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ZIPANG-9 TOKIO 2020元文化庁長官・人間国宝を筆頭に 巫女が在NY日本国総領事館などで【第一回目】日米文化交流を実施

2024.07.10 17:55


令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)


一般社団法人 日本文化伝承協会(東京都渋谷区 代表理事 近藤誠一)の巫女 五十幡香奈は、2024年6月3~5日にかけてNYで開催された日米文化交流の一環として、在NY日本国総領事館において巫女舞を披露いたしました。


在NY日本国総領事館での集合写真


■イベント概要

日時:2024年6月3日~5日

場所:在NY日本国総領事館(大使公邸)・飛鳥II・美術館・ギャラリー等

内容:一般社団法人TAKUMI-Art du Japon(以下、匠)主催による本イベントは、

   「Why TAKUMI, Now?」をテーマに、元文化庁長官・人間国宝・巫女が

   ニューヨークを訪問し、シンポジウム開催や巫女舞の奉奏を通じて、

   現地の人々に日本文化の魅力を伝え、今後の我が国の伝統工芸や

   伝統工芸のあり方を模索することを目的としています。


■プロジェクト詳細

匠の代表理事 近藤誠一(元文化庁長官)の主催により、近藤誠一、室瀬和美(人間国宝 蒔絵)、大倉源次郎(人間国宝 小鼓)がニューヨークを訪問し、クルーズ船・飛鳥IIにおけるシンポジウム、美術館やギャラリーにおける意見交換を実施しました。一般社団法人 日本文化伝承協会も当プロジェクトの運営支援を行い、その一環として当協会の巫女が在NY日本国総領事館の大使公邸にて巫女舞を披露いたしました。


また、当プロジェクトの認知を広く拡大する意味も込めて、匠の後援団体としてクラウドファンディングを立ち上げ、184人、約330万円の支援を集めました。


在NY日本国総領事館(大使公邸)で巫女舞を披露


飛鳥IIで講演する室瀬和美氏と大倉源次郎氏


■今後の展望

一般社団法人 日本文化伝承協会は、今後も匠の後援団体として、匠が実施するプロジェクトの応援を行い、日本の伝統文化を海外に伝え、そして現代に適応させるための新たな可能性を探求し、国際的な文化交流に貢献する活動を続けていきます。


<一般社団法人TAKUMI-Art du Japonとは?>

日本が誇る「匠」の技能と精神は、単に優れた文化財や製品に表れているだけではありません。それは新幹線はもとより現代の産業を陰で支える最先端技術の源となって、日本の競争力に多大な貢献をしています。更に「匠」の精神の繊細さと、見えないところをも大切にする心、その背景にある自然を畏れ、敬い、愛する気持ちは、現代も世界が称賛する日本人の生き方の軸になっています。


効率を最優先とするグローバル競争の波が、この精神の存続を危機に陥れています。匠の後を継ぐ者、匠の技能に欠かせない精巧な道具をつくる者、高品質の原料をつくる者が急速に減少しているのです。いま何とかしてこの流れを食い止めなければ、「匠」は過去の歴史となってしまうと言っても過言ではありません。


私たちは、元文化庁長官の近藤誠一が発起人となり、「匠」スピリットを社会の中心に取り戻すために、様々なアクションをひとつひとつ起こしていくことにコミットした同志の集まりです。(匠ホームページより抜粋)


五十幡香奈


巫女舞奉納者 五十幡香奈

埼玉県出身。1993年生まれ。神社の自然や和を重んじる精神性に深く感銘を受け、2018年から東京の神社にて巫女兼広報として奉職。現在は長野県に鎮座する「車山神社」と「単車神社」の巫女兼広報を務める。神社専門誌「WAGO」にて、著名人方との弥栄巫女対談を連載する。神社を基軸として、巫女舞の講師を務め巫女舞教室を開催する他、日本伝統文化に触れる様々なイベントを企画運営している。


当協会は、日本の伝統と文化を守り、未来に継承することを使命として、日本文化の要とも言える神社を基軸に、伝統文化の伝承促進につながる企画を運営いたしております。
主な事業といたしましては、二つの柱を中心に活動させていただいております。


〈神社再生プロジェクト〉

1つ目が神社再生プロジェクトです。
現在約8万社あると言われていますが、人手不足や経営難でその数は減少を辿っています。


そこで私たちは、神社のお祭りやイベントの企画運営を通じて、神社だけではなく地域活性化まで図れるようなお手伝いをさせていただいております。


その一つに、長野県茅野市にある標高1925mの車山山頂に鎮座する「車山神社」とオートバイク乗りの交通安全を祈念した「単車神社」の二社のサポートをしております。


〈教育プログラム〉

柱の2つ目が、日本文化に興味を持っていただく活動をしています。
その一つとして、「半日巫女体験講座」「巫女舞教室」の2つの企画を進めさせていただいております。


■お問い合わせ先

一般社団法人 日本文化伝承協会
東京都渋谷区神宮前2-5-6 アマデウスハウス402号室
電話 : 03-6743-1777 MAIL: nakajima@ncta.jp 
担当: 中嶋夏月(なかじまかづき)



鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


天空の社「車山神社」


天空の舞。陽が落ちると車山神社火祭りが始まる・・・


巫女舞の奉納、神職の祈祷、アーティストによる演奏、夜のゲレンデを明るく照らす
松明スキー滑走などを実施する予定です。
FUJI ROCKや世界での活動経歴もあるアーティストの方々と共に自然への感謝や世界平和への願いを発信する「炎の雪中音楽祭り」が行われます。


雲海が山も森も木も、やがて人も全てを包み込むと松明に火が灯り影が舞う…


祭りは人々の心や地域を豊かにしてくる大切な文化であり、祭りを通じて日本人だけでなく、世界各国の人が参加する事により、互いの文化、人種、宗教を認め合うことに繋がり、その繋がりの和が、多様な生物、そして地球も巻き込んでワンネスな世界を実現でき…祭りの力で、世界を平和にすることが車山火祭りの使命でもあります。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-6 TOKIO 2020~古今東西の融合~「車山火祭り神事×アート」一体化への夢と祈りがいま、 天空の杜にて華開く!
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/31453865



御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命は、初代神武天皇の皇后様


大神神社 摂社『率川(いさがわ)神社』


率川神社について

率川神社は、593年に大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命によりお祀りした奈良市最古の神社です。


御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代神武天皇(じんむてんのう)の皇后様で、ご聡明にして、よく内助の功をおたてになりました。全国の神社の中でも珍しい皇后様を主祭神とした神社です。


三棟の本殿左側には父神の狭井大神(さいのおおかみ)、右側には母神の玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)をお祀りし、中央にお祀りするお子様(媛蹈韛五十鈴姫命)を両親がよりそうようにお守りになられる姿で鎮座されることから、古くより子供の守り神として知られています。


率川神社のお祭りについて

三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)

例祭日  6月17日 10時30分斎行

宵宮祭  6月16日 15時斎行

後宴祭  6月18日 10時斎行


三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)巫女


三枝祭は、その起源も古く、文武天皇の大宝元年(701)制定の「大宝令」には既に国家の祭祀として規定されており、大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈る由緒あるお祭りです。


昔、御祭神姫蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)が三輪山の麓、狭井川のほとりにお住みになり、その附近には笹ゆりの花が美しく咲き誇っていたと伝えられ、そのご縁故により、後世にご祭神にお慶びいただくために酒罇に笹ゆりの花を飾っておまつりする様になったと言い伝えられています。


国が行うお祭りとして重んぜられた三枝祭は、平安時代には宮中からの使いが御供えの幣物や神馬を献上するなど、非常に丁重な祭祀が行われましたが、後世いつの間にか中絶していたのを明治十四年再び古式の祭儀に復興され、現在に及んでいます。


このお祭りの特色は、黒酒、白酒の神酒を「罇(そん)」「缶(ほとぎ)」と称する酒罇に盛りその酒罇の周囲を三輪山に咲き匂う百合の花で豊かに飾り、優雅な楽の音につれて神前にお供えする事です。又神饌は古式に則り美しく手が加えられ、折櫃に納めます。そして、柏の葉で編んで作ったふたをして、黒木の御棚と言う台にのせて宮司自らがお供えします。


三輪明神縁起絵巻・神武天皇と五十鈴姫


ご由緒

奈良市最古の神社である率川神社は古くより「子守明神」とたたえられ、県内外から篤い信仰がよせられています。


神社は飛鳥時代、推古天皇元年(593)大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命によっておまつり申し上げた奈良市最古の神社です。


御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代神武天皇の皇后様で、ご聡明にして、よく内助の功をおたてになりました。全国の神社の中で皇后様を主祭神とした神社は数えるほどしかありません。


三棟の本殿左側には父神の狭井大神(さいのおおかみ)、右側には母神の玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)をお祀りし、中央にお祀りするお子様(媛蹈韛五十鈴姫命)を両親がよりそうようにお守りになられる姿で鎮座されることから、古くより「子守明神(こもりみょうじん)」とたたえられ、安産、育児、生育安全、家庭円満の神様として県内外から篤い信仰がよせられています。


父神の狭井大神は生活全般の守護神であり、福寿の神である大神神社の大物主大神と同じ神様であり、媛蹈韛五十鈴姫命が大物主大神のお子様にあたられることから、率川坐大神御子大神社の名で「延喜式」にも記載されています。


本殿は一間社春日造、檜皮葺の社殿を南向きに三殿並列させたもので、近世初頭の形式を伝える建物として県の指定有形文化財となっています。平成19年には江戸末期、文久2年(1862)以来の本殿保存修理が竣工し、朱塗りの色も鮮やかに甦りました。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「大和国一之宮 大神神社 摂社『率川(いさがわ)神社』について(その参)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3662990



神在月に神々が集まる聖地で神と人との神秘的な伝統の美しさの体験を

         ユネスコ無形文化遺産

         佐陀神能



一般社団法人 松江観光協会では、松江の見どころ、自慢の食、伝統文化など、旅する魅力などを随時発信しております。


この度、平成23年にユネスコ無形文化遺産リスト登録された佐陀神能は、令和3年に十周年を迎えました。


これを記念し松江観光協会が事務局を務め、県内外の神楽団体を招聘し「第3回神座-神々への舞-各地に伝わる御神体出現の舞」の特別公演を2022年10月2日(日)に開催する運びとなりました。

 

第3回「神座-神々への舞-」のテーマは、記紀神話の一つである天岩戸神話に代表される「神体出現」。


佐陀神能(松江市)・高千穂神楽(宮崎県)・久見神楽(島根県隠岐の島町)・大土地神楽(島根県出雲市)の4つの神楽団体が、各地に伝わる御神体出現の舞を、令和元年度からの改修工事を終えた舞殿で奉納します。


佐陀神能とは島根県松江市にある佐太神社で、祭礼の中でも重儀とされる「御座替祭」(ござがえさい)に合わせて執り行われる「七座神事」「式三番」「神能」の三つの神事舞を総称したものです。


この形式での神事舞は能方式を取り入れた特徴的な神楽で、古くから行われていたことから、「出雲流神楽の源流」と呼ばれ。全国各地に伝わる里神楽に大きな影響を与えたと言われています。


今回披露される演目の一つ「大社」は、佐太神社の縁起を題材にしたものであり、神社の縁起についてや、神無月ではなく神在月と呼ぶことの由来などを見ることのできる演目となっております。


古くから日本人は想像力を駆使して、神話の世界を楽しんできました。
神楽という演目を通し、神々の物語を重ね合わせ、神在月に神様が集まるという聖地で、身も心も清められていく神秘的なひとときをぜひご体感ください。


一般社団法人 松江観光協会では、癒しと笑顔を提供する"新しい宿泊観光"を楽しんでいただくため、これからもたくさん“いいもの”を発信していきます。


■■佐陀神能の世界へタイムスリップしてみませんか!?■■


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-6 TOKIO 2020 「400年前の歴史の神話世界へ」タイムスリップ!!佐陀神能ユネスコ無形文化遺産登録十周年記念 10/2(日)特別公演開催
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37680126/



お伊勢参らば お多賀へまいれ ・・・


多賀大社御神門越しの御社殿


お多賀さんとは

延命長寿・縁結びの神として古くから全国的な信仰を集め、豊臣秀吉の厚い信仰もありました。祭神として天照大神(あまてらすのおおみかみ)の両親の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀っている旧官弊大社である。「お多賀さん」の名で親しまれ、駅前の大鳥居から神社までの参道の両わきにみやげ店などが並ぶ。


神社を清流が囲み、太閤橋(たいこうばし)と呼ばれる石の反り橋を渡って門をくぐると、玉砂利を敷いた境内の向こうによく茂った木立を背に堂々とした風格を持つ本殿が建っている。厳かな雰囲気が漂う境内には、本殿右に能舞台、左に絵馬殿がある。また、東廻廊の横にある石は、61歳の重源(ちょうげん)が東大寺を再建するために延命を祈願し、無事願いが叶ったたことを記念したもので、延命石と呼ばれている。


拝殿などの格天井が、大変に美しいと評判である。社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものである。


古例祭(これいさい)巫女舞


由来

古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。 日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。


生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数える。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「お伊勢参らば お多賀へまいれ お伊勢お多賀の 子でござる 多賀大社」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2993655



学問・至誠・厄除けの神様 太宰府天満宮


太宰府天満宮 御本殿


太宰府天満宮とは

天神さま(菅原道真公)をお祀りする全国約12,000社の総本宮と称えられ、「学問・至誠・厄除けの神様」として、ご崇敬を集めています。


大宰権帥として太宰府で亡くなった菅原道真公の廟をはじめとします。天満宮安楽寺とも言われました。


平安時代には大陸由来の曲水の宴などの行事が行われはじめ、現代に伝わるものもあります。文人としても崇敬され貴族や武士が参詣しました。文芸の聖地となり、連歌などが奉納され続けています。


また、唐代の書籍である翰苑の平安時代の写しが残り、鎌倉時代には高麗国使高柔(コユ)が参詣して詩を奉納しています。本殿が国重要文化財に指定されており、境内は伝統行事と相まって古代の雰囲気が感じられます。


太宰府天満宮は、日本の歴史上、最も有名な文人として知られる、菅原道真公を祀る霊廟です。京都天満宮の総本社です。


菅原道真公(845-903年)は、幼いころから詩歌に才能をみせ、のちに天皇や大臣に講義を行う「文章博士」となりました。また菅原家の私塾「菅家廊下」を主宰し、朝廷における文人社会の中心でもありました。政治家としても優れ、宇多天皇の信任をえて要職を歴任します。遣唐使の廃止も道真の進言によるものとして知られています。そして醍醐天皇のもとで右大臣にまで登りつめました。


901年、時の左大臣藤原時平の讒言により、天皇の交替をもくろんだとして罪をかけられ、道真公は大宰府へ左遷されます。そして903年2月25日、59才で亡くなりました。遺言により大宰府で埋葬されました。後に時平の讒言を知った朝廷は、菅公の名誉挽回に努め、正一位太政大臣を追贈。菅公は天満大自在天神として、人々の尊崇を集めるようになっていったのです。


はじめ、「四堂」(あるいは大野城がおかれた「四王寺」山)のほとりに埋葬する予定でしたが、その途中、亡骸を乗せた御車の牛が突然動かなくなります。牛がどうしても動かないのを人々は不思議に感じ、そこを墓所とした、と伝えられています。


905年、道真公の門弟だった味酒安行が、墓所に廟を建て、のちに安楽寺を創建します。
そして919年に醍醐天皇の勅令によって社殿が完成したと伝えられています。その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになりました。 


長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、今日でも多くの参拝者が訪れています。


菅原道真公は天満大自在天神として、人々の尊崇を集めるようになっていったのです。


曲水の宴斎行「飛梅の舞」


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「学問・至誠・厄除けの神様 太宰府天満宮は天神さま(菅原道真公)をお祀りする全国約12,000社の総本宮(その壱)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3956050



熊野速玉大社 御神木「梛」なぎ



境内にそびえる樹齢千年のナギの大樹は熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされています。熊野牛王とナギの葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなりました。


熊野速玉大社ナギの舞


熊野古道 伏拝王子から大斎原を望む


熊野信仰の起こり

私達の祖先は、一体いつの頃から「神」の存在を感じたのでしょう?古代の人々にとって、生命の保証のない大自然の中で生きていくことは、想像を絶するほど過酷であったと思われます。自然は、言葉で言い尽くせない驚異、感動、苦しみ、そして恵みを私達に与えます。 人間の生活を、また自らをも破壊してゆく自然の猛威、一方で暖かい光と豊饒の恵みをもたらす生命の泉としての存在・・・大自然の脅威と恵みは、古代人の心に「恐れ」と、気高く聖なるものへの「畏れ」を生み出していきます。


その中で私達の祖先は、自然をも超越した完全無欠の神を望まず、大自然の中にこそ存在し、災害も恵みも合わせ与える厳しくも温かい神を望みました。 熊野には、自然が作り上げた神聖な場所がいくつも残っていて、そのような特別の場所に、熊野三山の神々は降り立ちました。


神倉神社 ゴトビキ岩


神倉山と新宮

「熊野権現御垂迹縁起」(一一六四年長寛勘文)はじめ諸書によると、熊野の神々は、神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇五十八年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号したことが記されています。


初めは、二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神を祀り、平安時代の初めには現在のように十二の神殿が完成しました。


日本書紀には、神武天皇が神倉に登拝されたことが記されています。悠久の古より人々から畏れ崇められてきた神倉山には、初め社殿はなく、自然を畏怖し崇める自然信仰、原始信仰の中心であったと思われます。また、ここから弥生時代中期の銅鐸の破片も発見されています。 十月の例大祭では、お旅所に新宮の由来となった最初の宮である「杉ノ仮宮」を造り、古式に則って神事が行われます。


熊野 速玉大社 御本殿


御由緒

熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地にお遷りになり、これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したと古書にみえます。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「人生甦りの熊野速玉大社へ  ~ 千早ふる 熊野の宮のなぎの葉を 変わらぬ千代のためしにぞ折る ~ 藤原定家(前編)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2901670



花の窟に花舞の奉納



由緒書

日本書紀からみる花の窟の由緒

日本書記に「 一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり) ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とあり、即ち当神社にして、其の由来するところ最も古く、花窟の名は増基法師が花を以て祭るより起これる名であります。


花の窟に花舞の奉納
熊野市 花の窟 例大祭(三重県無形文化指定 御縄掛け神事)


花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。南に面し其の正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設く。此の窟の南に岩あり、軻遇突智神の神霊を祀る。此の神、伊弉冉尊の御子なれば王子の窟という旧藩主に於いて、此の霊地保護のため寛文9年9月、及び元禄8年11月四至限界御定書を下付し、且つ高札を建て殺生禁断を布令せられました。


又、昭和23年4月10日天皇陛下(現:上皇)が皇太子殿下の当時、熊野地方御見学の途次御立寄りあらせられました。


熊野市 花の窟大祭


花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 神々が眠る日本最古の地・ 花の窟~花の窟(はなのいわや)神社~(続編-3)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6679209/



奥飛鳥の重要文化的景観


万葉の里「明日香村」古代衣装の娘さんたちの見つめる先には石舞台が・・・


日本の原点「飛鳥」は、万葉集のゆかりの地です。

「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、 梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」


飛鳥八釣の里の棚田とあぜの曼殊沙華


奈良県 奈良県高市郡明日香村 重要文化的景観

明日香村の中央部を貫流し大和川へ注ぐ飛鳥川の源流域では、スギ・ヒノキ・サワラが卓越する深い植林地の中に集落・農地が営まれています。奥飛鳥地域の記録は皇極天皇元年
(642)に遡ることができ、中世末期には入谷(にゅうだに)・栢森(かやのもり)・稲渕(いなぶち)・畑(はた)の四大字が飛鳥川上流域のムラとして成立したとされています。


文化的景観とは,以下の文化財を指します。

文化的景観とは

地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの(文化財保護法第二条第1項第五号より)


文化的景観は,日々の生活に根ざした身近な景観であるため,日頃その価値にはなかなか気付きにくいものです。文化的景観を保護する制度を設けることによって,その文化的な価値を正しく評価し,地域で護り,次世代へと継承していくことができます。


文化的景観の中でも特に重要なものは,都道府県又は市町村の申出に基づき,「重要文化的景観」として選定されます。 重要文化的景観に選定されたものについては,現状を変更し,あるいはその保存に影響を及ぼす行為をしようとする場合,文化財保護法により,文化庁長官に届け出ることとされています。ただし,通常の生産活動に係る行為や非常災害に係る応急措置等においては,この限りではありません。


また,文化的景観の保存活用のために行われるさまざまな事業,たとえば調査事業や保存計画策定事業,整備事業,普及・啓発事業に対しては,国からその経費の補助が行われます。

重要文化的景観の選定制度は,平成16年の文化財保護法の一部改正によって始まった,新しい文化財保護の手法です。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 奥飛鳥の重要文化的景観 ~「奈良県高市郡明日香村・・・万葉の里」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5994747



伝説と歴史が伝える歴代の斎王74名について


斎王まつり 子供巫女舞


斎王とは?

斎王(さいおう)…それは、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性のことである。歴史に見られる斎王制度は、天武二年(674)、壬申(じんしん)の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ)を神に仕える御杖代(みつえしろ)として伊勢に遣わしたことに始まる。


以来、斎王制度は660年以上にわたって続き、60人以上の斎王が存在した。伝説は、伊勢に天照大神を祀った倭姫命(やまとひめのみこと)など、さらに多くの斎王の物語を伝える。


制度が確立して以降の斎王は、卜定(ぼくじょう)という占いで選ばれ、斎王群行と呼ばれる五泊六日の旅を経て伊勢へと赴いた。その任が解かれるのは、主に天皇が代わったときのみ。年に三度、伊勢神宮に赴く以外は、一年のほとんどを斎宮で過ごし、神々を祀る日々を送っていた。


また、神に仕える身ゆえに恋をすることも許されず、伝説に語られる斎王の中には己の命を絶って身の潔白を証明した哀しい斎王や、恋ゆえに斎王を解任されたり、恋人と引き裂かれたりした斎王もいたのである…。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020 「特別編 斎王~明和町より~伝説と歴史が伝える歴代の斎王74名について」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3020519



※現在、2300件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-9 TOKIO 2020 (VOL-9)
https://tokyo2020-9.themedia.jp/


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/