東京四季出版による 第21回 七夕まつりへ
Facebook星野愛さん投稿記事 東京四季出版による 第21回 七夕まつりへ🎋
表彰式、講演会、懇親会と盛り沢山の内容でした
今年の俳句四季大賞は小澤 實先生の『澤』蛇笏賞も受賞された句集です
電話を受けたときのエピソード、選考委員の愛についてお話されました
作品の中の言葉と言葉の出会いも縁だと思うという、暖かなスピーチでした
講演会は堀田季何先生による「現代世界の戦争俳句」と題した、少しシリアスな内容のものでした季何さんの独特の感性で日本と海外の戦争俳句を紹介しながら、俳句は短いからこそ力強さを持ち、平和の教育と啓蒙に寄与するはず、その力を信じたいとのメッセージで締め括られました
受賞された皆様、誠におめでとうございます❣️
笑いの絶えない楽しい時間を過ごすことができました
Facebook辻村 麻乃さん投稿記事
東京四季出版の七夕祭に参加してきました。まだ袖を通していない夏の着物を着ようと用意していましたが土曜夜から昼間まで長女一家が泊まりにきて、暑さも半端なく。リゾートのようなドレスで参加となりました。授賞式で受賞者のみならず選考委員の先生方のお話を聞けたのが勉強になりました。また堀田季何様の「現代世界の戦争俳句」の講演が素晴らしく、様々な俳句を海外の句まで例に挙げながら、短さが特徴の俳句によって戦争の恐ろしさや平和の大切さを伝えていくことは、直接的に働かなくても戦争を遅らせたり、その終息を促したりなど平和教育の啓蒙に有用であることを説かれました。以下敬称略
◆俳句四季大賞『澤』小澤實
俳句四季特別賞『牛歩』二川茂德
俳句四季新人賞「暗き川」関灯之介
俳句四季新人奨励賞「父の筆」加藤幸龍
「あゐいろどき」中西亮太
全国大会大賞 安居雅寿
優秀賞 黒部祐子、横田澄江
お食事は着席フルコースの落ち着いたもので、途中席を立って(申し訳ないと思いつつ)列席者の中から最近お世話になっている方々に挨拶に行くこともできました。
二次会もいつもの市ヶ谷ワインバーで後から駆けつけた星野高士様を囲んでわいわい。
式典、講演、お食事まで心のこもった実りある会でした。社長をはじめ俳句四季のスタッフの皆様お疲れ様でした。
https://blog.goo.ne.jp/kitamitakatta/e/6eb8824520abe9a494750d1e63bfb03a 【澤9月号小澤實を読む】より
『俳句界』7月号に発表した「声残る電話切りたり夕薄暑 わたる」を、『澤』の柳元佑太さんがその9月号に句評を書いてくださった。その号が贈られてきた。ここに『澤』主宰小澤實が「羨道」と題して15句を発表している。
小澤さんとは彼が「鷹」にいたとき毎月、中央例会で対面した。藤田湘子の横で鷹編集長として司会していた姿がなつかしい。お礼の気持ちを込めて小澤實15句を山野月読と合評する。山野が○、天地が●。
蛇穴を出る羨道の岩粗し
●「羨道」、知りませんでした。広辞苑には「横穴式石室の玄室と外部をつなぐ通路部分」とあります。ですから「岩粗し」です。
○「羨」に「墓道」の意味があるようですね。冬眠から覚めて世に出る穴と死して永遠の眠りにつく穴の対比。
●実直であり浪漫性もありますね。
○輪廻転生とか、思ってしまいます。
●人間の歴史に関わる蛇か、アニミズムの匂いもするなあ。悪くない。
咲きそめてしだれざくらのまばらなる
○咲きそめというのですから、「まばらなる」のは道理かなと。「しだれざくら」という名は、その枝振り、樹姿によるかと思いますが、この句ではそうした全容としてのそれではなく、ひとつひとつの花への着目ですね。
●道理というのは適切な論評だね。「まばらなる」は物事のそうであるべきすじみちだが常識というのでもない。いいところを狙ったと思います。
手にしたる桜ひとえだ嗅ぎもせる
●前の句の枝垂桜でしょうか。「嗅ぎもせる」がこの作者の物への興味の持ち方で微笑ましく感じました。
○「手にしたる桜ひとえだ」と言われると、手折った枝をイメージしそうですが、どうなんでしょう?
●折ったんです。いけないという人が必ずいますがこれでいいんです。
○だとしたら、前句のしだれざくらから離れて考えた方がよさそうですね。
にはとりの大股歩き朝桜
●小澤さんは即物俳句の第一人者と思っています。「にはとりの大股歩き」は彼の素朴で大柄な物の摑み方であり好感を持ちました。季語もおおらかに付いています。
○この描写は凄いですね。こう言われると小股歩きの鶏なんていなそうに思える。
●今回の発表句ではいちばん気に入りました。
鶏の頚切つて血抜けるさくらかな
○私は幼い頃に当にこのシーンに出くわし、以来長年鶏肉が食べられませんでした。こうした措辞に「さくら」の斡旋は定石っぽくもありますが、決まってはいますね。
●君が食べられなくなったというような命のやり取りといったところに作者は書く衝動が出るんだよね。血がたらたら流れているところに桜が咲いているのはどきどきする。
○状況的にはあまりイメージしたくない景ですが、句として立っていることはわかります。
ポリバケツに鶏の首のみ花の昼
●即物性はこういうふうに現われるわけです。ホラー映画の一シーンみたいでドキッとします。
○ポリバケツがリアリティを強化しますね。バケツを一杯にするプロセスを見ていたわけでも、バケツの底までひっくり返してみたわけでもないでしょうに「鶏の首のみ」と断定する写実、レトリック。
●リアリズムの旗手だね。
ボールベアリングにめぐる鋼球花の昼
○同じ季語を同じ下五に配した句をふたつ並べるとは、凄い。身近な素材で言えばポールペンですかね。季語的にはもっと違うものがありそうな気もしますが。
●前の句は有機物でこれは無機物ですが物の見方は共通しています。そうですね、季語は違うものがあるかもしれないが敢えて「花の昼」を置いたのかな。暑い夏でもいいね、季語は。
○ですよね。私も夏のイメージを抱きました、短絡的なのかな。
●夏だと従来の季語の付け方だという作者の思いがあって冒険したのかもしれません。やや異質と感じることが句を新しくしますから。
花くづの卍なすなり川の面
●作者の物への興味の示し方、素っ気なさのよさみたいなことを言ってきましたが、この句には技を感じます。中七に。
○川のひとところが、渦巻いているわけですね。「卍」の見立てが決まってます。
●そう、見立て。見立てとか比喩といったテクニックをあまり使わない作者です。
○私はこの句が一番好きです。
●巧さは抜群。
はなくづ一片回転しつつ吹きあがる
●よく見ていますね。それはいいのですが君はこの句をおもしろいと思う?
○2句目の「しだれざくら」もそうですが、想像の範囲内の写実というのか、物足りない感じがします。
●うん、まだ単調な気がする。実直は嫌味がなくていいのだが……。要するに写生で一句をものすのは並大抵でないわけ。絶妙の素材を絶妙のタイミングで詠んだとき写生のもの凄い句が生まれる。そうはない。
花屑一片吐きにけり鯉浮いて
●「鯉浮いて花屑一片吐きにけり」と書きませんでしたね。なぜ倒置したのかな。
○ここまでの3句、それぞれ表記の異なる「花屑」で始まる句であり、1句独立とは異なる、他の句との関係性の問題がありそうですが。
●単調さを嫌ったと思うね。
○この句では、鯉の吐き出した一片以外の花屑は池にあるのでしょうか。「花屑」「花くず」「はなくず」の違いで、その量の差異を示しているようにも思ったのですが。
鴨帰る水面なる鵜を見下ろして
○空と水面にそれぞれ鴨がいる状況について、鴨が鴨を見下ろしていると捉えたわけですね。
●「水面なる鵜」は簡潔でいい表現です。初心者はなかなか言えません。
○水面にある鴨なわけですが、「水面なる鴨」として一体化しているようなイメージも出てきます。
●鴨は水面じゃなくて宙に飛んでいる。しかし水面の鵜とが関係している、という君の読みはいいね。同じ鳥類で命あるものどうしの別れといった抒情はわかる。
茶摘女五人みな婆軽トラ荷台に満つ
●この句はいただけません。なぜこんなに物を詰め込んだかわかりません。
○そうですね。荷台の満員状況を句で体現したのかな(笑)
●大先生の句を添削するのは恐縮ですが、「軽トラの荷台に満ちて茶摘婆」みたいにしたくなかったのかなあ。茶摘は若い女性がいいのに婆さんだったという怨念を引きずってしまっているねえ。
五齢の蚕透きそめたるを指に持つ
●伝えたいことはわかるんですが上五字余りにしてまで「五齢」を言う効果が疑問です。
○「五齢」とか初めて知る言葉でネットで調べたのですが、この句の状況だと熟蚕(じゅくさん)と呼ばれるようなので、「熟蚕の」としたくなりますが。また、ネットで調べた限りでは、「五齢」ではなく「5齢」という表記ばかりなのですが、これはアラビア数字を使うルールなんじゃないですかね。
●それは「五齢」でいいのだけれど、君が調べた「熟蚕」のほうにぼくは惹かれる。
山繭千入れたる麻のふくろかな
○この麻の袋は閉じられてはいないのかなとか、この袋は重いのかなとか、そんなことが気になりました。
●重さかあ。ぼくは多量の山繭が麻に擦れる質感を思いました。これは現実ではなくファンタジーだね。山繭なんてそうそう採れないもの。
くらはんか皿のぶあつき目刺かな
●「くらはんか」は「食えよ」ということですよね。「ぶあつき」は皿ではなくて目刺にかかっていますね。「くらはんか」で「目刺かな」という文体が奇妙でなりません。
○確かに「くらはんか」というインパクトのある言葉で切って読むと「かな」使いの句として違和感があります。一方で、「くらわんか碗」と呼ばれる「江戸時代の普段使いの庶民の雑器」があるようで、そうした皿のことをこの句では「くらはんか皿」と呼んでいるんじゃないですかね。
●そうか、「くらわんか碗」から「くらはんか皿」か。これに気づかなかったのは失態。作者の骨董趣味は凄いのだった。すると「ぶあつき」は皿にかかるか。危なく読み間違えるところだった。こういうとき合評はいいね。一人の読みは危ない。読みはいくつか寄せ合って検討するものだと痛感しました。
○「くらはんか皿」というだけで、その皿の素朴さ、武骨さがイメージされ、目刺が旨そうです。
https://weekly-haiku.blogspot.com/2015/05/blog-post_30.html 【わたしの澤田くん
堀田季何】より
澤田和弥くんについて追悼文を書けという。
通夜や葬儀でのスピーチやお悔やみ状で使われる、きちんとした類の文章はわたしには書けない。元々駄文しか書けないし、散文が大の苦手だからである(正式な追悼文では「元々」というような重ね言葉は禁句であるらしい)。そのせいもあって原稿もよく落としてしまい、数少ない信用もついでに落としているわたし。
それでもわたしに何でお鉢が回ってきたかと云えば、彼と友だちだったからである。そう、友だちだった。間違いない。天国にいる彼もこの関係性の定義は肯定してくれるだろう。
でも、友だちなんだから何か書かなくちゃ、と思っていても、澤田くんには私よりももっと親しい友だちがたくさんいるし、わたしが面識のない読者も沢山いる「週刊俳句」で澤田くんとのエピソードを大親友面して開陳してもイタいことになってしまうし、半永久的に電脳空間に残る追悼のメッセージなんて到底書けやしないし、そもそも何を書けばいいのかわからない、とずっと思っていて先週は見送った。
その後、松本てふこさん、金子敦さん、上田信治さんの文章を読んで、変な言い方だが、少し気が楽になった。今週は、漠然とながらも、何か書いてみたい、何か書かねばと思った。
彼と何々をした思い出とか私よりも若かった彼を失って自分がいかに取り乱しているかとか、そういったことは不特定多数の読者のまえで語りたくないし、澤田くんも喜ぶとは思えないので、、とりあえず、わたしが俳句関係で澤田くんについて思っていることを断片的に語りたい。
[句材の好み]
句材の好みは、間違いなく似ていた。
二人とも社会や歴史を詠むのが好きだったが、更に好きだったのはタナトスとエロスに関する句材である。彼のこういった嗜好は、句集名『革命前夜』や第1回新鋭評論賞準賞に輝いた『寺山修司「五月の鷹」考補遺』というテーマからもわかるだろう。少女を扱った絵画史についても造詣が深く、「美少女の美術史」展に私が行きたいと云ったら、すでに一回観ていたはずの彼はついてきてくれて、怖ろしいまでの博覧強記ぶりを披露してくれ、わたしを大いに喜ばせてくれた。
そんな感じで、お互い嗜好が合う者同士、お互い同じ句材を扱った句をシンクロニティのごとく作っていた。私が歴史ネタで王の処刑を詠みこんだ句を本郷句会に出すと、有馬先生は(よく欠席投句してくれていた)澤田くんの句としばしば間違えた。澤田くんは同人誌「のいず」に多くのバレ句、社会性のある句、死に関する俳句を出していたが、わたしもそれらの句にある語彙のほとんどで句を作ったことがあったので、お互いそれを知って、二人して驚いたことがある。
いずれにせよ、彼は「のいず」に出した句が「卑猥」「露悪的」と一部の読者から言われていることを少し気にしていたが、その媒体では自由に句を出せることを喜んでいた(一般結社誌では内容的に無理だっただろう)。
彼のメールから二か所引用してみたい。
「そうなんですよ! エロスとタナトスなんですよ!」
「私が詠んでいるものは、そんな高尚なもの(筆者註:エロスとタナトス)ではなく、『エロ』と『死』という、もっと猥雑で露悪的なものかもしれません。私の句を『嫌がらせ』と捉える方もいますし、忌避される方もいます」
両方とも彼らしい文章だ。後者は彼らしい他人への心遣いの現れ。前者こそが本音だろう。彼は、遠慮するタイプの人間であったが、俳句だけでは、他人の意見やトレンドといったものに迎合することはなかった。「エロ」や「死」に接近することを躊躇しなかった(ただ、実生活でも「死」に接近しすぎていて、それが死因になってしまった感がある)。
[俳人として]
正直言えば、天才でなく秀才だった。それも、とびっきしの秀才で努力家で勉強家。作句にそつが無いタイプでなく、当たって砕けろタイプ。天がほほ笑んでくれるタイプではなく、天を無理矢理笑わせるタイプ。しかも、俳句の上では、他者に迎合せずに失敗を怖れない剛の者。
そういう澤田くんの代表句がどの句になるかは、歴史が決めることなので定かではないが、そういった句について他人が意識し始める前に逝ってしまった。実験や観念による失敗を怖れなかったので、残された作品は概ね玉石混淆だと思う。でも、その中には確かに珠玉つまり秀句が色々とあるので、彼の代表句が取りざたされるのは時間の問題かもしれない。
彼は同世代(二、三十代)の俳人の中でも豊かな実力があった。ただし、万人の認めるところ、彼は神童としてすでに俳句史に大きな遺産を置いていったわけではなく、俳人としては大成する前であった。そのかわり、彼の故郷浜松の英雄である家康並みの大器晩成型。大きな器と素質があり、大物の片鱗があった。句会では小粒の伝統的写生詠で高得点句を狙うよりも豪快な観念詠を出して撃沈することを喜ぶようなところもあり、数十年以内に大俳人になった可能性は、わたしの主観を抜きにしても、極めて高いと思う。
わたしは「豈」57号に寄稿した文章「リアルでホットであること」にて、澤田くんが五十歳以下の俳人で現代における戦争や政治を詠める数少ない一人、数人のうちの一人であることを指摘した。そう、そういう素材を積極的に詠んでいる若手を数えてみたら数人しかいないのだ。澤田くんとあと数人。
数十年後になったら、日本語俳句における社会詠、戦争詠、政治詠はわれわれの世代の誰が担っているのだろうか。そのときは誰がまだ生きていて、俳句という短い形式に深い認識を込めつづけているのだろうか。今の俳壇もすでに穏健な日常詠が支配するぬるま湯の世界といった感があるが、澤田くんが離脱してしまった以上、将来はまさに冷めた湯のごときかな。わたし自身、自分がよぼよぼになっている数十年後の俳壇など想像もできないが、澤田くんを失ったことで未来の俳壇がつまらなくなってしまったことは間違いない。
[評論家として]
俳論も開花する寸前だった感がある。
彼は同世代の中では元々(あ、同じ重ね言葉をまたもや使ってしまった!)文章が巧かった。わたしとは雲泥の差。「天為」20周年記念作品コンクールの随想部門で第一席を、俳人協会のコンテストでも第1回新鋭評論賞準賞を獲っているし、太宰治の『女生徒』が大好きなわたしのために、そして「美少女の美術史」展で塚原重義監督による『女生徒』のアニメを一緒に観た記念に、「女生徒」風の文章をフェイスブックに載せてくれたこともあった。
俳論は、愛する寺山修司論や俳句仲間たちの句集評が主だったが、「『ミヤコ ホテル』を読む」
、 「胡散臭い日本の私」といった面白い文章も「週刊俳句」に遺している。ありきたりのコメントだが、もっと読みたかった、それに尽きる。
[句友として]
いきなり死にやがって、ばかやろー
あやまってもゆるさんぞ
今回ばかりは、福助のようにおじぎしてもゆるさんぞ
おまえさんが死にたくなかったのはよくわかる
おまえさんは死が好きだったけど、死を本当におそれていた
もっともっと生きたかった、もっともっと生きていたかった、ぜんぜん死にたくなかった
でも、死がおまえさんのことを好きだったんだ。死がこっそりおまえさんにすり寄ってきて、キスして、放さなかったんだ
死みてえなやつと何でキスしてしまったんだ、こんちきしょー
あいつは巨乳でもないし、そもそもあいつはいつも浮気していてひとの命を盗んでく
洒落のようだけど、死じゃなくて詩なら良かったのに
おまえさんはいい人間でいろんな輩から好かれていた。おまえさんが思っていた以上に
みんなみんな、おまえさんのことが好きだった。おまえさんが思っていた以上に
ああ、おまえさんも死んでみて気付いただろう
自分の人気ぶりに、自分のばかぶりに、自分の他人行儀ぶりに
おまえさんは死を恐れていればよかったのに、人ばかり恐れていた
でも、みんなみんな、おまえさんには帰ってきてほしいと思ってる
とはいっても、いま帰ってくるなよ
そして誰も連れて行くなよ
どうせいつの日かみんなそこに行って句会をするんだ
そしたらゆるしてやるよ
ほんとにばかやろー、だ