間だった。DNA解析の話し。日本列島の成り立ちとトラウトとの関連。そして、九州という島が持つ圧倒的な遺伝的多様性など。授業料を払ってでも受けたい素晴らしい講義だった。


と同時にこの先生の持つ人間的なポテンシャルに惹かれた。気さくで朗らかな方なのだが、折々に見せる鋼鉄のようなこだわりはまさしくプロフェッショナルの横顔であり、世界にその名を馳せる魚類学者の背中だった。


真実を明らかにするためにはどんな苦労もいとわず、また、どんな小さなことも解決せねば気が済まない。世の中に流布(るふ)する権威や、地位や名声には目もくれない。その代わりに世界中の高名な学者とのとてつもないネットワークを持っている。


こんな話しだけでも私みたいなフツーの人間からするとクリスマスプレゼント級なのだが、何度か先生と一緒に調査に行く中で私はとんでもない魚をキャッチしてしまった。

釣り人など到底入りそうもない、水すらほとんどない深山の小沢に息づくその魚は古(いにし)えより息づくドラゴンの末裔を思わせ、釣り人に卒倒しそうな絶頂を与えた。その日の帰りの車内は長い時間、全くの放心状態だった。


さらに後日、遺伝子検査を終えた先生から電話があり、魚類学の大家をもってしても頭を抱えるくらいのとんでもない結果を告げられた。そして今もまだこのことは解決していない。


細かなことはまだ先生の研究が途中段階で、こんな所に軽々しく書くわけにはゆかない。


ただ、あの時、興奮を抑えきらずにひどい寝不足で掛けてきてくれた先生の電話の声は、私にとってまさしく望外の驚きと喜びだった。


また、一つ言えるのは、日本のトラウトを分類するベースになっているのは、今よりもはるかに劣ったテクノロジーしかなかった20世紀中盤に書かれた大島正満博士の論文であり、その論拠は21世紀の現代から見るとあまりにファジーなのだけど、この国のアングラー、メディア、釣り具業界に至るまでまでもが全てこれに倣(なら)って疑わないということ。


そして先生はこのことに果敢に挑み続け、私はその傍らで釣りをしている。

時には氷点下になるような九州最奥の源流部での出来事で、

先生も私も、まだ透明な夢を見ることが出来ている。


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明けて次の週末、調査釣行が一区切り付いてホームの湖に向かう。


ここまで何度か通ってはいたのだが、調査のことが頭の中を占めていて、なんとなくボンヤリしたまま、数時間だけやって早上がりするというパターンを繰り返していた。結果、4回通ってまだノーフィッシュ。

仲間内から聞いた情報によると、サイズは小さいがレインボーはボチボチと上がり始めているとのこと。


この日は夜明けから夕方まで手を尽くすつもりでいた。


そろそろ今季もエンジンを掛けてライフワークに取り掛かるのだ。

しかし、9月に襲来した台風24号のせいで水中の地形が微妙に変わったのか、湖流の様子がおかしい。ここまで例年のパターンが全く通用しない。気配がない。要するにいつもの時間のいつもの場所で全くの無反応だということ。


これはこれで攻略出来れば面白いけど、釣れない釣りはやっぱりどうしたってつまらない。


ポイントを変え、レンジを変え、ルアーを変えてみる。


無理矢理口角を上げてニッコリ、深呼吸して肩の力を抜いてゆったり、景色を眺めて殺気を散らしてみる。


そうして午後になり、傾く日差しが夕刻の色合いを醸し出し始めた頃、サトウオリジナルのアンサー7gが手前のカケアガリで吸い寄せた1匹。

目がまだクリクリと可愛らしく、サイズも40㎝に満たないまだまだおちゃっぴいなレインボー。

それでも今季初の1匹にそこまでの苦労や疲れは一気に吹き飛んでしまった。

やっぱり俺のホームはここなんだなあ。


あのとんでもない魚を釣った時は、頭が真っ白になってしばらく感情すらなくしたようだったけど、なんだかんだ簡単には釣らせてくれないこの湖で、苦労した末の初物はまるでジングルベルが聞こえてきたかのように私を幸せな気持ちにしてくれた。


この日、別のポイントで頑張っているフェス男に電話している最中、そのおちゃっぴいは足元からピュっと泳いで逃げた。その様子を見ながら私の口からは自然と「ありがとね。」という言葉がこぼれていた。


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「自己に何等の理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。」


漱石のとある小説の一節。


先生はこの真逆である。自身の理想を追い求めて動き回ることを決してやめない。間近に接するとその生きざまは壮烈であり、還暦を過ぎても一体何時まで大学にいるのか分からない。そして、余計な情報には耳も貸さない。一旦フィールドに行くと決まればどんな険しいところでも必ず現場に赴いて、自分の目で確かめないと気が済まない。


フェス男だってほぼ毎週末湖にやって来て、理想の一尾を求めて一心不乱にキャストしている。ヤマメの時と違って少し苦戦しているようだけど。


そういえば、後輩のMURAとCHANの仲良しコンビも理想を夢見て30半ばにして来年からそれぞれ職を変えるようだ。これだってとても大きな行動。


男子たるもの、理想を描いて、それに向かってがむしゃらに行動してナンボじゃないか。結果はどうなるか分からない。でも、それを続けなければ結果なんか永久に付いてこない。

子どもにとってクリスマスはいい子にさえしていれば、大抵プレゼントがもらえるイベントだ。


でも大人はそうはいかない。やっぱり理想を胸に、粘り強く力強く行動しないとプレゼントなんてそうそうもらえるわけはない。


そして、やり続けることが出来る大人は、いくつになってもワクワクしながら心のベルを鳴らし続けても、いいのではないだろうか。


※ジョシュア・レッドマンとブラッド・メルドー、現代ジャズ界2大巨匠の若かりし頃のちょっとヤンチャでお茶目な演奏。多分もう20年以上前のGRPかなんかのコンピレーションアルバムにあったもの。誰だか分かりませんが、よくYouTubeにアップしてくれていました。