二十六冊目【こといづ】
【こといづ】
著者 高木正勝
出版 木楽舎
感想文を書く時は、読了後すぐにパソコンに向かって書いている。なんとなくその時感じた高まりやわだかまりをそのまま残したいと思うからだ。だけど、今回はそれが出来なかった。昨日積み終わった今年分の薪を薪ストーブで燃やしながら、妻と猫のいる部屋で読み始めたこの本は音楽家高木正勝と家族の生活が織り成す日常が映像のように、音楽のように、詩のように、世間話のように綴られていた。なんとなくそのままパソコンに向かうのをやめて、妻と猫と布団に入って一晩眠った。朝早くに起きて、いまこれを書いている。うん。やっぱり夜書かなくてよかった。この本には光が似合う。
田舎での暮らしを「丁寧」というのは簡単だけど、本当はそんな簡単なことではない。ぼくも身をもって経験してきた。古民家を移築しこの土地に根をおろして四年になる。ここでの暮らしは丁寧というよりは「受け入れること」の連続だったような気がする。それは「尊重する」「敬う」といった目上や地域の先達への敬意と、それよりなにより「思い通りにならない自分自身」への苛立ちや焦りに対して「あきらかにして見極める」あきらめの気持ちで許してあげる。そんな時間だったようにおもう。そんなことを思い出しながら読んでいたらいつのまか最後のページになっていた。だけど、終わりだとは感じない。高木さんがこれまでもこれからも紡いでいく「生活」というおおきな物語に、ぼくも名もない登場人物として加えてもらえたような、そんな暖かい気持ちになった。
山奥の村へ高木家が越してきた時の話はとくに最高だった。あまりに最高だったからトイレに行く妻を追いかけていって、扉の向こうにいる妻に読んで聞かせた。読み終わると、ハハハ!よかった!よかったねぇ!と二人で喜び合った。猫は不思議そうにナァナァ鳴いている。なんだかこの感じはひさしぶりで、この家に越してきた時のことを思い出した。ぼくらは「ハレの日」特別な日と、「ケの日」普通の毎日と、「ケガレ」誰かを看取ったり命について考える鎮魂と祈りの日々を往来しながら命を育てている。窓の外に朝昼晩が巡り、山々に四季がゆるやかに移ろうように、すべてはちょうどよく配置されていて、ちいさな石の下にも何万の命がある。ぼくらはそういうものの上で生かされている。でも、それは見えにくいことだから、ついつい分かりやすいこと、ほめられることに気持ちがとられる。でもそんな時も石の下の命はけして消えてはいなくて、ただこちらが「見失っていた」だけで、歩くスピードを落として、立ち止まって屈んで見れば、あの頃とちっとも変わらないものがそこにあって、ぼくらをいつかのあの子へと戻してくれる。ぼくは時々素敵な本と巡りあうと、それと同じ気持ちになる。ここでもまた「ありのままの自分をうけいれる」そんなことが頭に浮かんだ。強さというのは、なんでも押しのける力のことではなくて、どんな重さでにも耐える木の根や、しなやかな柳のようなものに宿るのだろう。踏ん張るのではなく、身を委ねる。一丸となって生きながら、ばらばらの世界を活き活きと生きる。そんなしなやかさを、ぼくもそしてきっと高木さんも土地と繋がって脈々と暮しを営んできたひと達からお裾分けしてもらっている。
ひとが他の霊長類と唯一異なる点を知っているだろうか?涙を流す?コミュニティを作る?誰かを愛する?いやいやそれは同様の行動が発見されている。唯一異なるのは「お墓をつくり死者を敬うこと」だそうだ。人間だけが、太古の昔から死者という見えないものを生活のすぐそばに置いた。それは亡くなった者たちが「いつか帰ってくる」そう信じていたからだ。墓石は元々「重し」の役割があった。盆踊りのように、大地を踏みしめながら回るという行動には、土中の人々を呼び起こす意味と、回転で時間を遡らせる意味があったそうだ。いなくなってしまった誰かやなにかが「いまもそこにいる」そう感じられることが、唯一人間の証明なのではないか。ぼくは最近そう思うことにしてる。科学的にどうかとかは関係ない。ぼくらは見たいものを見て、聞きたい音を選択して聞いている。そういう不自由さが人間らしさなのだ。
だから都会と田舎の違いがなにであるかといえば、なにがこんなに地方へ多くの人を誘うのかといえば、この場所が「生と死」を身近に感じられる場所であるからだとぼくは思う。集落に救急車が入ってくればみんな窓の外を見ているそしてしばらくの後、軽トラがそこの家に向かって集まっていくのがわかる。この集落には「知らない誰か」がほとんどいない。誰かに聞けば「どこどこの誰々のなになにだ」と懇切丁寧に教えてくれる。そういうことの積み重ねで、ぼくら外から越してきたひともこの集落の地図や関係図が頭のなかに出来ていく。そうしているうちにぼくらもその地図や関係図の一部になっていく。この土地では、ひとの生死を感じられる。昨日まで元気だったひとがいなくなる悲しみをひとりで抱えなくても生きられる。だから、みんなここがいい。というのだろう。誰だって独りにはなりたくないのだから。
人生の価値があるとすれば、それは自分と関わりのある「質の高いcontext(文脈)」をどれだけ世界の内に見つけられるのかということだ。それは「居場所」と言い換えてもいい。世間からの名声というのは、とかく分かり易いがうつろいやすい、無数の比較対象が存在しているからだ。変わりはいくらでもいる。だから強くしたたかで変化に強い者のみが生き残る、だけどそうなってくると自分である意味がなくなる。そうしてみんなどこにいたらいいのか分からなくなって街をはいかいすることになる。物もひともたくさんいるけれど、同じものがたりを共有できてるひとはほとんどいない。それを見せないことが都会でのルールなのかもしれない。だけど野菜をくれたり、背間話をしていく近所のじいちゃんばあちゃんはこちらの都合はお構いなしに生活にずんずん入ってくる。そして、いつもいきなり帰っていく、振り返ることなくさっと去っていくのだ。田舎において「集落の若者」「隣近所」の比較対象は少なく、代わりになる存在は簡単には現れない。だからその関係性はちょうど家族がそうであるように、協調性がなくても、性格が合わなくても、時に腹が立ってもいざという時は一丸となって立ち向かうしなやかさを残しながら、いつもはばらばらに暮らしている。そんな関係になる。集落とは拡大家族である。だから安心できるのだ。
隣のせいじさんがネギをくれる時、下のそば屋のほらさんが蕎麦湯をくれるとき、たんぼの時期はぴりぴりしてる保木さんがこの時期はニコニコしてて大根をたくさんくれる時(これを書いてたら保木さんが大根もってやってきた!)、そこにぼくらのおもうような短い期間の損得勘定はない、余っていたから困ってるやつに分けてやる。あいつは甲斐性がないからな。そんな姿勢にぼくはあこがれる。みんなもうすぐ八十歳になる、あと数十年でさようならをしなければいけない。その感覚がぼくとおじいちゃんとの間になんともいえない関係性を作り出す。ぼくはそれをとてもいとおしいものだと思っている。子供が出来たら誰に報告する?そんな話をした時、親や祖父母の次に、近所のみんなに孫を見せたいね。そう妻とふと言った時、あぁぼくらはこの集落の子供になったんだなとしみじみ思った。ちなみに、おしいちゃんの息子さんにも消防団や祭りや仕事でお世話になっている。こうしてcontext(文脈)は繋がっていく。そのつながりは簡単にはなくならない。それはぼくらが祖先を身近に感じるのと似ている。
話がそれたけどぼくはそんな自分たちの暮らしに感じるのと同じ水脈を、高木さんの暮らしに覗いたような気持ちになった。ずっと前から知っている気がするのはきっと、ぼくも高木さんも「集落の子供」だからだろう。集落の歳の近い先輩は大抵下の名前で呼び合ってる。同じ苗字がとても多いのだ。朝倉は我が家一軒だけど、歳の近い先輩は「けいちゃん」と呼んでくれる。いつか高木さんにお会いすることがあったら「かつちゃん」と呼びたい。世界は今日もばらばらでくだらないけど、やっぱりぼくらは家族なんだと思う。